第18話
「結構」
「いつなら空いていますか? 次の休日はシフトのままで問題ありませんよね? だったら、そのときに」
「ストップ。今度の休日は約束が入っているから、すぐには返答できない。とにかく、今はシェラを引き取る手続きを」
言いながら、伴君は書類をテーブルの上に準備していく。今の今まで、暇を謳歌していたというのに、動きは速い。慣れているのがよく分かる。
……もしかすると、栗飯原さんとの時間を少しでも短くするためのシミュレーションでもしていたのかもしれない。それくらいの素早さだった。
しかし、栗飯原さんはまるで意に介さない。書類を用意している手のひらをぱっと取って握り締めている。それも途轍もなく素早い。
なるほど。こういう攻防を繰り広げているのだな。伴君が現在も嫌われていないと疲れたように言っていた理由にも気がつく。
確かに、栗飯原さんのアピールはアグレッシブだ。たった数分であるし、言動もちょっとしか見ていないが、それだけでもよく分かる。
ただ、だからと言って、それだけで伴君がそれほど忌避するまでもないのでは? という気持ちは拭えなかった。いくら何でもそこまで、という気持ちがある。男ぶりが上がっているとして、誇りのひとつくらいに処理して相手していればいいだろうに。
「伴様、そんなに冷たくしなくてもよろしいではありませんか。わたくしと伴様の仲でしょう?」
「ハンターと協会の仲でしかないだろう?」
「一夜をともに致しましたわ」
「仕事でな」
「ホテルでしたわ」
ぴくりと伴君のこめかみがひくつく。栗飯原さんの発言は嘘ではないのだろう。だからこそ、伴君は困っているのだろうけど。
「仕事は仕事だろ。俺は公私はきっちり分けるタイプだ」
「ですから、プライベートでお誘いしているのですわ」
「いや、だから」
「それじゃ、お仕事のお話ですわ。こちらの吸血鬼について聞きたいのですもの」
「だったら、協会のほうへ顔を出すよ」
「寂しいですわ」
「三日前も会っただろ?」
「嫌ですわ。二人きりでお会いしましょうよ、ね?」
握った手のひらを、自分の胸元へと引き寄せる。伴君はわずかに腰を浮かせて、その状況に付き合わされていた。
引き寄せられた胸元は、ブレザーのような衣服を大きく持ち上げている。我々吸血鬼に性的欲求は少ない。どちらかと言えば、食欲のほうが強いだろう。人間相手であれば尚更だ。巨乳と言われる女性を見ても、性癖を刺激されることは少ない。
しかし、伴君はそうもいかないようだ。胸元に近付けられた指先が震えていた。視線がそちらを眺めてしまっている。
とはいえ、それは意識せざるを得ないというものであり、興奮しているわけではないらしい。触れないでいられるように意識を集中させているようだった。
「どうしてそうなる」
「だって、そうしなければ、楽しいこともできませんわ」
うっそりと笑った栗飯原さんが、伴君の腕を更に引き寄せる。本気で力めば、伴君はいかようにもできるはずだ。
しかし、相手は一見すればか弱いお嬢様である。実際には強かろうとも……いや、それでも、伴君だって腕の立つハンターだ。腕に覚えのあるものが、力押しに頼りきることはできないのだろう。
栗飯原さんは、伴君のその心情すら分かっているのか。ちっとも引くことはなく、その手の甲を胸に押し付けた。
伴君の肩がぴくりと揺れる。それ以上の反応を抑え込んだのは、意地か。栗飯原さんに動揺したと悟られないためか。何にせよ、伴君は目を細めて栗飯原さんを見つめていた。
「栗飯原、自分の身体を使うのはやめろと言ってるだろ」
「嫌ですわ。使えるものは何でも使いますし、伴様のために惜しむものなどひとつもありませんのよ」
「惜しめよ、処女だろ」
雑に放り出されたデリカシーのない発言にぎょっとする。
確かに、伴君は達者と言える会話を挑んでくるところがあった。しかし、ここまで突き放すような言い方をするとは思わない。
さすがの栗飯原さんも、これには面食らうだろうし、不快感を抱くだろう。そう思っていたが、栗飯原さんは顔を赤くした。
そして、伴君の手のひらをぐいと自分の胸に押し当てる。伴君の言葉よりもよっぽど驚くこちらを無視して、栗飯原さんはその上に自分の手のひらを押し当てて、ぐにゅりと胸の形を変える。
「おまっ」
狼狽する伴君をよそに、栗飯原さんは伴君と距離を詰めた。そして、至近距離に寄って、下から伴君を上目に見上げる。しだれかかるような曲線を意識させる肉体が、伴君のがっしりとした身体に纏わり付いた。
そして、ついぞ、爆弾が放り投げられる。
「伴様に捧げるために守ってきたのですもの。惜しむわけないではありませんか。伴様の好きにしていただいてよろしいんですのよ?」
「俺のために守ってきたわけじゃないだろうが。結果論の話を俺への理由に結びつけるな」
「結果的にそうなるようになっているのであれば、運命ですわ。伴様がおっぱい大好きなの知っているのですよ? ね? 伴様」
そっと耳元に囁き込むかのように踵を持ち上げて、伴君に擦り寄った。
胸元の手は、栗飯原さんによって揉みしだくように動かされている。伴君の大きな手のひらからも零れ落ちる胸が形を変えていくさまは、いくら性欲が少なくともいやらしさを感じた。
秘められるであろう行為を眼前にする陶酔感というのは確かにある。見ているだけでもそれを感じ取ることはできるのだから、行為に踏み切られている伴君にしてみればたまったものじゃないだろう。
どれだけ忌避している女の子とは言え、その肉体の柔らかさに嘘はない。伴君は二十歳くらいだ。性欲旺盛であろう。
耐えかねたような伴君は、手のひらを返していいようにしている栗飯原さんの手首を握り締める。そのまま勢いに任せて、栗飯原さんをソファへと押し込んだ。伴君としては、栗飯原さんをソファに拘束したつもりだろう。
しかし、
「あん」
と甘ったるい声を出す栗飯原さんが懲りている様子はない。
それどころか、彼女にしてみれば、伴君に押し倒されたと同義だろう。伴君もそれは分かっているのか。手をソファに押し付けて見下ろす目は冷たい。
そして、短く息を吐いた伴君は表情を変えた。冷たさにそれほどの差は見受けられない。ただ、目を眇めて流すように栗飯原さんを見つめる。
その流し目に、栗飯原さんの顔色がさぁーっと朱色に染まり上がっていった。それから、ぐっと身を寄せた伴君の唇が栗飯原さんの耳元へ寄る。
ほとんどくっついてしまっているかのように覆い被さる姿は、時が時なら事に及ぼうとしているように見えただろう。だが、ここまでの経過を見ていれば、伴君が理性を飛ばしただなんて発想には至らない。
その勘違いをしているものは、というよりも物理的な距離感に我慢できなくなっているのか。顔を真っ赤にして高揚しつくしているのは、栗飯原さんだけだった。
どうするつもりか、というイベントとしての好奇心はあるが、それは栗飯原さんの興奮とは別のものだろう。
伴君は、そうして栗飯原さんを拘束したまま、低い声を注ぎ込んだ。
「俺にいいようにして欲しかったら、俺の命令くらい聞けるよな? 菫」
「しん……」
それが名前を言おうとしていたのかもしれないと気付いたのは、随分後になってからだった。
伴君はそれをすぐに黙らせるためにか。栗飯原さんの顎を掴んで、かなりの至近距離に唇を寄せた。
瞬間、栗飯原さんはキャパシティを越えたらしい。ぱたんとソファへ倒れ込んだ。意識を失っている。伴君はそれを見届けると、盛大な息を吐いて、栗飯原さんの隣に荒々しく腰を下ろした。
自分のほうへ倒れそうになっている栗飯原さんを逆側へ押し返す。とことん粗雑極まりない。
気を失っている栗飯原さんは、どこまでいっても幸せそうな顔色をしていた。隣で落ち込んでいる伴君との落差がひどい。
私たちは置いてきぼりだ。ただひとつ、伴君がどこまでも栗飯原さんに辟易していることだけが確かだった。
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