第17話

「まぁ、協会へは適当に言い訳でっちあげるんだな」

「おや? それがハンターの言う台詞かな?」

「お前と俺のためだよ」


 お人好しでどうしようもない善人。それが伴君に対する揺れることのない印象だったが、存外ズルいこともするらしい。この場合は、生き残るための手段で、本人にとって切実なやり方なのかもしれないが。ズルいやり方であることもまた真だ。


「それを言えば私が納得すると思ってないか?」

「じゃあ、ラツェナドという誇り高き吸血鬼の立場を危うくしないための手段と言えばいいか」

「より一層たちの悪い褒め言葉だな?」

「真実だろう」


 けろっとした顔で言う伴君のそれが、冗談なのか本気なのかは分かりやすい。こういうこともできるのか。意外な気持ちでいる反面、その掴み所のない飄然とした姿は、友の姿によく似ていた。

 それをまじまじと見つめてしまう自分の執念深さに苦笑が零れ落ちる。思わず、くしゃりと髪の毛を掻き乱した。


「仕方がない。ラツェナドのためだからな」


 シェラはいかにも不服とばかりに、ぶつぶつと呟く。伴君が本気でその効果を狙っていたのかは定かではない。ぼた餅感は否めなかった。

 だが、私たちにとって、有利な証言だ。上辺だけであろうとも何だろうとも、吸血鬼を褒め称えることの効果は劇的なものらしい。この場合は、シェラが手玉に取られているに過ぎないだろうけれど。けれど、吸血鬼にそうした性質があることは否定できなかった。

 私だって、冗談だったとしても、悪い気はしない。


「取り引きだな」

「そちらからもたらされるものがないが?」

「ラツェナドの立場を守る任を受けているが?」


 わざとらしく私を持ち上げる。こうなるとだしに使われているのかあからさまだが、シェラはチョロかった。それ以上、食い下がることはない。伴君は伴君でしれっと顔でいる。

 茶番感は否めない。しかし、私の足を引っ張るような内容ではなかったために、掘り下げるほどではなかった。それは、暇を理由にしてもなお、面倒くささのほうが強い。違う話題なら意気揚々と広げただろうが、自分のことを褒めてくれる状況を壊しに行く気はなかった。

 しかし、そうなると会話はストップする。伴君とシェラに会話を望むのは、高望みというものだ。かといって、私たちの間に共通の話題はない。どちらを放っておくにしても、話題は見つかりそうにもなかった。

 今ばかりは、退屈を謳歌する。仕方のないことだ。長い時間を過ごしていれば、こんなことはごまんとある。やり過ごす術を心得ているもので、私は静かにソファに背中を預けていた。

 森閑とした夜だ。シェラが現れたときはざわついていたはずの空気も、今やすっかり収まっている。今日はシェラ以外に、大きな事件は起こらなかったのかもしれない。協会のものがやってこない理由には繋がらないが、しかし、夜の気配を読み間違うなんてことはなかった。

 どれだけ人間社会に馴染んでいても、吸血鬼としての感覚がなくなるわけではない。私たちはどこまで行っても、夜の住人だ。

 その気配に変化があったのは、すぐのことだった。とはいえ、それはわずかな差であり、吸血鬼の顕在ではない。

 何だろうか、と意識を巡らそうとした矢先に、伴君が厳しい顔を持ち上げた。扉のほうを向く視線は、鋭いというよりは渋いといったほうが正しい。なるほど。彼が忌避するその誰か、が近付いてきているのだろう。

 私が察知したのは、吸血鬼としての能力の一端であるが、伴君にそんなものはない。よほど、そのものへの神経が尖っているのだろう。それでなくとも、感覚は鈍くない。反射神経はいいほうだろう。シェラを見つけたときを思えば、その素早さは想像するまでもない。

 そうして、扉がノックされる。こんこんと叩かれるその大きさもテンポも、おかしなところはなかった。ごく自然に人が訪ねてきた。そうしたものだ。

 にもかかわらず、伴君は忌避する相手が来たと確信を強めたとばかりに、生唾を飲み込む。シェラを目の前にしても、ここまで覚悟を決めた顔はしていなかった。こちらまで気を張る時間が数秒。

 伴君はふっと息を吐き出して、扉へと向かった。


「はい」


 短い返事は、伴君の平常なのか。相手が相手にだけに、冷厳さを保とうとしているのか。

 伴君が開いた扉の向こうには、高校生の制服のようなブレザーにスカート姿。黒いタイツにローファー。見事な金髪をたおやかに揺らしている美少女が立っていた。

 筋骨隆々として、すべてをぶっ壊してしまうかのような物騒なものが現れるのでは、と想像していたものはものの見事に砕け散る。警戒心を抱かねばならないような女性ではない。

 もちろん、この子だってハンター協会のものであるから、油断はできないだろう。協会の構成員はハンター資格を所持している。見た目のお淑やかさに反して、物理的に強いことは往々にしてあり得る話だ。

 とはいえ、現状、伴君ににこりと微笑んだお嬢様然としたところに、忌避感はなかった。少なくとも、私にはただの人間に見えたし、シェラにとってもそうだっただろう。

 ……彼女の場合は、興味も湧いていないというのが正しいだろうが。

 何にせよ、伴君のように頬を引きつらせるようなことは何もなかった。


「吸血鬼を捕縛したと聞いて参りましたわ」


 鈴の音のような声音も、礼儀正しい口調も、毛嫌いするような要素ではない。第一印象はお淑やかなお嬢様。

 伴君の前情報がなければ、警戒心など持つことはなかっただろう。我々は確かに気配を読むことはできるが、個人の性格まで掌握できるわけではない。

 人間との関わりで言えば、同種で経験値を積んだもののほうが、勘が冴え渡っている。こればかりは、経験則には勝てないものだ。そして、同種であることも大きく関わってくる。

 私が不特定多数の人間の性格を認知することができる日が来るとは思えなかった。


「ああ。……入ってくれ」

「ありがとう存じます。伴様の中に入れるなんて最高ですわ」


 ぱんと手を重ね合わせて顔のそばに寄せる。仕草だけなら可愛らしい。多少、媚びを感じはするが、その程度だった。

 さも当然のように動くものだから、一瞬脳が誤認をしでかす。だが、ワンテンポずれて、その台詞が道を外れていることに気がついた。

 様呼びについてまで違和感を深く追求する気はないが、入るのは伴君の事務所である。そこに深い意味をくっつけているのは、わざとだろう。

 いや、もしかすると事前報告。及び、伴君の引きつった表情がなければ、おかしな言い回しをしているだけだと看過していたかもしれない。

 伴君は曖昧な笑みで、その子を中へと入れる。追い出すわけにもいかないから仕方なくだろうが、渋々であることが目に見えていた。

 中へ入ってきた彼女は、私とシェラを確認してから、伴君へと視線を戻す。その眼差しの違いほど明確なものであれば、いくら吸血鬼の私とて見落とすことはない。


「栗飯原、そっちの女性のほうだ。シェラという」

「……こちらはよろしいのですか?」

「観察対象で登録してあるやつだ」

「伴様が観察していらっしゃるのですか? 何故そのようなことを」

「まぁ、色々と」


 観察対象にするくらいであるから、理由が色々とあるのは通常だ。誤魔化す意志が先行したわけではないだろう。しかし、伴君のそれは、細かい事情を説明したくないという意志が混ざっているような気がした。


「色々とあるのは、仕方ありませんね。では、そのお話は今度ゆっくりと伺わせていただきますわ」

「忙しいんで」

「大丈夫ですわよ! わたくしがすべて時間を合わせますから。デート致しましょう、ね?」


 ことんと傾げられた首に合わせて、高い位置にあるポニーテールが揺れる。そこだけを切り取れば、気軽な言葉をかけてくれるいい女性だ。そして、デートをする間柄なのか、と思うところだっただろう。

 しかし、対応する伴君の表情は優れない。ますます表情が引きつるありさまで、嬉しいお誘いでないことは明白だった。

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