第四章
第19話
伴君は栗飯原さんが気絶している間に、他のハンターを呼び出して、シェラと栗飯原さんの二人を引き渡してしまった。手際の良さが怖いくらいだ。
ぞんざいな扱い方にはドン引きしている。しかし、伴君にとっては一仕事を終えた安堵のほうが大きいらしい。
事務所で私と二人になったというのに、すっかり虚脱しきっていた。吸血鬼を前にしたハンターとしては、とてもじゃないが褒められたものではない。まぁ、私が言えたものでもないが。
「モテる男はつらいって?」
「そんなことはひとつも言ってないだろ」
ソファに背を預けきって、足もだらしなく開いて投げ出している。大男がそうして脱力していると、大層休みきっている印象が強い。だらだらとした受け答えをするのもまた、それを幇助している。
「言っていただろ。大変だって」
「……ああ」
交わした少ない会話を思い出したのか。響きが弱い返事が戻ってきた。打てば響いてはいるけれど、それにしたって緩い。どれほど栗飯原さんに体力を持っていかれたのか。最終的に自分への好意を上手く利用してやり込めていたというのに。
「困るのも分かるだろ」
「熱烈なアピールだったね」
軽やかに相槌を打つと、伴君は不満そうな顔になる。同意したというのに、何の不満があるというのか。片眉を上げて疑問を呈したが、伴君は表情を崩さない。
「そんな軽いもんじゃないんだよ」
辟易を通り過ぎている。適切に疲労度を測る基準すら見つかっていないのかもしれなかった。
私はそれほど女性のアピール手段に詳しくない。栗飯原さんの熱量を察することはできるが、それがどれほど通常から逸脱しているのかは分からなかった。まぁ、さすがに異端児であることは察してあまりあるけれど。
「ホテルで一晩過ごしたんだろう?」
「吸血鬼とホテルの関係にひとつもふたつも教鞭を垂れなきゃならないなんてことはないだろ?」
「それは必ずしもすべての吸血鬼に該当するものではないよ」
朝を迎えそうなとき。ちょうどいい逃げ場として、ラブホテルのご休憩を利用する同族がいる。
とはいえ、吸血鬼の多くがその知識をつけているのかと言われれば怪しい。人間社会に溶け込んでいる吸血鬼というのは、逆に言えば吸血鬼のコミュニティからは多少離れてしまうことになる。特殊なのだ。
その手法は、そうすることもある、くらいのことでしかなかった。
「それは知らなかった。吸血鬼の常識じゃなかったのか」
「他にも回避する方法はあるよ。古くからのやり方もね」
「影に入るやつか?」
「知ってるじゃないか」
「今、町中でそれをするくらいなら、ホテルのほうがよっぽどいいだろ?」
「まぁ、確かに。でも、満喫でもカプセルホテルでも何でも構わないだろ、それなら」
「……それもそうか」
「それなのに、ホテルに一緒に入ったんだから、君も責任を取るべきではないか? 男だろう?」
「それだけで責任問題にされても困る。吸血鬼に文句を言ってくれ。仕事だしな」
「その言い訳はどこまで通用するんだ?」
伴君の言い分も殊更にズレているわけではない。だが、外聞だけを取り出せば、栗飯原さんの言い方も間違ってはいなかった。
ラブホに女性を連れ込んだ。それだけを見れば、伴君に言い訳のしようはない。まぁ、これもまた屁理屈ではあるのだけれど。
「そもそも何もしてないからな」
「あんなに可愛い子を前にして、一切手を出さなかったのか?」
言いながら、伴君の手元へと視線を移す。伴君は苦虫を噛み潰したような顔になって、胸を揉まされていた手のひらをひらひらと宙で揺らした。
「俺から手を出したことは一度としてない」
「鋼の理性なのか。それとも、性欲がないのかどちらだい?」
「俺がそんなに清廉潔白に見えるか?」
それは堂々と切り返すことなのか。栗飯原さんに手を出したことがないと言ったその口でする主張としても間違っている。
「そうは見えないから、手出しの話を先に振っているんじゃないか?」
「誰でもいいわけじゃない」
「栗飯原さんは美しいだろう?」
確信的に言い切ることができないのは、吸血鬼としての性だ。
私は私の美的感覚に自信を持っている。だが、私たちの視点にはどうしても食事としての観点が拭えない。人間の感性と合致しているかどうかについては、微細の違いがある。それが分かるほどには、私は人間社会に精通していた。
「まぁ、確かに。栗飯原はいい女だろうけど」
「それで、何に問題が?」
「下手しなくてもセクハラなところが」
「君だって手玉に取るような行動を取っているじゃないか。棚に上げるのは卑怯ではないか?」
「しょうがないだろ。ああでもしなきゃ栗飯原は絶対に諦めないんだから」
「あれ以上、何かされるのかい?」
「待ち伏せは安い」
「それくらいなら」
「ストーカーを甘く見るなよ」
即応する声の重みを思えば、私が軽く断じていいものではないのだろう。お察し案件であることはお察しした。だが、それならそれで、やりようはいくらでもあるだろうと思い至る。
「ストーカー認定するなら、ちゃんと警察に相談するなり何なりしなよ」
「お前は本当に吸血鬼か」
「吸血鬼を何だと思っているんだ」
睨みつけてみても、伴君はひょいっと肩を竦めた。
「人間でもなかなかその判断を即座に出してくる人は少ないぞ。ましてや知り合いなわけだしな」
「知り合いという認識はあるのか」
「それ以上はない」
仕事仲間、と切り捨てなかったことを当て擦ったはずだが、伴君は抜かりなく切り捨ててくる。シャットアウトっぷりは、徹底されていた。徹底されているくせに、相談しないというのもおかしな話ではあるが。
「最後の手段だと思って甘やかしているのが栗飯原さんが諦めない原因じゃないのか?」
「栗飯原の親父さんは警察のお偉いさんだからな」
「人間の浅ましく恐ろしい一端を垣間見せようって言うんじゃないんだろうな」
「言うまでもなく想像できているのなら、それに越したことはないな」
人間たちの内乱とも言えるやり取りは、エグいものだ。吸血鬼同士にだって、諍いはある。私だって、そうした過去を持っているし、珍しいことでもない。
しかし、高位な存在として生きている吸血鬼として、プライドを持っている。誇り高く生きていた。少なくとも、私はその矜持を折ってきたつもりはない。そして、出会った吸血鬼はおおよそ同じ矜持を持っていたはずだ。
そのため、私たちの仲違いや諍いというのは、直接対決という潔い形になる。これを野蛮と言われてしまっては、反駁の余地はない。異能という形が一番分かりやすい私たちの力であるから、どうしても手短なことになる。
力で解決していると言われてしまえば、その感覚の違いを認めないわけにはいかなかった。
しかし、人間同士の詐欺にも等しい卑怯なやり口も、褒められたものではないだろう。この点の善し悪しを議論するつもりはない。ただ、権力に押しつぶされる市民がここに確かに存在するというのは、楽観的になれるものではない。
「……それでいいのか」
「報告でもしようものなら、娘のために一肌でも二肌でも脱いで、そのまま結婚一直線で逃げ道がなくなる」
「うっわ、怖い」
両腕を抱くようにして、二の腕をさする。そんなもの、栗飯原さんに目をつけられた時点で詰んでいるではないか。
大袈裟に怯えてみせた私に、伴君はようやく分かったかとばかりの顔をした。心なしか、身体が小さくなったんじゃないかってくらい疲れ果てている。結婚への道でも想像したのだろうか。
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