第15話

「お前はどうしてそう無茶苦茶をするんだ?」


 項垂れた友がぼやく。私はまだ、マントを背に羽織る吸血鬼のオールドファッションをしていた。そのマントを身体に巻き付けながら、友を見下ろした。

 彼は土埃で汚れ、息を乱している。


「君がついてくる必要はなかっただろう」

「吸血鬼が応戦する場を放置しておいたとなったらハンターの名が廃るだろうが」

「だからって、人間の身で吸血鬼の諍いに首を突っ込んだそっちのほうがよっぽど無茶苦茶だろう。ほら、大丈夫かい?」


 項垂れてしまっている彼に手を差し伸べれば、疲れた瞳が私を見上げた。月夜の晩に煌めく青い瞳は、私たちが見ることの叶わない昼の空のようだった。何度見たって飽きない。私はその瞳を見ることが、好きだった。

 私の手を取り立ち上がった彼が、ぱたぱたとコートの土煙を払う。それから、前髪を掻き上げて髪の毛を整えた。

 彼はふーっと長いため息を吐いて、夜空を見上げる。月夜を見上げるのは、彼の癖だ。いつのころからか、釣られるように私の癖になっていった。同じように見上げた月は、煌々と私たちの影を夜に落とす。

 彼は気持ちを切り替えるかのように伸びをした。


「よし。じゃあ戻るか」

「戻るのは私の屋敷だろう。何を偉そうに」

「お前が俺を呼んだんだろう。今日は一体何の用だったんだ? この一戦は予期したものじゃないんだろ?」

「私の領域に身勝手にも侵入したアレが悪い」

「それは分かったって。責めてない。無茶苦茶に能力を解き放ったところで、えぐれた地面もお前の土地だしな」


 昔のハンターと吸血鬼の戦闘は、今と比べものにならないほどに苛烈だった。同族での対峙も多くあり、殺伐とした世の中だったのだ。

 もちろん、その中でも平和的な瞬間はある。でなければ、私と友に友情などは芽生えなかったはずだ。そして、殺伐としていなければ、私たちが出会うこともなかっただろう。

 私たちの初対面は戦場だった。私がハンター相手に応戦していたところに通りかかったのが、友だったのだ。

 友は、ハンターとしてその場に現れたわけではない。騒ぎを聞きつけてやってきただけに過ぎなかった。そして、彼が援助したのは私のほうだ。

 何故、それを選択したのか。それはついぞ、明かされることはなかった。捻くれた難儀な性格を解明した結果として、吸血鬼だからと言って一方的に打ちのめすハンターを快く思っていなかった、ということらしいと把握している。

 この正誤を確認したことはなかったが、恐らくそう外れてもいないだろう。彼がそうした発言をしたわけではない。しかし、私と一緒にいることを是とした生活を見れば、おおよそを察することはできる。

 彼は魔女狩りのような殲滅をよしとしていなかった。それは、ハンターから吸血鬼、吸血鬼からハンター。そのどちらにも言えることだ。喧嘩両成敗とでも言うような行動を取っていた。

 そう思えば、あれもある種でお人好しであったのかもしれない。

 そんな平和主義な面を共有し、私たちはよく私の屋敷内で会った。彼がそっと遊びに来ることが多く、私はそれを歓迎していた。

 吸血鬼は訪問客に料理を振る舞う。それは元来、人間を懐柔するための手段ではあった。しかし、歓迎の意に違いはない。

 私は彼を吸血する気など更々なかったが、その歓迎の手段を用いた。彼も最初は苦々しさを噛み潰していたものだ。捕食されるようだ、と。

 だが、私はこれでも高貴な吸血鬼だ。能力もさることながら、料理の腕も劣っていない。彼はじきに、私の腕に胃を掴まれていた。このときの私の爽快感といったら言葉にならない。

 今までは、吸血のためにやっていたことだ。それでも手応えはあった。だが、そうした欺瞞のない。その成果には、得も言われぬ達成感があったものだ。

 それは、吸血鬼の食事を摂ることに抵抗を示さない信頼と取れたということもあるだろう。私はチョロかったのかもしれない。いや、この場合、私の料理にほだされた彼のほうがチョロかったとも言えるのかもしれないが。

 どっちもどっちだったからこそ、友情は成立したのだろう。そうであったことは僥倖だった。


「今日はローストビーフがあるんだ」

「まさかそれだけで呼んだんじゃないよな?」

「そんなんで来るのが君じゃないのか?」


 当時、豪勢な食事ができることは滅多にないことだった。だから、友も釣られたのかもしれない。それならそれでも、構わない。

 私の疑問に、彼は苦笑して肩を竦めた。ローストビーフが理由であっても釣られて来たのではないか。そうした仕草で会話をこなすことにも、疑問を持つことはなくなっていた。

 それが友情の証しなどというつもりは毛頭ない。私たちにそうした感情を殊勝に確認するシーンなどなかった。

 そりゃ、当然だろう。いくらハンターと吸血鬼という珍しい関係であるからといって、いい歳をした男同士。そんなほの温かいようなこっぱずかしいような。そんなやり取りをするような性格ではなかった。

 私とて、そのときはまだ吸血鬼然とした態度が今よりもずっと強かったはずだ。今となっては、そのときの心情を克明に覚えてはいない。生活に適応していく中で、心情とは流動していくものだ。

 私はその後、五百年ほどの永い時を旅している。その分、流動したものも多い。それでも、大切なものをなくしているつもりはなかった。

 例えばそれは、友との時間やそのさまざまな姿だ。なくしていないそれは、山のように刻み込まれている。


「ラツェナド、ワインはあるか?」

「君、年々図々しくなってくるな」

「五年も経てば慣れもするだろ」


 そうか。それなりに時間が経っていたのか。

 人間と吸血鬼の感覚の違いはありとあらゆる場所にあるだろう。捕食者と被捕食者としての違いは大きい。だが、下手をすれば最も強く認識するのは、体感時間の違いだ。

 彼にとっては、五年はきっと長いのだろうと想像することはできる。同じ時間を生きてきたのであるから、そこにある思い出に変化はない。

 だから、単に体感が違うだけだ。だが、その差は瞭然としている。私にとっては、瞬きするよりはいくらか長い。その程度の時間が、彼にとっては、五年もと評する時間の流れなのだと理解させられる。

 そうだ。私はどれだけ共有していても、分かるだけだった。それで何か問題があったかと言われると、そうではない。私と彼の間に、その影響が及んだことはなかった、だろう。

 彼の最期のそのときが来なければ。

 と、思わずにはいられないのは、私側の問題であるのだろう。しかし、そのときになるまで、私はやはり分かっているつもりでしかなかったのだ。自分たちと人間の体感の差を。

 ひいては、命の差を。

 それを体感したのは、彼が死ぬそのときだったのだから、愚かだっただろう。とはいえ、彼の死は寿命ではなかったのだから、私が急であったと思ったのは何もおかしくはなかった。

 小競り合いの続く世界は、ハンターである彼に優しくない陰惨な戦闘を引き起こしてしまったのだ。私が到着したときには、彼はもう絶命間際だった。

 私たちは友人関係であったが、どちらかがどちらかの戦闘を必ずしも助ける協力関係などにはなかった。友人であって相棒ではなかったのだ。

 だから、私がその場に駆けつけたのは、大きな力の波動を感じたからに過ぎない。偶然だった。それを良しとするか悪しとするかは、何百年経っても答えが出るものではない。

 でも、後悔はなかった。あの最期の一時をなくしてしまいたいと思ったことはない。

 別れも何もなく、彼の命を取り零していたかもしれない。その道がなかったことには、感謝をしている。

 ただ、最期のときに時間はなかった。彼は過分なことは何も……名残惜しむような、別れを惜しむような、そんなことは何も言わなかったのだ。

 ただ、私が隣に駆け寄ったことに、緩く唇を持ち上げた。たったそれだけが、彼にできる最期の身動ぎであったのだろう。そんな状態に、私からも何も返すことはできなかった。今までの感謝も何も出てきやしない。

 もちろん、私たちの間にそうしたやり取りは無用だった。死に際にそばにいる。その状況だけでも、彼はそれでいいのだと納得していたはずだ。私とて、それ以上の何かを求めたりはしていなかった。

 しかし、私にはそれ以上の何かをする手立てがなかったわけではない。私は吸血鬼だ。人間を転化させることができる。

 そのころの私は、人間から血を摂取していた。今となれば、全盛期と呼んでも違わない力を有していただろう。そのときの私が異能を使って彼に噛みついていれば、吸血鬼にすることもできた。

 しかし、それは賭けである。仮に吸血鬼の万全の力が備わっていたとしても、人間側に適性がなければ吸血鬼にはなれない。彼がそうなれるか否かは、賭けでしかなかった。

 これが死に際でなければ、試すこともしたかもしれない。一度でできずとも、複数の噛みつきで転化を成功させた例もある。

 しかし、死に際では回数をこなせない。たった一度きりで彼が間違いなく吸血鬼になれるかは、どうしたって賭けだった。そして、私はその賭けにチップを乗せることはできなかったのだ。

 それは、失敗してしまう惨めさに怯えたわけではない。いや、それ自体もあっただろう。ただ、そのときはそれよりも、彼の意志なく吸血鬼にする下劣な行為をしたくはなかったのだ。

 吸血鬼として、無体に踏み切れない。種族としてのプライドだっただろう。だが、それよりも、もうひとつ譲れないポイントがあった。

 彼はハンターだった。吸血鬼となれば残らず殲滅するような狂気のない。平和的で誇り高きハンター。

 彼を吸血鬼にすることなど、到底できなかった。意志の確認ができぬ状態では、尚のことだ。

 そうして、私は彼を見送った。

 悲しいことだ。虚しいことだ。生まれて初めて、心を通わせた人間が亡くなった。その痛みは私の力を削って、その後しばらく屋敷から外出できなくなったくらいだ。海よりも深い悲しみに暮れて、私は長い間引きこもり生活を送った。

 彼を吸血鬼にしなかったことは、正しいと信じている。その正当性は揺らがない。だが、正しさとは別に、後悔がないわけではなかった。それは、生まれ変わりを即座に考えるほどには。恋しい気持ちは未だに胸に巣くっている。

 だからこそ、私はどうしても似ているところを探し、姿を重ね合わせている。

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