第12話

「私はシェラと会う前より、人間の友がいたことがある。落ちぶれたような言いざまをするのはやめてくれ」

「友、ですか」


 心底、理解不能という顔だ。これで弟子をやっていたと言うのだから、何の冗談かと笑いそうになる。


「そうだよ。君と私は違う吸血鬼であることを認識しなさい」


 師である自覚はない。しかし、こういう言い回しをすれば、シェラが弟子として口を閉ざすことが分かっている。これを実行し続けているから、シェラは弟子と誤認しているのだろう。

 プライドの高い吸血鬼を手懐けるには、それくらいの手綱が必要だったのだ。この子は放置しておけば、面倒なことをしでかしかねない少女だった。

 当時の彼女は百歳にも満たない歳だったはずだ。そのころから三百年以上が経っている。ちっとも性質が変わっていないことには、呆れるより他になかった。


「伴さん!」


 シェラが黙っている隙間に、大きな声が投げかけられた。こちらへやってくるのは、ハンター協会の会員だ。腕章をつけているのが、独立しているハンターとの違いで分かりやすい。

 協会の青年は、伴君のそばへと駆けつけてきた。


「ああ。こいつ。シェラだそうです」

「受け取りますか?」


 青年はシェラと伴君を見比べて、手を差し出してくる。しかし、伴君はシェラを引き渡すことはなかった。

 捕縛した吸血鬼は、漏れなくハンター協会に連れて行かれるはずだ。躊躇の理由が分からずに様子を見ていると、伴君の瞳がこちらへ向いた。

 探るような瞳の中身は分からない。私たちの間には、信用や信頼は無論、一般的な交流すらもないのだ。アイコンタクトが滑らかに行われる道理があるわけもなかった。


「……うちで話を聞いて連れて行きます」

「分かりました。気をつけてくださいね。何か道具をお渡ししておきましょうか?」

「ちゃんと整備してあるので問題ありません。では、これで」


 協会に差し出さない道があるらしい。その選択を示そうとしたのだろうか。だとしても、私に疑問を寄越す意味が分からない。

 伴君は青年に頭を下げると、シェラの腕を引いて移動を始めた。置いていかれるつもりもないし、ここにいたって青年も困るだろう。

 いくら溶け込んでいると言っても、私は吸血鬼であるのだ。伴君の観察対象だとは周知されているだろうが、だからと言って、伴君不在時に対面して完全にスルーしていいものか。その逡巡はあるだろう。

 私は伴君の後ろを徒歩で追いかけた。緊急事態でもない限り、飛行移動するつもりはなかった。


「どうして、君の事務所で話を聞くことにしたんだい」


 伴君とシェラが和気藹々と会話するわけもない。沈黙だらけの道中に、私は問いを投げ落とした。自分では単に疑問だったことを口走っただけに過ぎない。

 しかし、伴君はとても不思議そうな顔でこちらを向く。


「お前の知り合いだからだろ」


 さくりと零されて、目を瞬いてしまった。伴君は眉を顰めて、私に首を傾げてくる。慮ることを常としている人間の仕草には、苦笑してしまった。

 シェラも意味が分かっていないことだろう。私ですら、その気遣いを察するに説明が必要だったのだから。シェラともなれば、今もってなお、伴君のお人好しっぷりは理解の埒外なはずだ。


「気を遣うことはなかったのに」

「仮にも弟子なんだろう」

「仮だと分かっていて、その対応か。君は甘すぎるんじゃないのか。シェラの力がまま凶悪なのは感じ取れているのだろう」


 吸血鬼の異能は、正確に人間が汲み取れるものではない。しかし、ハンターには経験則があるし、不気味さを感じ取れる人間というのはいる。いわゆる、第六感というものだ。見えるものには見える。同じように、察せられるものは察せられるというものだ。

 そして、伴君は抜け目なく察知していた。


「それでも、お前のほうがずっと強いんだろう?」

「私を当てにするんじゃない」

「協力関係と言ったのはそっちじゃん」


 不思議な感覚は共有していた。相手へ対する許容範囲の広さ。初対面にして、軽々しく冗談を交わせる距離感。そうした緩さは持ち寄っていた。

 ただし、実力込みでこちらを認めるような発言をするほど砕けていたとは知らない。私のほうには、生まれ変わりという発想力もある。しかし、伴君にはそうした情報はないはずだ。協力関係をこうもまともに受け入れるとは。


「そもそも、今の私にはその力がないが?」

「いざとなったら、俺の血でも渡せばいいんだろ」

「ハンター。もう少し、先行きを考えて発言をしろ。そんな危ない賭けみたいな行動は、ハンター人生を縮めることになるぞ」

「事務所に吸血鬼を貶められる環境が整っていないわけがないだろ」

「お前ごときの装備で覚醒したラツェナドを止められるものか」


 私たちの会話を静観していたのか。伴君と話す気がなかったのか。連行に従っていたシェラが剣呑な調子で口を開く。鋭い視線が伴君を貫いていた。


「ラツェナドを評価しているんだな」

「師匠だ」

「じゃあ、弟子ならば俺でも押さえ込める可能性はあるか? 師匠」

「伴君が油断しなければね」

「どうしてそんなことを言うのですか、ラツェナド」


 シェラが不満げにこちらを見る。それはシェラの実力を晒したからか。それとも、伴君と実力が拮抗すると断じたからか。牙を見せる表情は、不満主張の癖だった。


「ハンターのテリトリーに入るというのはそういうことだよ」

「どうしてそのような知識があるのですか」

「経験の違いだね。私はハンターの家に遊びに行ったこともある」

「まさか」


 目を見開くシェラが、伴君を見る。今ある情報を精査すれば、そうなるのも当然だ。しかし、伴君にも心当たりがない。こちらも驚いた顔で私を見ていた。そんな視線の連なりを見せられても困る。


「伴君の部屋を訪ねたことはないよ。経験の違いだと言っているだろう」

「遊びに行ったってどんな経験なんだよ」

「自由な吸血鬼生を謳歌しているだけに過ぎないよ」


 からりと笑うと、伴君は呆れた顔をした。

 その内容を咀嚼することはできなかったので、肩を竦めて自分のペースで歩き進める。伴君もそれ以上はこの場で話を広げなかった。

 シェラが伴君に声をかける理由はない。というよりも、話しかけようとすら思わないだろう。シェラの高慢さは昔からだが、それにしてもこれほどひどいとは知らなかった。

 思えば、シェラが私の弟子として訪ねてきていた期間は、私に人間との付き合いはなかった。つまり、シェラと人間がこうして対面しているのを見るのは初めてのことだ。知らなかったのは当然で、ひどさに直面するにも初めてで当然だった。

 この状態で事務所に連れて行ったところで話ができるのだろうか。疑問でしかないが、伴君はさも当然のように進んでいく。迷いも不安もなさそうな平板な顔だ。

 シェラが黙ってついていっているのは、銀手錠に拘束されているからだろう。そうでなければ、脱走を試みているほどに機嫌はよろしくなさそうだった。

 先の展望は読めないが、順調な想像はしがたい。これを自ら引き寄せるのであるから、伴君はやはりお人好しだ。それも、私の知り合いだからという理由だけで。どうすれば、これほど善人でいられるのか。

 不思議な男だ、と再び似たような感想を抱きながら、私はよそに外れることもなく、伴君の後ろを追いかけ続けた。

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