第三章
第13話
「で、何をしようとしていたんだ」
伴君の事務所は簡素だった。応接間のような一室のみ。お手洗いとは別に扉があり、そちらは居住スペースになっているという。
部屋の造り的に見て、あちら側だけ広大な部屋があるとは思えない。居住スペースも同じようなものだとすれば、伴君の生活は好調とは言えないのだろうか。それとも、年若くして個人事務所を持っているだけ、上等なのか。
相場が分からないので、伴君の生活水準を計ることはできなかった。人様の家に来て、まずそんなことを測ろうとするのは不躾だろうが。
伴君は私たちを拘束する設備が整っているかのような口振りだった。しかし、そんな気配もない。病院の待合室よりも、暇を潰せるものさえ見当たらなかった。そんな環境で、よく無効化を狙えるような発言ができたものだ。
方便も何のそのであるのだろうか。伴君から手練手管というスマートさは感じられなかったが。才を隠していることはあるものだ。
どんなに言っても、敵対関係を無にできることではない。隠しナイフでも奥の手でも、胸のうちに眠っているものはあるだろう。そこまでを晒せとは思いやしない。
むしろ、そこまで無防備かつ愚行を犯すのであれば、締めなければならないくらいだ。だから、隠し球があることはいい。だが、どうにもお粗末さが拭えなかった。
実際、伴君はシェラをソファに座らせただけにしている。新たな拘束具をつけることもない。彼女を縛っているのは、今なお銀手錠だけだ。それだけでも、動きを封じ込められている。それは間違いないが、十全とは言い難かった。
吸血鬼とて伏せ札もあれば、火事場の馬鹿力もある。そんな力を解放すれば、他のハンターたちにまで駆けつけられてしまう諸刃の剣ではあるが。使おうと思えば使えるものはあるのだ。
リスクに見合わない。または、下等生物相手に本気になるのが見苦しいから使わないだけで。
これでシェラが本当の命の危機に貶められていれば、それを使うことも躊躇わないだろう。だが、そうでもなければ、悪足掻きなどというみっともない姿を晒すことはない。
そう考えれば、適度な拘束に収めているのも、捕縛のひとつとして間違ってはいないのか。はたして、これが伴君が意図して作り上げた構図なのかは、いまいち信用がおけない。ラッキーパンチであるような気がした。
とはいえ、勘で掴まえているのであれば、それもまた伴君の才能のひとつであるのだろう。当人が困っていないのであれば、私が拘泥することでもない。
「シェラ、答えないというのなら長丁場になる覚悟をしてくれ」
夜中だ。伴君の事務所には、遮光性の高いカーテンがかかっている。このまま、明日の夜まで私たちを閉じ込めておくこともできるはずだ。長丁場に嘘はひとつもないだろう。
それでも、シェラが口を開く気配はない。長い息を吐いた伴君は、そのままソファに身を沈めて腕を組んだ。長丁場になるにしても、まさか何の手すさびもなく待ち続けるつもりなのだろうか。
行き当たりばったり、というか。何とも気の長いことだ。それは感心するが、退屈なのは勘弁して欲しい。ふらりと立ち上がると、伴君の瞳がこちらを向いた。
「帰るのか?」
「どうして?」
「……何をするつもりだ」
そもそも、私が帰るのであれば、このハンターは見過ごすつもりだったのだろうか。まぁ、押しかけたようなものであるから、帰ってくれるのは万々歳なのかもしれない。代わりに、シェラへの油断を誘えなくなるだろうに。
「私は自由にしているから」
「人の事務所で自由にするのはやめろ」
「暇はごめんだ」
きっぱりと言いつけながら、私はフラフラと室内を見て回る。面白いものがないのは、見ただけで丸わかりだった。少し見て回るくらいでは、やっぱり面白いものは見つからない。その様子に、伴君が深いため息を吐いた。
「何があれば暇じゃないんだ」
呆れたような伴君は、私に妥協するつもりでいるらしい。追い返してしまえばいいと言うのに、何とも人が良いのか。
シェラとの交渉のために置いているという思惑くらいはあるのかもしれないが。それにしても、譲歩の歩数が多過ぎて、さすがの私にも恐縮なんて心情を芽吹かせるほどだ。
友と違うというのは、私の感傷でしかない。単純に、慣れていないだけとも取れるので、判断は早計かもしれないが。
「ゲームでもするかい?」
「お前と俺が?」
「何だい? 私たちがやり合えば、何か緊急事態にでもなると?」
「お前が本気にならなければ」
「君が本気にならなければね」
静かな視線の攻防が開始される。話すだけでも暇は潰せるが、せっかく立ち上がった動きを無駄にするのももったいない。私は肩を竦めて、たった数歩で済む室内を歩き回った。
「……トランプくらいならあるぞ」
「事務所で何をしているんだい? 君は」
「お前が振っておいてひどい言い草だな。それにトランプは居住スペースのどこかにだよ」
「まさか私をそっち側に案内してくれる大奮発でもしてくれるわけか?」
事務所に連れ込んでいるだけでも、ハンターとしてはやり過ぎなくらいだろう。
今の伴君の感覚を綿密に察せられているとは思わない。それでも、これが気遣いによる処置であり、常に使われる手段でないことは分かる。いつもは協会へ送り届けているはずだ。
それくらいに、ここの装備品は心許ない。いくら奥の手があったとしても、まさかヒーローの秘密基地のように、可変式の設備が出てくるなんてことはないだろう。むしろ、そこまでやっているのは引く。異能を持つ私たちからしてみても、現実的ではない。
「勝手には入れないだろ」
「なるほど。だから、余裕綽々なわけか」
吸血鬼は招かれなければ、建物に入れない。古くからある身に宿された習性だ。どうにもならずに立ち往生するしかない。
事務所のほうは開かれているし、許すつもりがあるのだろう。住居スペースはそうではない。好奇心で扉の前に向かっても、侵入は罷り通らなかった。これだけ気を抜いている様子の伴君でも、自宅を守る意志はあるようだ。
さすがに、そこまで不思議の効力はないか。
「トランプのために本気で危険を冒すわけないだろう?」
「君もそういう駆け引きができるんだな」
「お前を相手に油断すれば付け入れられるのは分かってるからな」
「私がいつ君に付け入ったのか聞かせて欲しいものだ」
どちらか一方がどうの、という関係にはないはずだ。しかし、伴君は少しも口ごもることはなかった。
「今、こうしているのが、十分に付け入った結果だと思っていたが?」
「さて、記憶にないな」
けろっと返せば、伴君は片眉を持ち上げる。私がとぼけていることなど、探るまでもない。伴君も追及するようなことでもないと断じたのか、会話を畳んだ。私も扉の前を離れて、シェラの隣に腰を戻した。
シェラの瞳が私を捕らえ、それから伴君へと走り、そしてまたこちらへ戻ってくる。思索しているのは分かるが、何を思索することがあるのかは判断がつかない。
「何故、ラツェナドはこのハンターを認めているのですか」
そんな誇大なことではなかった。実力の分析で結んだ関係ではない。もっと漠然とした感覚だけを頼りにしていて、他人からすればとてもふざけたものだ。
シェラなど到底納得しないだろう。私だって、私のことでなければ、疑念の目を向けざるを得ない。苦笑いになった私に、眼前で伴君も同じようにしていた。恐らく、向こうも同じように思っているのだろう。どう考えたって、周囲の理解を得られる気はしない。
「協力は協力で、それ以上はないよ」
「では、何故そのように軽快な会話をしているのですか」
「会話くらいするものだろう? 何がそれほど不思議なことがある?」
聞きながらも、答えは分かっていた。シェラにしてみれば、十分にあるのだろう。会話ができないとは思っていない。しかし、下等生物と価値観が合うとは思っていないはずだ。
「砕けているのが気に食わないです」
「私の振る舞いをシェラに指図される謂れはないでしょう」
不遜に言い放てば、シェラは口を噤む。面倒な子でもあるが、取り扱いは易い。
「それで、シェラは何をしていたのか話す気はないのか」
黙ったタイミングを見計らったのか。シェラのだんまりが一時的に解除されたことに便乗したのか。伴君が口を挟んできた。
そこまで貝も同然だったのだから、微かな隙に捻じ込みたかったのだろう。しかし、シェラは伴君に対して、まるきり反応を示さなかった。私を相手にしているのとは雲泥の差だ。
「シェラ、答えてやればいいんじゃないか」
「ハンターが解するとは思えません」
「そんな特殊な事情を実行に移していたというのなら、それこそハンターは見逃してはくれないだろう」
シェラはただの気まぐれを起こしただけに過ぎないのかもしれない。吸血鬼とはそういうところがある。だから、詰めたところで返答があるとは思わない。だが、突けば気まぐれの適当な話くらいは引き出せる可能性はある。私であれば、尚のこと。
シェラはしばし目を逸らして不貞腐れるような態度を取っていたが、じきに諦めたようだ。どうこう言いながらも、師としての取り扱いから外れることはない。
私の何がそれほどシェラの気を惹きつけているのかは、ついぞ分からないままだ。実力差を認めているだけに過ぎないのかもしれないが。何にせよ、私に従う気があることは役に立つ。
少なくとも、今は上手く取り扱う術となっているのだから、意味はあった。
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