第8話
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観察対象にされたところで、生活が劇的に変わったわけではなかった。私は自由な夜を謳歌している。
考えた不自由なんてものはまるでない。それどころか、伴君以外のハンターを見かけても気にしなくて良いのは、相当に気が楽だった。
その分、伴君を見かけることは増えたが、それは予想済みのことだ。観察対象にしたからには、観察実績がいるだろう。私が面白さで肯定して手続きしたのだから、当然のことだ。
勤務地と居住地のそばをパトロールの順路に組み込んでいるようだった。しかし、接触してはこない。よろしくと言った手前、てっきり交流を持つものと思っていたのは違ったようだ。
それとも、やはりハンターが吸血鬼と交流を深めているというのは、体裁が悪いのだろうか。
どれだけ共存社会になったと言っても、いざとなったときの迷惑の掛け方が尋常ではない。人間の脅威になるものだから、知らぬものにしてみれば恐怖の対象だ。
それから身を守ってくれているハンターのヒーロー度は高い。そうした意味では、人気商売でもある。人の目を無視することは避けられない。そして、その中には捕縛対象とプライベートで仲を深めることを忌避する目もあるものだろう。
だとすれば、パトロールに留める理由も分かる。ただ、どこか物足りなさを覚えた。友と同じようだ、と思えたことがその脱力を深くしているような気もする。
とはいえ、私の自由に影響が及ばなかったことは僥倖だった。安全を無利子で手に入れられたようなものだ。快適度は増して、私は上機嫌な日々を送っていた。
日が沈んだころ、遮光カーテンを引いた自室の棺桶で目覚める。食事は血液パック。人間社会で手軽に入手できる食事があるのは、ありがたいことだ。
施設から正式に購入している。申請の手続きはいるし、身分証を差し出さなければならないのでいくらか手間はかかる。それでも、一度手続きしてしまえば、後は身分証の提示のみなので、電子決済の確認とさして差はない。
だが、申請時の手続きは面倒だった。かなり綿密な調査を受ける。過去、百年に遡って人間を襲った公的な記録が残っていないか。伝承を含めて細かくチェックを受けた。
悪辣なものならば経歴を隠そうとするかもしれないが、そもそも悪辣ならば申請を通して血液パックを使おうとしないだろう。
直接の吸血と鮮度を比べるべくもない。また、人の皮膚に歯を立てる。そのことに快楽を得ているものもいる。そうなっていると、他の手段など……ましてや、人間が用意した制度など、利用しようとは思わない。
残念ながら、吸血鬼の多くは人間を見下している。私もその視点をすべてなくせているとは思えない。
これだけ便利なものを発明する社会性のある生物だ。それは尊重すべきことではあるが、見るべきところもある程度。そうした尊大な感情で、世間を俯瞰していた。
とはいえ、日頃から誰彼構わずに不遜な態度を取るのは紳士的ではない。高潔たる吸血鬼であるから、そのような愚かな真似はしたくなかった。ただし、それもまた吸血鬼の矜恃がそうした状況を作っているだけだろう。
それでも、私は関わる人間に心を砕くほうだ。バイト先の店長や社員、バイト店員にも、尊敬の念はある。年若くとも、きびきびと働く姿は気持ちがいい。
彼らは生まれたときからコンビニというものの存在を認知しているから、まったくの異物へ飛び込むことではないだろう。私のように。よく分からない業務形態をした新しい店舗、などという先入観は存在しない。
夜を生きる私たちにとって、コンビニの台頭とは、またひとつ生きる場所と時間を奪われるような心地がしたものだった。人間に私たちを脅かすつもりなど更々なかっただろう。しかし、世の治安が良くなり、技術が発展するにつれて、私たちは脅かされていった。
それまでも、私と友のように交流を持ったものたちはいただろう。だが、それは個人のもの。少数派であったはずだ。
昼と夜の住人。相容れぬ存在が共存するのに、何の約定もなく成立するはずもなかった。いくら人間にも夜型や夜勤があると言っても、夜を生きているものとは違う。
私たちは太陽の下で生きることはできない。暗幕や遮光カーテンで部屋の窓を遮らなければ、自宅の中でさえも満足に朝更かしもできないのだ。
同時に、人間もまた、私たちの食事には思うところがあって当然だった。この溝をどうやってつめたのか。経緯は想像がつかないが、長きにわたる睨み合いは、あるとき幕を下ろした。
多くの吸血鬼は喜んだものだ。見知らぬ明るさを持つようになった町を歩き回れることに。永い時を生きていると、新鮮な刺激に飛びつくことが愉しさになる。そうして、その性質を遺憾なく発揮して人間社会に溶け込んだ一人が私というわけだ。
今回もその性質を存分に発揮し、ハンターの観察対象などという面白い立場に立ってみた。
正直に言えば、肩透かしを食らっている。淡々と家と散歩とバイトを往復する日々。それが変わるのではないか、そんな期待を抱いていたのかもしれない。友のようなものに出会えた。その時点で、日常は変化している。そのために、更なる激変を求めていたのだろう。
つまらない。
長年、そう感じることすら麻痺していたかもしれない。あんな未熟なハンターにそれを突き動かされていると思うと、釈然としない気持ちにもなる。しかし、それもまたどこか面白さを感じていた。何にしても、心乱されていることに変わりがない。
伴君にはそんな自覚など毛ほどもないだろう。今日もまた、私に接触することなく、パトロールを続けるに違いない。
一週間。おおよそ、伴君のシフトを掴めてきた。吸血鬼次第のハンターのそれは、当てにはならない。けれど、伴君は堅実だ。観察実績のための動きは読みやすかった。私の出勤時間、帰宅時間などを読んでその当たりをうろうろする。ストーカーのようなやりざまだった。
中二日ほど休日がある。また、事務所を依頼人が訪ねてくる日もあるのだろう。観察ができないときは、朝方にマンションを見上げにやってきているようだった。慎ましいことだ。
しかし、面白くはなかった。そして、それを見過ごしていられるほど、私は大人しくはない。
よし、とグラスに移した血液パックの液体をすべて飲み干して、気合いを入れて席を立った。受け身でいるつもりがないのだから、私から動くしかない。
グラスを洗って、身支度を調える。髪留めのリボンは赤。ジャケットはいつもよりもフォーマルめなものを選んだ。布が厚めで重さがあると、しゃきっと背が伸びるような気がする。インナーはラフな白いシャツにして、カジュアルさを追加した。
改まった気合いが表に出ることは避けたい。人間ごときにお洒落しているとは知られたくないものだ。やはり、どうしても種族としての立場を忘れることはできない。こればかりは、友がいようと何だろうと変わりはなかった。
身支度を終えて、マンションを出る。心なしか軽やかな足取りで、とんとんと階段を下りた。四階というのは、面倒な高さだ。
しかし、私たち吸血鬼にしてみれば、このくらいはどうということはない。身体能力が高く、体力も多いのが吸血鬼だった。これは比較対象が人間の話だ。他の種族と比較すれば、また事情が違ってくる。
だが、食事をしたばかりの吸血鬼というのは、色々な能力が上昇するものだった。私の場合は、魅了と変身が主であるから、人間社会で生きている以上利用する機会はない。
その分、体力に回されるものだから、疲れ知らずだった。そうしてマンションを出ると、三日月が町を照らしている。影の中を渡り歩くように、夜道を進んだ。
いつも通りの散歩だが、気持ちの持ちようだけで景色が違って見える。自分のチョロさには苦笑いが滲んだ。だが、何かをしようと思えば気持ちが盛り上がるのは自然だろうと開き直る。つまらない苦さに拘泥して、面白さを逃がすつもりはない。
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