第4話

 伴君のような善良なハンターは協会に入会しているだろう。こうした公式なハンターは、思考試験もあるらしい。吸血鬼に対して過激な思考を持っているものは、資格試験の時点で弾かれる。

 そうして弾かれながら野良で活動するものもいるが、それはつまり過激派だ。私と気長な歓談を交わす伴君が、そのような物騒なハンターであるとは思えない。

 吸血鬼とも常識的な会話をしている。その人間が友好的な交流に疑問を抱くとは、どういうことなのか。

 私は目を細めて疑念を探ろうとしてしまった。


「私には人間の友がいたことがある。楽しく過ごしていた」

「……そうか」


 懐かしき日々には寂寞もある。

 しかし、愉快で煌めいていた月夜の晩は、楽しい日々であった。その二つは矛盾なく成立している。私にとっては、感慨深いものだ。


「君はハンターだし、私たちとの友情などは信じられないかい?」

「いや、」


 言葉の間を埋めるかのように、二度三度首を左右に振られる。天然なのか。ひょこひょこと跳ねている髪の毛が揺れた。それから、おもむろに口が開かれる。


「世間の吸血鬼もお前と同じように考えてくれれば、俺たちも平和な世界を守れるんじゃないかと思う」

「これはこれは」


 初対面の人間に伝えるにしては、重めの発言だ。そして、掲げている理想論も壮大だった。

 馬鹿にするつもりも、夢見がちだと揶揄するつもりもない。しかし、それにしても理想が高かった。もちろん、そうした世界であれば、今よりもずっと安心して過ごせる。理想で言えば、私も同じものを持っていると言っても過言でもない。

 けれど、夜を過ごしていれば、叶えることが難しい理想であることも分かるだろう。伴君だって、いくら年若くても、それが分からないハンターではないはずだ。


「青臭いと言うんだろ」

「自覚があるのなら、理想を掲げることは悪いものじゃないさ。惰性で仕事をこなしているよりは、ずっといいだろう」

「ラツェナドは本当に人間に友好的なんだな」

「まったく出会ったことがなかったのか?」


 ハンターがどれだけの吸血鬼を捕縛しているのか。それは町ごとに違うものであるし、伴君がどれほど活躍しているのかも分からない。

 ゆえに、私のようなものとの遭遇がなくてもおかしくはないが、しかし、ハンターとは他の人間に比べれば吸血鬼と遭遇するほうだろうに。


「まったく、ってことはない、と思う」

「曖昧なものだな」

「俺はそう思ったことはあるが、確信は持てない。どうしたって感覚が違うものだろ? その感覚を埋められている気はしないし、正直よく分からない」

「そんな内心に意識を向け過ぎるなら、何に置いても不安は消えないでしょ。少なくとも、表面上でも取り繕う気配がある吸血鬼は、友好的だと考えていいはずだ」

「そんなものかよ」


 伴君は馬鹿真面目のようだった。それとも、考え過ぎて坩堝に陥っているのか。こういうものは、一度泥沼に嵌まると抜け出せないものだ。

 何より、ハンターという職業柄、考えることは山積されているだろう。今晩の吸血鬼騒ぎで考えることがあったのかもしれない。


「そんなものさ。私のことを友好と思えるのなら、他の吸血鬼も同じようなものだよ」


 暴論だろう。しかし、割り切らなければやっていけない。ハンターともなれば尚のこと。伴君は苦々しい笑みを浮かべる。


「不思議なもんだな」


 ようよう絞り出された感想は、脈絡が読めない。首を傾げると、伴君はくしゃりと髪の毛を掻き混ぜた。天然の毛先が飛び跳ねる。


「ラツェナドが友好だとよく分からないうちに思うんだよ」


 そう目を細めた伴君の姿が、かつての友と重なった。

 右目の泣きぼくろが、オーバーラップを強くするのかもしれない。思い出せるひとつひとつの個性が、ぴたりと嵌まる。

 何百年も生きていれば、生まれ変わりなんて話をごまんと耳にした。吸血鬼を始め、エルフなどの長命種の中では、それは伝説ではない。かといって、確実性があるわけでもないのだけれど。しかし、可能性を否定もできていない。

 長い歴史の中で、そういうことがあった、と。そういうふうに話すものは、一時代に幾人かは出てくるものだ。

 私だって、与太話とも呼ばれるものを一から百まで信じているわけではない。いくら生き証人がいたとしても、生まれ変わりなど証明のしようがない。悪魔の証明だ。

 そのため、不透明なままである。私の中でも、曖昧なままになっていた。その天秤が一方向へ傾きそうになる。

 そんなものは幻想でしかないというのに。自分が友へ過剰に執着しているのも分かっている。そんな判断力に任せるほど、向こう見ずのつもりはなかった。


「やはり、君は善性の塊なんだよ。その穏当な心で平和を求めて励みたまえ。今日はお疲れなのだろう。早く家に帰って埃を払って休むといい」

「ああ。悪い。初対面で話す内容じゃなかったな。そっちこそバイト帰りだろう。気をつけて帰れよ。陽は大丈夫か?」


 まったくもって善人だ。社交辞令にしては、吸血鬼の習性にまで思考が及んでいた。

 もちろん、こういうふうに言う人間がいることを私はよく知っている。しかし、こうして町中で遭遇すると、どうしたって意外性が強いのだ。


「問題ないよ。隣のマンションの出入り口はそこだからね。影の中を移動すれば、私たちだって陽の光に耐えられるのは君とて知っているだろう?」

「吸血鬼によっては、陽の中を歩けるものもいるとさえ聞いたことがあるが」

「それは人の血をかなり吸血して能力が高まっている高等吸血鬼の話だろうね。私たちなどの一般的な吸血鬼では、いくら吸血を多くしたところで、一時的に耐えられるに過ぎないよ」

「それでも耐えられるのか」

「不可能ではないね。しかし、現代社会でそんなことをすれば、吸血のレベルで殺人事件としてしょっ引かれて実験台だろう」


 伴君は寸秒で苦い顔になる。その反応ポイントは、殺人事件という物騒さか。それとも、実験台という不穏当さか。

 伴君を始めとして、彼らは認めはしないだろう。しかし、協会へ引き渡された吸血鬼は、その特性を調査するための協力を求められるのだ。その内容は公には秘匿にされている。

 人道……人ではないのだから、人道に悖ることもないとは言い切れない。こればかりは、各街へ支店のある協会の方向性に一任されるものだが、実験台にされていることはあると聞いていた。

 無論、捕縛されるようなことをした吸血鬼に過失がある。その罰則のひとつであるのだから、何かを言えた義理はない。そして、協会内のことを一介のハンターに言ったところでどうしようもないことだ。

 私はそこまで好戦的かつ、革命的な思想は持ち得ていない。平和を願っていても、それは自分の世界の話だ。世のすべてを平定できるだなんて、夢物語を打ち立てるほど無謀ではない。小規模で矮小だろう。

 伴君は強い思想を胸に抱いているのかもしれないけれど。


「だから、するものはほとんどいない。今の吸血鬼にそこまで無謀な輩はいないだろう」

「今日のやつは、ともすると、だったよ」

「凶悪犯とは一定数現れるものだ」

「例外はないんだな」

「たとえ、人間であろうと吸血鬼であろうと、ね」


 世知辛い世の常だ。初対面で話すには、やはり間合いがおかしい。

 私自身、いくら友好であったとしても、ここまで打ち解けるほどガードは弱くなかったはずだ。

 この世の理不尽の末、自分の腕の中で消えていった体温を嘆いた。その過去は纏わり付いて離れない。もう二度とあんな思いをするのはごめんで、私はあの思い出をなぞるつもりはなかった。

 異種族の交流は一筋縄ではいかない。私はそれを身を持って知っている。時代が変わったとしても、変わらぬ醜さは脈々と受け継がれているものだ。

 しんみりとした空気に、苦々しさが迸る。お互いに、苦笑を取り零した。


「……私を放って置いていいのかい?」


 その狭間に漏れたのは、一応の確認だ。

 友好的であることを示した吸血鬼が捕縛されることも、観察対象になることもない。だが、それは個人の裁量の問題だ。

 伴君にそのような疑り深さはないだろうが。それでも、確認する警戒心の持ち合わせはあった。どれだけ彼の面影を重ねていようと。普段信用もしていない生まれ変わり話を引き出してくるほどであろうとも。


「俺が観察する理由がない。ラツェナドは何もしていないだろう」

「吸血鬼が人間へ対し侮蔑的な発言をするのは、それだけでも十分観察対象になり得るものだろう? 厳しい社会であることは私だって分かっている」

「そのわりには口が軽いように思えたが?」

「さぁ? 不思議なものだな」


 空惚ければ、伴君はくつりと喉を鳴らした。台詞を混ぜっ返したのが分かったのだろう。会話のテンポや波長が合っている。

 それでこの先の何かが変わるだなんて、このときの私にはまったく想像ができていなかった。伴君にだって、想像できていなかっただろう。


「大人しく帰るんだな」

「そうか。それじゃあ、失礼するよ」

「ああ」


 名残惜しむような挨拶の応酬が続くことはない。それは、あえての行動であったかもしれないが、私はすぐに踵を返した。影の中を移動するように、マンションへと向かう。背後にある気配は、寸刻の間を置いて去っていったようだった。

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