第一章
第1話
煌々とした月夜の晩を歩く。夜に落ちる影は周囲と溶け合って、私の輪郭を朧にした。闇や影に生きる私に相応しい夜には、鼻歌のひとつでも零したくなる。
涼やかな風が、結んだ長い髪を梳いた。昔のようにマントを着ていれば、ばさばさとなびいてさまになっていただろう。
けれども、現代社会でマントなんて着ていれば職務質問ものだ。悪ければ、吸血鬼として捕らえられるだろう。いくら共生していると言っても、生活に溶け込めないものは保護を免れない。
こうして都市の生活に混ざろうと決めたときに、古き良きオールドスタイルは手放した。惜しい気持ちはあるし、マントを処分したわけではない。それは私たち吸血鬼にとって、宝物と呼ぶほどに大事なものだ。きちんとクローゼットの奥に仕舞い込んでいる。こんな夜に恋しくなるほどには、未練は存分にあった。
とはいえ、マントがないだけで気が滅入ることはないよい夜だ。満月の夜は、いつだって素晴らしい。堪えようとした鼻歌が、小さく漏れ出る。夜道は一人きり。遠慮することはない。
スキップできるならばしただろうが、私は生憎運動が得意ではなかった。変身してしまえばいいのだから、運動なんてするまでもない。ずっとそう思ってきたが、こうして暮らすようになってからは不便さを感じる。
変身もマントと同様だ。気安くできるものではない。深夜であればと思うとこはあるが、ハンターに目をつけられると面倒だ。職務質問で保護されるのとは違い、一発で退治されてしまうこともある。そんな手抜かりを犯すつもりは更々なかった。
電化製品が氾濫し、利便性を追求した人間社会。そこに混ざれる権利が与えられているのだから、そこから爪弾きにされそうな危険を起こすつもりはない。
吸血鬼の中には、まだまだ人間を襲って生活しているものもいる。そうしたものから平穏を守るため、ハンター協会が設立された。ハンターはそこに名を登録し、日夜吸血鬼との交渉をしている。
退治といえど、最善は捕縛だ。
だからと言って、吸血鬼としての尊厳を守られるかどうかは分からない。その辺りの内情を調べられるツテはなかった。そんなヘマを犯そうという気がないのだから、調べるつもりもあまりない。
そもそも、私は人間に友好的だ。了承もなく吸血することは今までもなかったし、現在は販売されている吸血パックを利用している。他には牛乳など、血液と同じく体液となるものから栄養を摂取していた。それだけでも暮らせていける生命力を吸血鬼は有しているのだ。
私はそうして人間社会で暮らしている。深夜勤務を選べば、日光が苦手な私にも生活に問題はない。昔に比べれば、溶け込むことも楽になったものだ。
かつては、森の屋敷に友がやってくる。そのようなやり取りでもなければ、ともに過ごすことは難しかったものだ。いくらか町に下りることはあったが、殺伐としていた。あのころの殺伐さを思えば、ハンターが活躍している今の世であっても、随分と平和になったものだ。
もちろん、今の世にだって多くの不和がある。それをないものとして扱うつもりはない。しかし、あのころを知っていれば、魔力や魔術、異種族との生活は穏当である。
歩み寄りによって保たれた共存は、面白いものだ。今生を生きているものたちには、普遍的で特別ではないのだろう。しかし、私にしてみれば愉快極まりないほどに物珍しい光景だった。
見送った友が知ったなら、どんな顔をするだろうか。想像するだけで楽しい。満月の夜に巡らす思考としてはとっておきだ。私はふんふんと鼻歌を歌いながら、バイト先のコンビニへと向かう。
食費はそうかからないし、贅沢しなければ自然とともにすら生きていける。保険や年金などは、私たち吸血鬼には関係がない。そんなものだから、深夜バイトで生きていくことにもデメリットはなかった。
一人きりの吸血鬼。大きな部屋を借りる理由もなければ、セキュリティにこだわることもない。十分な生活を送ることができていた。
「お疲れ様です」
「ラツェナドさん、お疲れ様です。今晩もお願いしますね」
「ええ。お任せください」
吸血鬼は長生きである。今年で六二一歳になる私にとって、人間のお嬢さんは赤子も同然だ。
それだというのに、女子高生として学生生活をしながら、バイトもしているとは実に偉い。私のようなものにも、容易く挨拶をしてくるフランクさも凄いものだ。生まれたときから共存が当たり前になっている世代というものは、こういうものらしい。以前の記憶が強過ぎて、いつだって新鮮味を感じる。
吸血鬼というのは隠していない。
というよりも、変身もなく青白い肌を隠せるものではなかった。化粧をして隠すものもいるが、私はこのままで受け入れてもらえたこともあり、そのままになっている。今のところ、不具合は起こっていない。
私は着替えを済ませて、店舗へと出る。暗闇でも目が利く私にしてみれば、眩しいくらいの電光だ。それに目を細めながら、レジについた。
「いらっしゃいませー」
開いた自動ドアに、無意識に口が動く。ごく自然な日常だった。
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