第5話
エピローグ
魔法が使えないとわかったのは五つの時のことだ。
カイは途方に暮れて、夕焼けの街を歩いていた。
貴族はみな等しく魔力を持って生まれるというのに、王の血を継ぐカイには、まるでその片鱗がなかった。
みんながカイを侮蔑する。
「妾の子」
「魔力ナシ」
「平民の穢れた子」
カイの母親は平民だ。しかし、それのなにが悪いのか、カイにはわからなかった。わかりたくもなかった。強く優しい母だった。
「困っている人がいたら、助けなさい。それが巡り巡って、自分に返ってくるからよ」
三歳の時、母親は死んだ。その時に遺した言葉が、本当にこれだったのかは正直危うい。
それでもその言葉は、カイにとって唯一無二の、母親の遺言だった。自分はこの先なにがあっても、母の言う通りに生きようと思った。
魔物とのいさかいは、もう何百年も続いている。そして、数百年前くらいから、聖女を召喚し、その加護魔法によってこの国は守られてきた。
魔物を国外に追放し、その侵略を避けつつ、国外の魔物を討伐に勇者パーティが派遣される。
その、勇者一行が帰ってきた。
その日は盛大なパレードが開かれ、カイも例にもれず勇者にあこがれを抱いていた。
「ゆうしゃさま!」
カイは第三王子として、勇者イルに話しかけた。
「これはこれは、王子さま」
イルはカイが平民の母の子でも、他と変わらず接してくれた。
「ゆうしゃさまみたいに、僕もなれますか?」
「あはは、そりゃあ、すごいな。ソナタ、勇者になりたいのか?」
うーん、と考えて、カイはにっこりと笑った。
「誰かを助けられるにんげんになりたいのです」
一本取られた、とイルが笑った。
しかし、周りの大人たちはカイを快くは思わない。
勇者のねぎらいの宴の後、カイはしばらく仕置き部屋に入れられた。第一王子イセラと、第二王子ミリムの命令だった。
「出して! ここから出して!」
「なによ、カイ。アンタ勇者さまに話しかけて」
「そうだぞ。オマエは出来損ないなんだから、城の宴なんかに出てくるな!」
わんわんと泣いても、誰も助けになんて来なかった。
その日の夜遅く、がちゃ、と仕置き部屋の鍵が開いた。見知らぬ女性だった。
「大丈夫ですか?」
「その声……誰……?」
カイはその女性に連れられて、仕置き部屋を出ることができたのだった。
「アナタは未来で、この国を変える子。アナタと次の聖女が」
聞いた話によれば、その人こそが、現在の聖女だったのだ。
そこから、カイは聖女に導かれるようにして、イルとともに過ごすこととなった。あとから知ることになるが、聖女がカイの扱いを不憫に思い、イルの弟子という名目で王から預かったのだそうだ。
「師匠。師匠のお母さんはどんなひとでしたか?」
「俺か? 俺に母親はいない」
「え。ではお父さんは?」
「父もいない。なんだ、カイはまだ母離れできないのか?」
違います! とむきになったカイに、イルは、
「父と母のことはつらいのはわかる。だが、そういうものは大人になれば割り切れるようになるさ」
「大人になると、父上のことも母上のことも忘れてしまうのですか?」
「ああ、そうだな。大人になると、みんな、感情を隠すすべを身に着けるんだ。転んでも、痛くても、痛くないふりをして生きていくすべを身に着けるんだ。大人になるってことはな、多くの感情の殺し方を学ぶってことなんだ」
遠くを見ながら、イルが語る。この男もまた、あまたの悲しみをかみ殺してきたのだろうか。
「師匠。なら僕は、大人になんかなりたくありません」
「大人になりたくない、と。そうだなあ、ソナタには、輝かしい未来が待っているのに?」
イルは聖女からカイの未来を少しだけ聞いたことがあった。
「なに、無理にとは言わんが。ソナタの未来を、少しだけ見に行くか?」
「……僕の、未来?」
「そうだ。ソナタを連れ出してくれた聖女さまが、ソナタの未来を知っている」
「僕を助けてくれたあの方が……?」
しばし考えたあと、カイはイルに連れられて聖女と対面することになった。
聖女は城の一角に住まいを与えられ、この世界に召喚されてからずっと、そこから出たことがないのだという。
「ソナタは、強く聡明な王子となります。その隣に、美しい聖女の姿も見えます」
現聖女がにこやかに言った。
「聖女さま、ですか? 僕の目の前にいる聖女さまとは別の聖女さまですか?」
「ええ、そうです……見てみますか? 未来の聖女を」
この少年に――カイに、生きる希望を持たせたかった。それはイルも同じだった。
聖女には時に不可思議な力が宿る。自分の役目を終えようとしていた現聖女は、次代の聖女の予言のなかに、大人になったカイの姿を重ねていた。だからこそ、カイを勇者イルに弟子入りさせ、来るべき未来に備えたのだ。
聖女がカイの額に自分の額を重ね合わせた。
ワクワクした顔で、カイがその時を待っている。
瞬間、ふっとカイの体が浮かぶ感覚。
次にカイが目を開けると、そこは見慣れぬ街だった。コンクリート造りの家屋が立ち並び、自動車が走っている。
「ここは……?」
うろうろとさまよう。現聖女さまは次代の聖女を見せると言っていた。だとしたら、ここは聖女が暮らす異世界の映像だろうか。それにしては、リアリティがある。感じる匂いも感覚も、『みている』というよりは、カイ自身が『異世界に来た』ような感覚だ。
辺りを見渡すも、周りに人なんていやしない。
子供が一人で東京の街中を歩いているのに、道行く人は、誰もカイに話しかけようとしなかった。冷たい街だ。もしかして、カイの姿は見えていないのかもしれない。
だんだんと心細くなってきて、カイはとうとう泣き出した。
お父さん、お母さん。
「ボク、迷子?」
天使のようだと思った。あるいは、女神かなにか。
カイはこの人こそが、聖女なのだと確信した。涙をぬぐう。
「お母さんはどこ?」
聖女が聞く。
「天国」
正直に答えた。聖女は困ったように眉をハの字にする。
「あ。ごめん。じゃあお父さんは?」
「……いない」
ここは異世界だから、父親はいない。そういう意味だったのだが、いかんせんカイは幼くて説明がままならない。それに、なんとなくではあるが異世界のことは話してはならないと思った。
「じゃあ、交番行こうか」
「こうばん?」
「おまわりさん……警察のところ」
「それは怖い人? 僕はまた、捨てられるの?」
『また』? と聖女が聞き返した。
カイはイルと暮らすことに不満はない。ないのだが、どこかで思っていた。父王は自分を捨てたのではないか。
「えっと……そうだよね、怖いよね。じゃあ、もう少し探してみようか」
「お姉ちゃんは、だれ? 勇者?」
聖女なのは知っているが、もしかしたら、この勇敢さは勇者かもしれないとも思った。
「えー、勇者じゃないかな。占い師」
「占い師? すごーい」
へへ、と聖女が得意げに鼻を鳴らす。
「お姉ちゃんはみんなをたすけてるんだね!」
「えー、うん。そうなの。ボクも、困ってる人がいたら助けてあげるんだよ!」
「わかった!」
ぐう、とカイのお腹が鳴った。
「へへ。お腹すいちゃった」
「じゃあ、どこかで食べようか」
「うん! あと、お姉ちゃんのウラナイも見てみたい!」
ぐるぐると、食べ物が不思議な機械の上を回っている。しかも、生の魚だという。
「ええ、生でお魚を食べるの?」
「あ、やっぱり日本人じゃなかった?」
「あ。違。食べます!」
目をぎゅっと瞑って、口の中に寿司をいれる。モクモクと咀嚼して、しかしカイはぱっと顔を明るくした。
「おいしい」
「でしょう? 私、お寿司が世界で一番好き」
「おすし?」
「そう、これはお寿司」
回転寿司でたらふく寿司を食べた後、カイは聖女の部屋に連れていかれた。不思議な雰囲気の部屋だった。
周りから見たらただのコンクリートの部屋なのに、聖女の部屋にはシャンデリアが飾られていて、この部屋はカイにはしっくりきた。
「ごめんね、狭い家で」
「ううん。……ここで人助けをしているの?」
「うーん。そうかな。占いをして、人を助けてるの」
占い? とカイが首を傾げれば、聖女は分厚い本を出して、
「これを使って、いろんな人のホロスコープや命式を見るの」
「ホロスコープ! 僕のも見られる?」
「ええ、ボク、誕生日覚えてるの? あ、ホットミルク飲む?」
「飲む!」
聖女がキッチンに立った時、すでにカイに残された時間はわずかだった。カイの体が透けていく。
「お姉ちゃん。僕の誕生日は1432年11月18日0時35分……」
「え、1432年?」
聖女が振り返った時には、もうそこにカイの姿はなかった。
「夢……? いや、でも」
聖女はそのあと、少年を探して街じゅうを歩いた。それなのに、少年の姿はどこにもなかった。
聖女は少年のことをずっとずっと忘れられなかった。聖女が中世の天文暦や万年暦を買い集めてしまう理由は、この出来事が発端だった。
ハッとして、カイは意識を現在に引き戻した。
「みえましたか?」
現聖女がカイに優しく問う。
「はい、はい! 次代の聖女さまは美しくお優しいお方で――」
カイは、興奮冷めやらぬ様子で現聖女に異世界の話をした。特に、寿司がおいしかったと、何回も何回も熱弁した。
「本当に、聖女さまはとてもやさしくて美しい方でした」
「そうか。ソナタ、未来でソナタはその聖女とともにいるのですよ」
現聖女が目を細める。
「でも、なんで僕とともにいるのですか? 聖女さまなら、城にいるはずでは?」
そこは現聖女にも見えないらしく、さて、とはぐらかされてしまう。
カイは未来に思いをはせる。聖女。名前を聞けばよかった。聖女さま。
カイの心が壊れなかったのは、聖女が心の支えになっていたからだ。
だからカイは、新しい勇者パーティが聖女さまを召喚すると聞きつけて、その場に急いで駆け付けた。
十五年ぶりに会った聖女の姿は、あの時出会った姿ではなかったけれど、それが聖女だということはすぐに分かった。
だからカイは、聖女を許嫁にして、命を助けた。
カイはずっと、ずっと聖女を待っていた。
そして、聖女はただの人間に戻り、めでたくカイと結ばれたのだった。
了
東西占星術師、聖女として召喚される 空岡 @sai_shikimiya
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