第3話

二、四柱推命と西洋占星術と


 ホロスコープは十二個のハウスに分けられ、それぞれに星座があてはめられる。

 牡羊座。守護星・火星。男性宮。火のエレメント。活動宮。

 おうし座。守護星・金星。女性宮。地のエレメント。固定宮。

 ふたご座。守護星・水星。男性宮。風のエレメント。柔軟宮。

 かに座。守護星・月。女性宮。水のエレメント。活動宮。

 しし座。守護星・太陽。男性宮。火のエレメント。固定宮。

 乙女座。守護性・水星。女性宮。地のエレメント。柔軟宮。

 てんびん座。守護星・金星。男性宮。風のエレメント。活動宮。

 さそり座。守護星・冥王星。女性宮。水のエレメント。固定宮。

 射手座。守護星・木製。男性宮。火のエレメント。柔軟宮。

 やぎ座。守護星・土星。女性宮。地のエレメント。活動宮。

 水瓶座。守護性・天王星。男性宮。風のエレメント。固定宮。

 うお座。守護星・海王星。女性宮。水のエレメント。柔軟宮。

 各々の星座に天体がいくつ入っているかで、大まかな性格を知ることができる。

 王子の場合、水のエレメントが四つで最も多く、活動宮、女性宮が多い。このことから、他者の感情に鋭く、相手の気持ちに敏感。活動的で、女性的。この場合の女性的というのは、受動的という意味になる。

「なるほど、ホロスコープひとつとっても覚えることが多いな」

「はい。あとは、天体がどこに偏っているかでも見ることができます」

 左半分に寄っていれば、自分の意見を大事にする。反対に、右半分なら他者の意見に流されやすい。

 上半分(南半球)ならば社会的地位を大事にし、下半分(北半球)ならばプライベートを大事にする。

「情報量が多くて頭がパンクしそうだ」

「でも、王子さまは資質的に、勉強はお好きに見えますが」

 ホロスコープでは第四ハウスに水星――勉強を意味する天体があるからだ。

「む。それで、ソナタの修行とやらは進んでいるのか?」

「全然です。魔力を感知するって、私感覚で勉強することがすごく苦手なんですよね」

 確かに、占星術が頭を使う学問だとすれば、魔力の扱いは個人の感覚によるものが大きい。

「あ、そろそろ今日のお客さまが来ますね」

 時計を見ると、もうすぐ午後一時となるところだった。

「そうだな。どれ、今日は俺も勉強のために同席するか」

「ええ、緊張しますね」

 そうはいっても、誰かと占いの話をするのは楽しい。

 こうやって誰かと占いの話をするのは、沙良が現世で弟子入りしていた時以来だ。実に三年ぶりである。


「ええと。そうですね。今年と来年が空亡で」

「先生、悪いことが起きるんでしょうか」

「いえ。空亡というのは、よいことはよく、悪いことは悪く、極端に起こりやすいというだけで、いつもより丁寧な暮らしをしていれば問題ないです」

 実際には、部屋の掃除をまめにしたり、食事をきちんととるようにしたり。

 空亡というのは、十干と十二支をそれぞれにあてがった時、十二支が二個余る。その二個の干支が空亡とされている。おおよそ十二年ごとに二年間空亡が訪れる。

 だが、沙良としては、最も注意すべきは天戦地冲と天地徳合、日支との冲の時期だと思っている。

 天戦地冲とは、天干が剋す・剋される関係で、地支が冲の関係にあるものを指す。

 例えば、カイの日柱の辛亥の天戦地冲は乙巳・丁巳だ。

 冲というのは、十二支を円形に並べた時、対角にある関係だ。つまり、六個先の干支が冲に当たる。

「先生、ありがとうございました」

「いえ。あくまで占いは占いなので。最終的な判断はご自身でなさるようにしてください」

 締めの言葉を送って、沙良は今日の仕事を終えた。

 最近は、一回の占いで一ガロンの金貨が報酬だ。この一ガロンとは、かなりの額らしい。一週間分の食料は買えるのだとか。

「今日も働いているな」

「師匠」

「占いの腕は立つのに、聖女としてはてんでダメ。ソナタは根っからの占い師だな?」

「や……占いは生きるためにやっているだけで」

「そうか? 楽しそうに見えたが?」

 この師匠は、いつもお酒を飲んだくれて、毎日違う女性と遊びに出かけている。そのくせ、毎晩ちゃんと決まった時間に帰宅して、沙良の修行の成果を問う。

 それなのに沙良は、これといった成果を報告できなくてやきもきしていた。

「私の占いは、知識を伝えてるだけなんです。どちらかというと学問に近いかと」

「そうさな。俺も四柱推命なんて占いはこのかた知らんかったが。ソナタのその知識は、そんなに卑下するものか?」

「え?」

 卑下する。それは無意識でのものだった。自分はそんなに占いを卑下していただろうか。

 ……している、かもしれない。どこかで占いを信じ切れていない沙良は、占いでお金をもらうことに罪悪感を感じている部分はあった。だけどそれが、卑下することだなんて、認めたくない。認めてしまえば、沙良は自分が自分たるゆえんを否定することになる。

「卑下なんて、してません」

「ほう、ならいいんだが。さて、今夜の夕飯はなにかな、カイ」

 カイは傍らで料理をしている。常々思うが、カイは料理のセンスがある。

 前に聞いたことがある。カイは料理人になりたかったのだと。

「わ、いいにおいですね。今夜はお魚ですか?」

 大きな鍋に、丸ごと一匹の魚にムール貝、ミニトマト。

 アクアパッツァだ。

「ああ、新鮮な赤魚が買えたのでな」

「奮発しましたね」

「まあ、今日は俺も魔物討伐で金が入ったからな」

 基本的に、自分の生活費は自分で稼ぐ、それがイルと沙良、カイの生活の暗黙のルールだった。

「ふわあ、王子さまのお料理はいつもながら大変おいしゅうございます」

 ほわん、と頬に手を当てて、沙良は幸せそうにアクアパッツァを屠っている。今日はアクアパッツァにほかほかのフォカッチャ、それにブドウのジュースまでついている。

 食材の買い出しに、最近カイは一人で出かけるようになった。師匠であるイルがいれば、沙良が魔物に襲われても守ってもらえるからだ。

「そういえば。今日師匠ったらまた女の子泣かせたんですよ」

「またですか。師匠、いい加減女遊びは」

「固いことを言うでない。ソナタ、いまだに女の色気もわからんつまらぬ大人になったのか?」

 はあ、とカイがため息をついた。どうやらこの二人はそういう部分でいつもながら意見が合わないらしい。

「師匠。仮にも聖女の師匠となったのですから、品行方正なふるまいを」

「だから! ソナタは固いんだ。俺がいくら女を紹介しても、すぐに家に帰してしまう」

「……そのせいで俺が都でなんて呼ばれてるか知ってますか?」

 放蕩王子。放蕩、の本来の意味は、女や酒におぼれるという意味だ。

 だとすれば、カイのそのような二つ名は、この師匠のせいでつけられたものなのだろうか。

 沙良がはは、とから笑いする。

「サラ、笑ったな?」

「いえ、師匠。私は」

「言ってやれ。師匠は少し、女にだらしないと」

 確かに、現代でこんな男性がいたら沙良だって相手にしないだろう。しないはずなのだが、このイルという人間には、放っておけないなにかがある。それこそがイルの魅力なのかもしれない。

「さて、私先にお風呂いただきますね」

「ああ、俺は外で見張っている」

 幸いにして、イルの家はカイの隠れ家よりも人間らしい家だったため、風呂の設備も整っている。


 沙良が風呂の準備を終えて、体を洗う。

「今日も疲れた……」

 西洋では、湯船に浸かる習慣がない。それは少しだけ残念なのだが、何分、風呂があるだけありがたい。

 石鹸で体を洗い、長い髪の毛もきれいに洗う。

 じゃぶじゃぶと温かいお湯を体にかぶり、ほっと一息ついた時だった。

「逃げろ!」

「ひゃっ!?」

 ばたん、と風呂場のドアが開け放たれ、入ってきたのはカイである。しかも「逃げろ」。つまり、今、魔物が襲ってきたに違いない。なんとタイミングの悪い。

 しかし、そんなことは言っていられない。

 沙良は風呂場を出て、体の露も拭かずに服をまとい、屋敷の外にいる魔物たちにばれないように、部屋の中を移動した。

 沙良は現状、魔力が使えない。ならば、この家の隠し地下で、魔物が去るのを待つしかできない。

 びゅお、ががが、と外から音がする。この時間がなにより嫌いだ。怖いからではない。自分が役に立たないからだ。誰かが傷つくのが嫌だからだ。

 だから沙良は、早く魔法が使えるようになりたかった。一刻も早く、この現状から抜け出したかった。

 だけど、自分が聖女としてこの世界に骨をうずめるかは、まだ決めていない。


 魔物を倒したカイとイルが、家の中へと戻ってくる。

「大丈夫だったか?」

 季節は夏に差し掛かっているとはいえ、濡れたまま服をまとったせいで体が冷えた。くしゅ、とくしゃみをすれば、カイが大げさに心配した。

「大丈夫か? ホットワインを飲むか?」

「いえ、大丈夫です」

「しかし、冷えただろう?」

「おうおう、カイはサラに甘いなあ?」

 イルの冷やかしを一瞥して、カイは結局、沙良にホットワインを作った。

 温めた赤ワインにシナモンスティックやレモンを入れた飲み物だ。沙良が未成年なため、ワインは煮きってアルコールを飛ばしてある。

「飲め」

「ありがとうございます」

 服を着替えて、温かいワインを口にする。じわっと胃がやける感覚。懐かしい、アルコールの匂い。

「ほへ……?」

 ぽっと頬が熱くなる。目がぐるぐるする。暑くて楽しくて、これはおそらく。

「サラ?」

「王子さま、これ、アルコールがつよすぎまふ」

「なん……ソナタ、下戸か?」

 アルコールは煮きったはずだ。だが、わずかには残る。そのわずかなアルコールでさえ、沙良は酔ってしまったようだ。

 ふふふ、と笑いだし、愉快そうにカイを見ている。

「王子さま、王子さまっておやさしいですよね」

「おい、からむな」

「またまた。そうやって悪ぶったって、すいてくれるの知ってるんですから」

 ふふふ、と笑いながら、沙良が金色の髪を耳にかけた。それが妙に色っぽく見えてしまうのは、酒に酔った沙良の目が潤んでいるからだろうか。上目遣いに見てくるからだろうか。

 イルは「ほう」とうなって、ふたりを見守るだけだ。

「王子さまは、ほんとうは放蕩なんてしてなくて。それは、師匠のせいなんでしょう? それで、そう。優しいのに、優しすぎるから王位継承争いにさんかできなくて。あれ? なんで。なんで王子さまは周りから疎まれなきゃならないの? おかしくないです? ……おかしいですよ」

 ぽた、ぽた、と泣きだして、カイはあたふたするばかりだ。どうも笑い上戸なのか泣き上戸なのか判断がつかない。

 そもそも、この世界に来て二か月余り、沙良からしてみれば見知らぬ世界で一人ぽっち、泣きたくもなるだろう。

 カイはらしくもないことをした。沙良をきゅっと抱きしめて、頭をポンポンと撫でてやる。

「ソナタは頑張っている」

「王子さまのほうががんばってます」

「ソナタはよくやっている」

「でも、いまだに魔法は使えません」

 そういうところだ、と思う。沙良は自分を卑下しすぎだ。沙良には確実に聖女の力が眠っている。あの時、魔法使い一行を一気に治せるほどに、沙良には膨大な魔力があるに違いない。それをどうわからせよう。

 自分なんかと違って、沙良には才能があるのだと。

「ソナタには、確かに魔力がある。人柄だって。ソナタの占いに皆が訪れるのは、なにも占いだけじゃない。ソナタという人間に会うために、みなはソナタのもとへ通うのだ」

「あは。王子さまがやさしいなんて、こわい……です……」

 こて、と寝てしまう。困った。

「ははは。カイ。ソナタ、今、聖女サラに言った言葉、忘れるなよ?」

「……?」

 つまり、この二人は似た者同士なのだ。イルから見れば、王子もまた、自分を卑下する癖がある。カイにはカイの、沙良には沙良のいいところがあるのだから、ふたりで協力して、生きていけばいいのにと、イルはそう、思ったのだ。


 悶々としている。あの時、とっさにとはいえ、王子が風呂場に走りこんできたとき、王子は自分の体を見たのだろうか。見たに違いない。それでなお、普段通りに接してくるのだとしたら。王子にとって自分は、許嫁以前に、女として見ていないのかもしれない。

 無理もない。沙良は今は十五の少女で、カイは二十二歳の成人した大人。そんなカイにとって十五の小娘の裸など、取るに足りないものに違いない。

「四柱推命は、十干と十二支を五行に変換して読みます」

 甲・陽の木。木を表す。乙・陰の木。草花を表す。

 丙・陽の火。太陽を表す。丁・陰の火。ろうそくなどの火を表す。

 戊・陽の土。山を表す。己・陰の土。田畑を表す。

 庚・陽の金。生の鉄(鉱石)を表す。辛・陰の金。宝石を表す。

 壬・陽の水。海を表す。癸・陰の水。雨を表す。

 これらに加え、寅卯は木、辰は土、巳午は火、未は土、申酉は金、戌は土、亥子は水を表している。

 ここから、例えば陽の木と陽の木なら通変星は比肩、陽の木と陰の木なら劫財。陽の木と陽の火なら食神……というように通変星を出していく。この通変星は、五行を五芒星にして図にするとわかりやすい。


  木 

水   火


金   土


 この五行の頂点部分は、日柱の天干が当てはまり、そこから時計回りに『木火土金水』を当てはめていけばいい。木の部分を頂点とした場合、木と木なら比肩・劫財。木から見て火の部分なら食神・傷官。土ならば偏財・正財。金ならば偏官・正官。水ならば偏印・印綬。

 これは頂点部分が火になろうと金になろうと、通変星の位置は変わらない。つまり、頂点が火の場合、土が食神・傷官となるのだ。

「なるほど、漢字はいまだに読めぬが、これならなんとなくわかるな」

「そうでしょう? これが分かると一気に四柱推命が読めるようになります」

 まずは十干十二支を五行で読めるようになること。そこから、喜神(きしん)と忌神(ぎじん・いむがみ)、用神を導き出すことが最終目標だ。

 用神とは、その命式のすべてにプラスとなる十干で、喜神と似ているようで少し違う。喜神は命式のなかでプラスになる十干で、すべての十干十二支にプラスになるわけではない。忌神はマイナスに働く十干だ。

「して、今日は買い出しに行くぞ」

「私はまたお留守番ですか?」

「いや。今日は師匠もお出かけだから、ソナタには一緒に来てもらうことになる。それに、そろそろ新しいドレスが仕上がるころあいだ」

「ドレス……ですか?」

 初耳だった。別に、ドレスは今でも四着ある。余所行き用が二着に、普段着が二枚。

「今のものでは少なかろう。俺の趣味で悪いが、注文しておいた」

「え、サイズは……」

「サイズは城の者たちに聞いた」

「ああ、そう……ですね」

 てっきり、寝ている間に身長やスリーサイズを計られたか、日常的に体のサイズを観察されたかと思って少しだけ恥ずかしい思いをしたのだが、そういえば、一泊だけ城に泊まった時に、採寸はされていたのだった。

 沙良は朝食をかきこんだ。こんなにやきもきしてしまうのは、この王子が女に慣れている感じがするからだ。

 女たらしは嫌いだ。このカイという人間は、師匠に感化されて、それなりに女の子に耐性があるに違いない。でなければ、こんなにあっさりと、沙良にドレスを用意するわけがない。


 街に繰り出す。

 沙良は興味津々で市場を見渡していた。

「あの店は?」

「あれは野菜の市場だ。あの店が一番新鮮で、あちらが一番安い」

「あら、王子さま。また違う女性を連れて」

「いや、これは俺の――」

 許嫁だ、と言い終わる前に、別の店主がカイを捕まえる。

「今日はいい肉が入りましたよ」

「先日の肉はうまかった。どれ、見ていくか。サラ」

 カイは自然に沙良の手を取り、肉屋の店内を見て回る。

「すごい。塊肉」

「ああ。塩漬けにしてパンチェッタにしたい」

「パンチェッタ?」

「保存肉だ。熟成させるといい味が出る」

 カイは料理の話をしている時が一番生き生きしている。

「お、カイ王子。うちの店も、良い宝石が入りましたよ。先日お探しだったネックレスやイヤリングが――」

 コホン、とカイが咳払いする。カイが宝石を見ていた? なんのために?

 もしや、好いた女性がいるのだろうか。ならば、こうして沙良が手をつないでいては、変な噂がたってしまう。

 沙良がそっとカイから手を離した。

「サラ?」

「王子さま。宝石をプレゼントしたい女性がいらっしゃるなら――」

「あれ。お嬢さん。その髪飾り、うちのじゃないですか」

 宝石店の店主が沙良の髪留めを指さした。前に、魔物除けにもらった髪飾りだ。

「王子さまが特別な宝石をうちに持ち込んで。一日で仕上げろって無理言って作ったから、よく覚えてるんだよ」

 イメージ通りに作ったのですが、良くお似合いで。店主が人好きする笑みを浮かべた。

「王子さま、この髪飾りは……」

「どうせ身につけるなら、美しいほうがソナタもよかろう」

 早口に言って、カイは沙良の手を再び取って歩き出す。

 沙良はカイの横顔を見上げる。どこか気まずそうにも見えたし、頬が赤いようにも見えた。


 市場を見ながら、ふたりは歩く。もう、カイはいつも通りで、動揺しているのは沙良だけなのが悔しかった。

「すごい、大きな魚がいますね」

 気まずさを晴らすために、沙良が魚を指さした。

「魚は好きか?」

「魚というか……寿司が好きだったので」

「すし……?」

 カイは、料理のことになるとことさら目を輝かせる。キラキラした瞳で、沙良の説明を待っているのだ。

 沙良はたじろぎながら、

「生の魚……の切り身を、酢飯に乗せた食べ物です」

「ほう」

「え。驚かないんですか?」

 生さかなを食べる習慣は、この時代のヨーロッパには存在しないはず。いや、そもそも異世界だから存在するのだろうか。

「生の魚とは、興味深い」

「よかった。気持ち悪いって言われるかと思いました」

「まさか。生の魚は昔――」

 どおん! と近くで爆撃音がした。

 ばっとカイが剣を構える。買い出しに来てなお、警戒心を怠らないところは素直にすごいと思う。

 沙良は一拍遅れて、魔物たちに目を向けた。

「あ……私、が……」

 ここに来たせいで。市民が逃げ惑う。沙良はあっけにとられて動けなかった。しかし、加護魔法は弱まったとはいえ、なぜこの街に魔物が現れたのだろうか。

「ちっ、歩けるか?」

 腰を抜かした沙良に、カイが話しかける。沙良は立ち上がり、こくり、頷いた。

 カイが沙良の手を取る。そのまま人気のない森の方向に走り抜ける。魔物たちが、我先にと沙良を追いかける。

 おかしい。

 沙良は都の外れの師匠のイルの家にいるとき、ほとんど魔物に襲われたことがない。カイの隠れ家にいた時だって。それにカイからは魔物除けの髪飾りを受け取り、今日も身につけている。

 ということは、誰かが街で沙良を待ち伏せていた、と考えるほうが自然だろう。

「サラ、どうした?」

 沙良の足が止まる。沙良が振り返ると、魔物たちが赤い目をぎらつかせていた。

「なにか、おかしいと思いませんか」

 昔の魔族は、人間と不可侵条約を結び、それを守れていた。なのに、今目の前にいる魔物たちは、なにか、そう、なにかに操られているかのように、理性を失っている。黒幕がいるのでは?

「誰が、魔物たちをそそのかしたん、でしょうか」

「……は? ソナタ、なにを」

 しかし、甲高い笑い声があたりに響き渡る。聞き覚えのある声だった。誰だったか。

 しゅ、と魔物たちの前に誰かが立ちはだかる。金色の髪の毛が風になびいている。

「ヨル……王子さま?」

「ヨル、なにをしている、ここは危ない……」

 しかし、ヨルが右手を振りかざすと、魔物たちはまるでそれを合図にしたかのように、二人に襲い掛かった。

「な……!?」

「いいね。驚いた? 君たちふたりって、魔物を呼び寄せる体質らしいじゃない? だから俺もさ、買ったわけ。魔物を」

 魔物を買う? それはどういうことなのだろうか。

 カイが魔物に斬りかかる。しかし、そこらの魔物とはわけが違った。強化魔法がかけられている。

 カイの手から剣が弾かれる。

「うっ!」

 ざしゅ、とカイの体を魔物の爪が切り裂いた。カイは血を滴らせ、しかし沙良の前から退くことはない。沙良を後ろにかばいながら、ぜえはあと肩で息をしている。

「兄貴。兄貴を何度も殺そうとしたのに、本当にしぶとい」

「な……今までの魔物は、オマエが……?」

「あは。俺だけじゃないって。イセラもミリムも、自分の魔物兵を持ってるって。知らないのは兄貴だけだよ?」

 ぐら、とめまいがした。なんて邪悪な。そして、なんて、なんて。

「それでも貴様は、一国の王子なのか!」

 カイが吼えた。しかし、ヨルは高笑いを漏らすだけだった。

 こんなこと、あってはいけない。こんなこと、信じたくない。

 だけれど、突き付けられた現実を、カイは飲み込むほかになかった。

「王子さま、怪我が」

 思ったより深手のようだ。沙良は王子の背中越しに傷を見つめる。早く止血しなければ大ごとになる。しかし、現状、治せる可能性があるのは沙良ひとり。

 沙良はカイの傷口に手をかざした。

「なおれ、治れ。治れ!」

 ぽうっと辺りを包んだ暖かい光。成功した。沙良はほっと息をつく。しかし、安堵する間もなく力尽きてその場に倒れこんだ。

「サラ!」

「王子さま、お逃げください」

 自分を置いていけば、カイひとりなら助かる。沙良はカイに逃げるように促したのだが、何分カイは逃げようとしない。

 弾かれた剣は五メートルほど先にある。それを手に取れれば、まだ勝機があるかもしれない。いや、勝てるのか? この魔物は、そこら辺の魔物とはわけが違う。強化魔法を施した魔物たち。一匹二匹じゃない。十数匹はいるだろう。

 ヨルが右手を振りかざす。

 終わった。カイがあきらめてうつむいた時、一陣の風が走り抜けた。

「この馬鹿弟子。あきらめるのが早いんだっての」

「し、しょう……」

 ぐああ、と断末魔とともに、五体の魔物が地に倒れた。

「あと半分だ。ソナタ、聖女を守るんじゃなかったのか」

「俺では守り切れない――」

 がつん! とカイの頬をイルが殴った。つつ、と切れた唇から血が流れて、カイはようやく目が覚めた。

 あきらめている場合じゃない。

「師匠、五体引き付けられますか」

「ああ。残り二体はオマエに任せる」

 イルが先陣を切って、魔物の注意を引き付ける。その間にカイが剣を広い、残りの三体を切り倒す。が、そう簡単に行くはずがない。

 魔物の体は固く、一撃では仕留めきれない。しかも、反撃だってされる。俊足の動きで魔物がカイの攻撃をよけ、逆にカイに攻撃してくる。それを見切らなければ、カイに勝機はない。

「はっ、は……考えろ、考えろ……」

 沙良が治した傷は、跡形もなく消え去ったはずなのに、カイの右手は思うように動かない。恐怖。恐怖がカイの思考回路と体を制限している。

 恐れるな、行くんだ。守るんだ。守ると誓ったんだ、あの日。

「うおおおおおお!」

 剣を振りかぶり、魔物に斬りつける。一撃目はフェイント、二撃目が本命。

 魔物の心臓部が貫かれる。一体、二体、三体!

「はっ、はぁ、はっ。……サラ!」

 魔物の返り血をぬぐって、沙良に走り寄る。

 息をしている。大丈夫だ、生きている。

「馬鹿弟子。ソナタも鍛えなおしが必要だな」

「師匠……今はそれより」

 振り返る。悔しそうに顔をゆがめる第四王子・ヨルの姿。しかし、ひゅうっとヨルが口笛を吹くと、どこからともなく現れた魔物たちが、ヨルを担いでその場を逃げる。

「待て……!」

 追いかけようとするカイを、イルが止めた。

「深追いするな。この感じだと、お相手さんはかなりの魔物を兵として所有しているだろう」

「だけど! 今とらえなければ」

「いい。今は聖女を守り抜くことが先決だ」

 カイは大事そうに沙良を横抱きにして、今日のところはイルの家に戻ることになった。悔しい。自分はなにと戦ってきたのだろうか。自分を殺そうとしていたのは、単に魔物だけでなく、血を分けた兄弟たちだったのだろうか。

「くそ……俺は、弱い」

 弱いことがこんなに悔しいことだったなんて、知りたくもなかった。


 そもそもカイは、師匠であるイルに修行の終わりを告げられていない。途中で逃げ出したのだ。

「魔力がないなんてことはありえない。ソナタも鍛錬すれば、いずれその才能が花開くだろう」

「師匠はなにもわからないのです。俺は平民の子供故、魔物を呼び寄せる体質故、魔力を持たぬのです。魔力がないから魔物に付け狙われるのです!」

 そう言って飛び出してから、もう三年になる。

「カイ。ソナタに魔力があると俺は言ったな。ソナタの魔法がなんなのか、俺は今日、ようやくその答えを見た」

 妙に改まったイルを、カイは正面から見据えている。

「俺に魔法が?」

「ああ、そうだ。この聖女サラのおかげで、ソナタの魔法が分かった」

 もったいぶる。カイが視線で先を促すと、重い口を開いて、イルが、

「他者の魔法を増強・減退する魔法だ」

「……は? 他者の?」

 そんな魔法、聞いたことがない。だが、それが事実だとすれば、沙良の聖女の力がカイといるときにだけ使えるのは納得してしまう。

「だとして、俺はこのままでいいんですか?」

「いい、とは?」

「俺は……このもの――聖女が聖女になることを望んでいないのに、聖女を聖女たらしめるのは、俺が傍にいるからです」

「そうだろうと思ったよ。聖女サラの力が不安定なのは、ソナタが聖女を抑え込んでいる部分はある」

 つまり、沙良は初めから聖女としての力を備えていたのだが、カイが傍にいることでその魔力を減退させられてきた、というところだろうか。

 自分勝手だ、とカイは思った。カイが望むときにだけ聖女の力を使わせて、そうでないときは聖女の力を抑え込む。

 カイと沙良の相性は最悪だ。

「師匠。それでも、この娘にはそのことは黙っていてください」

「黙っていろ? それは酷だろう」

「ですが、知ってしまえばこの娘は、聖女としてこの国に縛られることになる」

 沙良の眉間にしわが寄る。ぱち、と目を開けた沙良に、カイはほっとした表情を見せる。同時に、先ほどまでの重苦しい雰囲気をかき消すように、よかった、と沙良の体を起こし、抱きしめた。

「心配かけるな」

「申し訳ありません、王子さま。お師匠さま」

「聖女サラ……カイを頼む」

「なんですか、急に」

 力なく沙良が笑って、イルはなにも言えなくなった。沙良は基本的に、カイの魔法によって魔力が減退させられている。そんな状況下でも、誰かを救いたいと願っている。

 その沙良の善意につけこんで、この世界を守ってくれなどと言っていいのだろうか。

 イルの憂いる視線に、しかし沙良は気づいている。

「先ほどの会話……」

「……先ほど、とは」

「……ずっと聞いていたんです。私の魔法のこととか、王子さまの魔法の……」

「ならぬ! ソナタは必ずや俺が元の世界に戻すゆえに、この世界のしがらみに巻き込むわけには」

「私、まだなにも言っていません」

 はは、と笑って、沙良はカイの手をきゅっと握った。

「私は王子さまを王にして、魔物たちと再び不可侵条約を結びなおします。それに」

 先ほど、ヨル王子が魔物を兵として使役していたことを思い出し、沙良が悲し気な表情をした。それがなぜだか苦しくて、カイは沙良から目をそらした。

「あの兵……魔物を兵として、道具として使うなんて許せません。私は、私はこの世界のすべての種族が幸せに暮らせるように、そうなるためにも、王子さまを王にするまで、帰れません」

 意固地になっているだけだと思っていた。自分を王に据えることだって、沙良の勝手な偽善だと。

 それに、カイは自分に王が務まるとも思っていない。もっと適任がほかにいるはずだ。

 しかし決めた。カイは、沙良の住む国のような、平和な国を作るのだと。

「ああ、そうだな。ここまで来たら、それ以外に俺もソナタも生き残る道はないのだろうな」

「すみません、わがままを言って」

「いや。もとより、わがままは俺のほうだ」

 本当は、沙良にこの世界に残ってほしいと思うだなんて、自分はどれだけわがままで強欲なのだろうか。


 沙良のホロスコープはアセンダント山羊座、ミディアムコエリおとめ座だ。

 山羊座は堅実とか責任感があると言われ、おとめ座は誰かの役に立つことに喜びを感じる。今にして思えば、占いというのは遠からず当たっているのかもしれないと思った。

「王子さま、今日の夕飯くらいは私が作りますよ」

「いや、いい。そもそも俺がソナタのそばにいると、ソナタの魔法が使えない。ソナタは魔力の感知の修行に励め」

「そんなこと言ったら、王子さまだってご自身の魔力を感知できていなかったじゃないですか」

 カイの魔法は、無意識に発揮されるものだった。しかし、タネが分かってしまえばこちらのものだ。この魔法をコントロールできるようになれば、魔物の魔力を減退させて、味方側の魔力を増大させる、という使い方ができる。

 つまり、カイ以外の王子たちが、増強魔法を施した魔物をいくらこちらに差し向けても、カイたちの優位が覆ることはない。

「でも、魔物は極力殺したくないです」

「……甘いな。一度理性を失った魔物は、二度ともとには戻らん」

 つまりは、人間側が不可侵条約を反故にした時点で、魔物側にもなんらかの細工をした。だからこそ、人間と魔物の戦争はここまで続いている。

 魔物たちとの戦争で儲ける人間を駆逐しない限り、カイと沙良の目的は果たせないだろう。

「魔物たちがまだ理性を保っていた頃のことを知っているものがいればいいんだが」

 いつの間にかイルが会話に混ざっている。

「どうやって手がかりを探し出したらいいんでしょう」

「カイならなにか知っているんじゃないのか?」

 カイの料理を味見しながら、イルがけろっとした表情で言った。カイは渋い顔をしている。

「知っている、ことは知っているが」

「知ってるんですか?」

「ああ。北の都にあるエルフ族……あの一族は長寿だと聞く。昔の――戦争が始まる前の世界のことを、知っているかもしれない。あるいは、理性を失った魔物を救うすべも」

 ほわっと沙良が顔を明るくする。

 ミネストローネの湯気がもわもわと部屋に充満して、沙良のお腹がぎゅるると鳴いた。

「食い意地……」

「し、仕方ないじゃないですか。疲れるんですよ、聖女の力って」

「すまない。俺が傷を負ったばかりに」

「や、いえ、そういう意味で言ったのではなく」

 あわあわと沙良が両手を顔の前で振る。くく、とカイが笑った。

「冗談だ」

「じょうだ……え、えー。笑えないですよ、王子さま!?」

「すまない。ソナタがあまりにも落ち込んでいたから」

 ぷりぷりと怒り、沙良は先にダイニングへ向かった。その後姿を見ながら、なんとしてもこのひとだけは守らねばとカイは思った。


 たっぷり野菜とショートパスタ入りのミネストローネは疲れた体にしみわたるようだった。

 焼き立てのパンも甘くておいしい。いつもは雑穀のパンなのだが、今日は上等の白いパンをカイが一から作った。

 付け合わせに出されたのは、白身魚の刺身だった。

「わー、染みる。生さかなおいしい」

「げ。サラ。それ食っても平気なのか?」

「大丈夫ですよ、師匠。すごくおいしいです」

 生さかなを食べる文化は、日本独特のものだ。それをカイが再現してくれるとは思いもしなかった。

「王子さまって、好き嫌いないんですね」

「いや……俺は昔、生のさかなを食べたことがある」

「えー、意外です。この国でもそういう食文化が?」

「いや……この話はもうしまいにしよう」

 話したくないのか、カイはもくもくと無言で夕食を平らげていく。沙良は首をかしげながらも、生さかなを堪能し、ミネストローネはお代わりした。


 エルフ族の村をめざして二人は歩く。イルには留守を頼んできた。万が一ヨルがまた魔物たちを使って襲ってきたときのためだった。

「しかし、ソナタの郷では身分制度がないと?」

「はい。みんな平等です……いや、経済格差はあるのですが」

 日本は恵まれた国だ。そもそも、沙良のような占い師が仕事として成り立つくらいには、裕福だ。

 とはいえ、年々上がる税金に苦しみ、生活保護を受給するものも増えている。

「なるほど、国が生活を保証するのか」

「はい。それでも、日本は特別に治安がいい国なので。諸外国は銃を携帯できたり、スラム街があったりします」

 ふむ、と勉強するカイはもうすっかり王位継承者候補のひとりだ。

「エルフの方々って、やっぱり美しいのですか?」

「なんだ。ソナタは美しい男が好みか?」

「いえ、女の子の話をしていたつもりなんですが」

「……ああ、エルフ族の女性は女神のように美しい」

 少しだけ沙良は嫉妬して、カイに反論しようとした時だった。

 ばばば、となにかに囲まれる。金色よりも淡い、まるで天から注ぐ光のように繊細な髪の毛と、青とも緑ともつかない、深いエメラルドのような瞳を有する、エルフ族に囲まれたのだ。

「何者だ!」

 エルフ族の若人が問う。

「わたしはカイ・アーデリック。この国の第三王子だ。エルフ族の長に話があって来た」

 エルフ族が顔を見合わせる。しかし、

「信用ならぬ。第三王子は放蕩してばかりの信用の無い王子ゆえ」

 ぐ、とカイが口を結んだ。沙良があわあわと言葉を探す。

「わ、私は、聖女です! あの、魔物たちが暴れ出す前の歴史を知りたくて来ました!」

 まるで説得力がなかった。こんな小娘が? と、エルフたちはヒソヒソと耳打ちしている。

 結論として、エルフ族はふたりをこの先には進ませないことにしたようで、ある者は矢を、ある者は剣を構えた。

「やめよ」

 ひときわ年老いたエルフが現れる。どこから現れたのか、ふっと、まるで雲の切れ間から光がさすように、その老人は現れた。

「あなたは……?」

 沙良が首を傾げる。老人が沙良の手を握ったからだ。

「おぉ、あなたさまが、次代の聖女さま……見えます、あなたさまの中に、聖女の光が」

「長! しかしこの方が聖女さまだとして、隣の男は――」

「わしが責任を持つ。このものたちは、この世界を救う唯一のかたじゃ」

 バッとエルフたちが武器を下げた。あまりの変わり身に、沙良はいまだに警戒心が解けない。

 エルフ族の長が、沙良の手を引き歩き出す。

「こちらへどうぞ、聖女さま」

 この日を待ちわびていたのだと、長は笑った。


 王都とは比べ物にならない技術で、いうなれば沙良の世界に匹敵する様な技巧の造りの家は、空調がきいていて夏なのに涼しい。

「さて。なにから話そうか」

 ふむ、と長が顎髭を撫でて、まるで子供の頃の話をするかのように、語り出した。実際、長寿のエルフ族にとって数百年前は、さして昔でもないのだが。


 人間は火を手に入れ、武器を手に入れ、道具を手に入れた。

 魔物と人間の別はなく、各々が生態を形成して生きていた。

 しかし、人間は知恵をつけ、武器を持ち他者を傷つけることを覚えた。

 最初は人間同士で争った。その争いは中々終わらなかった。だから人間は、生贄を見つけた。それが魔族だ。

 人間たちは、共通の敵を作り上げ、それを理由に団結を深めた。つまり、魔族を駆逐するために、人間たちは争いをやめて、協力するようになったのだ。

 世界は見せかけの平和を手に入れた。しかし、魔族だって馬鹿じゃない。

 魔族の長が、人間に不可侵条約を申し出た。

 自分たちは人間の領域を侵さない。だから人間も、魔族側の領域を侵さないで欲しい。

 ふたつの種族は和解した。和解したように見えた。


 戦争が終わり、人々は平和を堪能した。しかし、上のものたちは戦争を金儲けの手段としてしか見ていなかった。戦争がなくなって、金の巡りが悪くなる。贅沢は、一度味わうとランクを落とした生活なんて出来なくなる。

 身勝手な人間たちの目論見だった。戦争が集結してまだ百年も経っていなかった。

 人間たちは結託して、とある魔族の子供を殺した。魔族の長の子供だった。

「人間たちをこのまま野放しにするわけにはいきません!」

「しかし、わたしが我慢すれば、戦争にはならぬ」

「我慢ですと? ご子息が殺されたのに!?」

 誰よりも怒るべき魔族の長は、息子の命よりも平和の存続を願っていた。しかし、周りの魔族が黙っていない。

 本来魔族は家族の絆が深い生き物だ。それなのに、魔族の長は苦しみ耐えた。

 耐えたのだが、とある魔族の若者が、長の代わりに仇をうった。

「魔族の襲撃だ!」

「魔族が攻めてきた!」

 魔族は別に、人間を殺した訳じゃない。魔族の長の仇を、少しだけこらしめただけなのだ。

 それを、人間たちが騒ぎ立てた。魔族が攻めてきた、殺される前に殺せ。

 そうして長きに渡る、人間と魔族のいさかいが始まった。

 今から五百年前の話だ。


「それからずっと、いさかいが?」

 沙良は息を忘れて、エルフの長に問うた。

 長は静かにうなずいて、沙良は「そんな」と言葉を失う。

「しかし、最近の魔族たちの暴走は、腑に落ちない点がある」

 長が顎髭を撫でる手を止めた。

「魔族に理性や知性がないと今の人間は思っているようだが、それは間違いだ。魔族にもちゃんと理性や知性はある」

「でも、私が出会った魔族たちは……理性なんて……」

 見境なく襲っているように見えたが。

 カイも隣でうなずいている。

「さよう。しかし、我らエルフ族や身を隠しているドワーフ族は、魔族に近しい存在だが、理性も知性も持ち合わせておる。これが意味するところがわかれば、このいさかいも終わるのではとわしは思うておる」

 確かに、と沙良が呟く。カイもまた、無言で首肯していた。


 エルフ族に見送られ、ふたりはまた、イルの家に居を据えた。

 そもそも、あの時第四王子は、自らの魔法を使わなかった。それにはなにか理由があるのだろうか。第四王子は王族の為、普通の人間より強い魔力を備えている。

 それこそ、一体の魔物をはるかに凌駕する力だ。

「なんらかのからくりがある……?」

 魔物を使役するために、なんらかの条件があるのかもしれない。それにたどり着ければ、この状況も打開できるのでは。

 カイは眠らない。いつ何時、魔物が襲ってくるかわからないからだ。

 沙良の部屋の前で、足を立てて座り、両手に剣を抱えて、目を瞑った。


 翌朝から、カイと沙良は魔力を感知する訓練を始めた。魔力のコントロールの基本は、まず魔力を感じるところからだ。

「なんだか変なことになりましたよね。王子さまと一緒に修行とか」

「だが、ソナタはこの後一時間ほど仕事ではないか。うらやましい」

「うらやまないでください。生活費の為です」

 頭に何冊もの本を積んで、座禅。まるで東洋の修行方法のようだと沙良は思った。少なくとも、座禅はどこの国でも修行に効果があるらしい。

 本を落とさぬように、心を無にして祈る。祈る。祈る。

「あー。無理です。私はそろそろ仕事なので、この辺でお先に失礼しますね」

「はっ、ソナタの頭のなかはいつも占いのことだらけで。それを振り払えれば、この修行もすぐに乗り越えられるのでは?」

「そうですね。そのお言葉そっくりお返しします。大方王子さまは、お料理のことで頭がいっぱいなんでしょうね」

 カイはそれくらい、料理が好きだ。王なんかではなく、料理人になりたい。それがカイの本音だ。

 カイを置いて、沙良は仕事部屋へと向かう。イルの家の一室を、占いの仕事部屋として貸してもらっている。


「えーと、極身弱ですね。すごく弱い……なので、アナタの場合喜神が木の陽――甲なので、甲を持つ人と結婚するといいですね。あ、恋人の分の生年月日もあるんですか?」

 沙良の四柱推命は誰にもまねできない。ホロスコープは人々に親しまれているが、いかんせん『優しい』。四柱推命に比べて、西洋占星術はその人の内面を見るのに適している。対して四柱推命は大きな運の流れが見える。

 もちろん、ホロスコープもトランジットとかプログレスとか、ソーラーアークと言って、ネイタル(生まれたホロスコープ)と、現時点での天体の位置(トランジット)や、一年を一度として、全体の天体を動かして見るソーラーアーク等から未来が見える。プログレスは一日を一年として、ネイタルから天体を動かして見る。

 ネイタルのチャートとトランジットのチャートを重ねるときは、内側の円の星座に合わせて外側の円を回転させてホロスコープを見ていく。

「ここか? 腕利きの占い師がいる店は」

 ひどく横柄な客だった。先客がいるというのに、先客そっちのけで椅子に座り込み、自分の占いをせよと、出生日時を一方的に沙良に告げた。

 明らかに一般人ではない。装甲に身をつけて、剣は三本、腰に差されている。

「ご予約の方ではないですよね」

 沙良が嫌悪を明らかに言った。

「ああ、金なら払う」

 じゃらら、と巾着一杯の金貨を渡され、沙良の眉間にさらに深いしわが刻まれた。

「そういう意味で言ったわけではないです。今はこのかたを見ている最中です」

「あ? 俺のことは占えないっていうのか?」

「いいえ。順番をお待ちくださいと」

 がたた! 男がテーブルを叩いて立ち上がった。この男は怒らせたら面倒だ。そう思うも、沙良の正義感がどうにも彼を受け入れない。

「見たところ、アナタさまは冒険者かなにかのようですが。なにを占いたいのですか?」

「やる気になったか? そうだな、俺のこの先の出世運を知りたい。魔物を切って切って切りまくりたい!」

「出世運……アナタは、それを知ったら、また魔物をたくさん殺すのですか?」

 魔物の骨を首から下げるほどには、この男はいささか凶暴だ。

 沙良の問いに、「当たり前だ」と男が答える。

 沙良がふっと笑った。

「お引き取りください」

「……あ? なんだと?」

「お引き取りください。私は、誰かを傷つけるような人間を占う気はありません」

 バン! と男がテーブルを蹴り上げた。先客の男性は恐れおののきその場を走り去った。男と沙良がにらみ合いになる。

「このアマ、生意気にもほどがあーー」

「俺の許嫁に手をあげるとは、ソナタ、死ぬ覚悟はできているのだろうな?」

 どこから現れたのか、男が振りかぶった拳を、カイが制止していた。

 どどどど、沙良の心臓が早鐘を打った。危なかった、カイが来てくれなければ、自分は今頃けがを負っていた。しかし、後悔はしていない。

「誰かと思えば、へへ……第三王子・カイさまではありませんか」

 男が急にへこへことしだす。権力に弱い人間は見ていて反吐が出る、そう言いたげなカイの表情に、今回ばかりは賛同してしまう。

 結局男はおとなしく引き下がり、カイはふうっとため息をついた。

「無謀すぎだ」

「でも、王子さまが助けてくださいました」

「それは……たまたま気づいただけで」

「そう、ですね……」

 しゅん、と反省の色を見せる沙良をいじめたくなるのは、小動物を握りつぶしたくなる衝動に似ている。

「礼をしてもよいのだぞ」

「え、お礼、ですか?」

「そうだ。俺はこれまで幾度となくソナタを救ってきた。ゆえに、ソナタは俺に礼のひとつもすべきであろう?」

「……ぐ……それは、そう、ですけど」

 意外にもあっさり信じ込んで、沙良のこういう純粋なところは心配だとカイは思った。

「なにかしてほしいことがあるのですか?」

「ん、ああ。そうだな……ダンス」

「ダンス?」

「ああ。そうだ、今度王さまのご生誕の舞踏会が行われる故、そこでのダンスの練習がしたい」

「……それこそ、ほかのかたのほうが良いのでは? 私はダンスのダの字も知りませんよ」

「だからこそ、だ。ソナタにもその舞踏会に参加してもらう」

 えええ、と沙良が大げさに驚く。

「なにを驚く。ソナタは俺の許嫁だ。ならば、共に舞踏会に参加するのは自然なことであろう?」

「うえ……それもそうですけど、えええ」

 いまだに受け入れられないのか、沙良があたふたしている。沙良にばれないように息を吐き出すように笑ってから、カイはこほん、咳払いした。

「ドレスは先日注文したものを着るように。明日から修行の合間を見て、ダンスの練習も開始する」

「かしこまりました……」

 はあ、という沙良のため息が聞こえなかったわけではない。だがそれ以上に、ふたりでなにかをすることが、心底うれしかった。

 そう思えるようになったのは、沙良がカイをひとりの人間として尊重してくれるからだろうか。


 成長期の体には、ことさら栄養が必要らしい。沙良はこの世界に来てから、食べ物がおいしくて仕方がなかった。時折日本食が恋しくなると、カイが気まぐれに煮物や焼き魚を出してくれる。どこで勉強したの、と聞いてもカイは答えてくれない。きっと料理好きだから、いろんな文献を読んで覚えたのだろうと沙良は思った。

「なに、入らぬ?」

「も、申し訳ありません! 太った……よう……で、す……」

 しりすぼみに声が小さくなった。恥ずかしくて消えてしまいたい。

 そもそも、王子が作ったドレスというのが、沙良がこの世界に来たばかりのころ――もう四か月前の体型に合わせたドレスだったのだ。

 成長期の沙良にとって、それはいささか窮屈だった。特に胸が、収まらない。丈も、くるぶしが見えてしまう。これでは舞踏会にふさわしくない。

「申し訳ありません。やせます、やせるので!」

「いや……そうか、ソナタはまだ、成長期か……」

 カイがそろりと沙良を見た。毎日一緒にいるとわからないのだが、確かに幾分か大人びた顔つき、体つきになった気もする。

 まだまだ子供だと思っていたが、人間の成長とは早いものだ。

「では、今日は修行を休んでドレスの採寸に行こう」

「間に合いますかね? 私やっぱり食べすぎでしょうか?」

「いや。俺もソナタくらいの年齢にはそれくらい食べたし、成長もした。ゆえに、謝るな」

「そうはいっても……やはり、お肉がついた気がします。おなかに、このお腹に……!」

 ふにふにと自分のお腹をつまむ沙良だが、カイはどこに視線を向けていいのかわからなかった。自覚するととんでもなく気まずいのだ。沙良はいつの間にかこんなにも大人に近づいた。

 女は男よりも遅く成長期が来るのだと聞いた。しかし、たった四か月でここまで変わるなんて、カイも予想外だった。そして、沙良も。

「やっぱり、西洋のかたたちは日本と違って成長期にかなり成長するみたいですね」

「なんだその、自分の体を客観視しているのは」

「いえ、借り物の体であることを思い出しただけです」

 そうだ、沙良は沙良であって沙良ではない。この娘の本来の姿は、おそらくカイよりも年上なのだろう。言動行動だけ見れば、それは納得できる。しかし、今の姿はいかんせんまだ十五の子供だ。そんな子供に色気を感じるなんてあってたまるか。

「どうしました?」

「いや……俺は外にいるから、採寸が済んだら呼んでくれ」

 はあい、と返事をして、沙良は服屋で採寸をする。

「あらまあ、四か月でここまで成長なさったと? なら仕立ても少し大きめにしておきますね」

「あ、はい」

「胸が大きいのは好いことですよ。ああ、王子さまはお胸が大きな女性がお好みと聞いたけど、その片鱗を見抜いておいでだったのかしら」

「ええ、ちょ。いや、違くて」

「違うのですか? アナタさまは王子さまの許嫁だと聞きましたが」

「そ、そうなんですけど!」

 あの王子が胸の大小で許嫁を選ぶわけない、と言いたかったのだが、服屋のおかみがにこにこと世間話をやめないため、沙良が訂正することはついぞなかった。


「採寸終わりましたよ」

 ひょこっと沙良が服屋の入り口にいるカイに声をかけ、カイは服屋の中に入った。

「王子さま。生地はどちらにしますか?」

 おかみが沙良の体に絹の生地を当てている。きれいな青色、ターコイズブルー、淡いピンクに緑のオーガンジー。

 正直、カイには決められそうになかった

「どれも似合うな」

 早口につぶやく。

「そうなんです。こんなにお美しい許嫁さまなので、もうどれをお仕立てすればよいのやら」

 おかみが次々に絹織物をカイに渡す。カイはうーむ、うーんとうなりながら、

「では、ここからここまで。すべて買おう。デザインは全部違うものにするように」

「ええ、王子さま、お金は……」

「いい。これは王子に出される国費で賄う」

 だめです! と沙良が声を張り上げた。

「無駄使いはダメです。えーと、おばさん。私このターコイズブルーのがいいです」

「お目が高い。この中で一番上等な絹ですよ」

 ええ、と沙良は気まずくなる。自分で無駄遣いするなと言っておきながら、一番高い生地を選んでしまうなんて。

「や、やっぱりピンクの――」

「ではそれで。金はこれで足りるか?」

 カイが懐から金の入った巾着を出す。じゃら、とそれを渡して、おかみが勘定する。カイが稼いだお金だ。

「はい、かしこまりました。五日で仕上げます」

「たのんだ。サラ、帰るぞ」

「お、お待ちください、王子さま……!」

 さっさと服屋を後にして、カイは上機嫌でイルの家へと帰るのだった。

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