不穏な影

「聞いたぞ、ランファ。

 なかなか、大事を引き受けちまったみたいじゃねえか」


 訪れた客たちの胃を満たしてやり……。

 そろそろ店仕舞いにすべく、片付けをしているところで、そう声をかけられた。

 この声を、聞き違えるはずもない。


「――親父。

 珍しいね。

 あんたが、この店に来るなんて」


 そう……。

 にやにやと笑いながら自分を見ていたのは、実の父親だったのである。

 かつて、オウカに住んでいた頃は、もっとがっしりとした体型であったが……。

 この帝都で、煙突掃除という過酷な労働へ従事するようになってからは、すっかり痩せてしまった。

 ただ、生命力を感じさせる眼差しの強さだけはそのままで、実年齢よりも、幾分か若々しい印象を与える。


「おう。

 まあ、俺は料理人として、色々あったからな……。

 もう、料理の腕で身を立てる気はねえし、お前がそうやって曲がりなりにも料理人としてやっているところを見ると、色々と思うところがあるのさ」


 やや、ばつが悪そうな顔で、父が顔をかいた。


「そんなこと言わずに、あたしと一緒に店をやればいいのさ。

 親父はもう、規定の年数を働き終えてるんだから、今のところを辞めたってお咎めはないんだろ?

 煙突掃除夫なんて、いつまでも続けられる仕事じゃないよ」


「そうは言うけどよ……」


 父が目を逸らす。

 親子喧嘩の気配を感じたのだろう。

 皿を洗っていた残りの客たちは、急いでそれを戻すと、どこかへ去っていった。


「お願いだよ。

 親父だって、もう若くないんだ。

 嫌だよ、あたし。

 自分の親父が、煙突掃除中に墜落死なんて……」


 そこまで言って、きっと顔を上げる。

 これは、いずれ言おうと思っていた言葉……。

 もっとこつこつと稼いで、こんな露店ではなく、勇国人が開いているような、しっかりとした店を立ち上げてから告げようと思っていた言葉であった。


「なんとなく、気づいてるよ。

 親父が、あたしと一緒にやってくれないのは、誇りが邪魔しているんだって……」


「おめえ……。

 今更、おれに誇りなんて……」


「分かるよ。

 昔は、宮廷で頭を下げられたりしていた親父が、ここでは、残飯なんかを漁ったりして、食材を得ている。

 あたしだって、方々を回って、頭を下げに下げて、ようやく食材が買えてるんだ。

 そんなのは、ご免なんだろ?」


 じっ……と、父の顔を見る。


「まあ……な」


 父は、言い淀むようにして答えた。

 娘の前では、格好をつけていた父……。

 決して弱音は漏らさなかった男の、偽らざる本音であるに違いない。


「あたし、やるよ。

 あの娘……スプラってんだけどさ。

 成否に関わらず、十分な報酬を払うって約束してくれた。

 その金で、親父としっかりした店を開く。

 ここでやってるみたいに、故郷にいれなくなった連中が、故郷の味を食べられるような店を……」


 そこで、ランファはにやりと笑ってみせる。


「この国の女王様とやらに、親父直伝の料理を食わせて、あっと言わせてみるのも楽しそうだしさ」


「こいつ……」


 父が笑った。

 それは、この国へ渡ってから見せたことがない性質の笑みだったのである。


「だったら、とっておきの料理がある。

 オウカの帝もうならせたもやし料理がな」


 父が、ちらりと食材の残りを見た。

 もやしは、料理をひと皿作るには、十分な量があり……。

 ランファは、久しぶりに父から手ほどきを受けたのである。




--




「意外だったな。

 まさか、お前が説得してくれるとは思わなかったぞ」


 帰りの馬車……。

 隣へ座るスプラに、ゲミューセはそう語りかけた。

 スプラがランファというあの料理人を説得していた時、自分は、いつでも加勢できるよう身構えていたが……。

 ついぞ、その瞬間が訪れることはなく、スプラは単独で説得し終えてしまったのである。


「向こうにとっても、利がある話でしたから」


 何かをした時、この娘はいつもそうだが……。

 なんということはないという顔で、スプラが答えた。


「いや、大したものだ。

 それに、ランファへの話で出てきた小売の大規模化という話も、気になる。

 俺は、単なる箔付けのつもりで聖供祭へ乗り込もうとしていたが、お前には、何か違うものも見えているようだな?」


「それは……まだ空想のような未来図なのですが……」


 自分の言葉で、スプラは考え込むように眼鏡をいじる。


「例えば、ライフルを始めとした軍需品の生産体制ですが……。

 すでに、国内では大規模な工場を造り、分業での量産体制を整えています。

 わたしたちが着ている衣服の、繊維だってそうです」


「うむ……。

 そして、我らが建てているもやし工場も、そういった大量生産思想の表れだな」


「はい」


 スプラが、はっきりとうなずく。


「供給する側が大規模化すれば、消費者への中継ぎとなる小売も、それに呼応して肥大化すると思います。

 近々の話ではありませんが、わたしたちがお婆さんやお爺さんとなる頃には、既存の肉屋や魚屋、八百屋を統合したような店が出来るかと。

 そして、それが国内を網羅するような流通網を形成すると思います」


 思います、と言ったが、その言葉は、ひどく確信があるものであった。

 だが、ゲミューセとしても、そういった潮流は感じないでもない。

 そもそも、この大勇帝国自体が、大規模な工業化によって、他国以上の国力を得た国なのだ。


「俺としても、何事も大規模集約化する流れは感じている。

 しかし、お前が言っていたように、それで泣く者が現れることは、考えていなかったな……」


「一部の大資本家が事を進めれば、必然、利益主義となります。

 それはつまり、減らせるところを、とことんまで減らそうとするということ……。

 もやしだけでなく、例えば、ネジなど、他の製品でもそういった流れは生まれるかと」


「ふむ……」


 今、飛び出したネジというのは、あらゆる工業製品の根幹であり……。

 例えば、先日試射したライフコッド銃に使われているそれは、帝都の町工場で下請けしているはずだ。

 軍部が無茶な値引き要求などをしていないか、一度洗うのも悪くはない。

 ゲミューセは、そんなことを考えたのである。




--




 どうやら、もやし屋というのは、深夜時分から活動するものらしく……。

 この仮工場を任されているレイバという小僧も、夜闇が支配する時間に一度起き出し、作業へ従事していた。


 それはつまり、男が任された仕事を果たすのには、時間を選ぶ必要があるということだったが……。

 問題はない。

 すでに、一日の動きというものを、徹底して調査してある。


 今、この時間は――死角。

 誰も見咎めることはなく……。

 己の目的は完遂し、無事に逃げおおせられることだろう。


 木造の壁に、油をぶちまけた。

 後は、マッチに火を付け、落とすのみ……。



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