全焼

 天災や事故というのは、いつだって突然に発生するものである。

 従って、この日、ビーンズ邸にもたらされた報もまた、突然のものとなった。


 時刻は早朝。

 いつものごとく、家族揃って朝食を取ろうかという時分である。

 食堂に全員が集まり、トーストやもやし入りのスクランブルエッグといった料理を食そうとしていた時、玄関で郵便屋の対応をしていた執事が、慌てて駆け込んできたのだ。


「お嬢様! 旦那様!

 ――一大事でございます!」


 長年に渡って仕えてきた彼が、このように取り乱した様子を見せるのは、珍しい。

 何事かと思っていると、執事は手にした電報を読み上げたのである。


「モヤシ工場デ火災発生。スグ来ラレタシ。

 ……ご所領の代官からです」


「なんだと!?」


「火災だって!?」


 父ソイと兄グリンが、立ち上がって互いの顔を見合わす。


「そんな、まさか……」


 スプラといえば、あまりに突然の報で、そうつぶやくのが精一杯であり……。


「――御免!

 こちらに電報は届いているか!?

 もやし工場で火事があったそうだぞっ!」


 ゲミューセ王子が慌ただしい様子で駆けつけたのは、まさにそんな時のことであった。




--




「さすがは、木造。

 ものの見事に、燃えたものだ」


 つい昨日まではもやし工場だった焼け跡を見たゲミューセ王子が、そう言って腕組みをしてみせる。

 火事といっても色々と区分はあるが、今回のこれは、文句なしに全焼といってよい。

 工場を形成していた木材は、壁の部分が見事に燃え崩れており、今となっては、わずかに焼け残った柱が、かつての輪郭をなんとなく想起させるだけだ。


「せっかく、マルビから追加の豆が届いて、栽培量を少し増やしたところだったのに……」


 悔しげにうめいたのは、レイバであった。


「でも、レイバ君やお婆ちゃんたちが怪我をするようなことがなくて、本当によかったよ」


 スプラとしては、そう言って慰める他にない。

 幸いというべきか、火事が起こったその時、工場内に人はおらず……。

 工場と隣接する小屋で仮眠を取っていたレイバも、煙で火事に気付き、難を逃れることができていたのである。


「うむ。起こってしまったことは仕方がない。

 建物は、そもそも仮のものであり、正式なものを建設中だ。

 また、もやしに関しても、また育てればいい。

 取り替えなど効かない人命が失われなかったのだから、それをもって良しとせねばな」


 ゲミューセ王子も、苦々しい表情となりながら同意した。


「それにしても、こうも激しく燃え上がるとは……。

 空気が乾燥していたにせよ、何か、ただならないものを感じるな。

 ボイラーの管理などは、どうなっている?

 ムロを保温するため、火が入りっぱなしなのだろう?」


「そこは、所定の点検を実施済みです。

 おれとしても、一番怖いのはそこからの火災でしたからね。

 それに、ひとしきり焼け跡を見てみましたが、どうも火元はそこじゃなさそうなんです」


「――なんだと?」


 少し低い声で、ゲミューセ王子が尋ね返す。

 領警察からの報告を聞き終えた父ソイが戻ってきたのは、その時のことである。


「ひとしきり、警察の検分結果を聞いてきました。

 ゲミューセ殿下。

 それに、スプラよ……。

 どうか、落ち着いて聞いてください」


 基本的には楽天家な父ソイであり、このように深刻な顔を見せるのは極めて珍しい。

 だが、続く言葉を聞けば、その表情には納得できたのであった。


「この火事ですが……。

 おそらくは、故意の火災であると」


「故意の火災だって?

 ご領主様! それは本当ですか!?」


 誰よりも先に聞いたのは、レイバである。

 この火災において、最も死亡する確率が高かったのは、彼であったからというのもあるだろう。

 だが、言ってしまえば、自分の城にも等しい場所へ火付けされたのだと聞けば、黙っていられるはずもなかった。


「間違いない。

 火元と思わしき場所が特定されたのだがな。

 そこは、工場の内部ではなく外壁だった。

 しかも、油を撒いて着火した痕跡があったらしい」


 スプラとゲミューセ王子、それにレイバ……。

 三者の間で、しばし、重苦しい沈黙が立ち込める。

 最初にそれを破ったのは、やはり、レイバだ。


「誰だか知らねえが、許せねえ!

 この手で見つけ出して、ぶっ殺してやる!」


 袖をまくりながらの言葉は、普段の彼からは考えられない粗暴なものであった。


「まあ、落ち着け。

 確かに、我が国において殺人と火付けは最も重い罪であるがな……」


 それに、待ったをかけたのがゲミューセ王子である。


「犯人を捜し出し、捕まえるのはお前の仕事ではない。

 罪を裁くのも、な。

 今は落ち着いて、我らにできること、やるべきことを考えるのだ」


「やるべきことって、言ったって……」


 怒りが収まらないのだろう。

 レイバが、下を向きながらぶつぶつと何事かつぶやく。

 そんな彼とは対照的に、現実を見据えられたのが、スプラだ。


「……聖供祭っ!

 もう、二週間後に迫っています!」


 自分の言葉に、ゲミューセ王子とレイバがハッとした顔になる。


「そうだ。

 せっかく料理人を確保できたというのに、これでは材料がないぞ」


「……全部、燃えちまいましたからね」


 ゲミューセ王子の言葉へ、レイバが悔しそうに答えた。


「次にマルビからの船便が来るのは、確か……。

 ああ、やはり聖供祭よりも後だな。

 これでは、種となる豆がないし、そもそも、もやしとして育てるには時間が足りないか」


 手帳を確認した王子の言葉を受けて、レイバに尋ねる。


「レイバ君、他に豆を保管していたりしない?」


「それが……。

 前の実験設備で使ってた豆やもやしも、この仮設工場が出来てからは、全部引っ越しちまってましたから……。

 おれの手元には、在庫がないです」


「そんな……」


 ある意味、先ほどまでよりも深刻な空気が自分たちの間に流れた。

 もやしとは、豆を発芽させた野菜……。

 種となる豆がなければ、栽培のしようがないのだ。


「むううっ……!

 これでは、あの料理人との約束も果たせんかっ……!」


 ゲミューセ王子が、歯ぎしりするような顔でうめく。


「ともかく、可能な限りの伝手を辿って、豆が手に入らないか探してみよう。

 この際、ブラックマッペといわず、他の豆でもいい。

 もやしが育てられさえすれば、な」


 レイバと共に、王子の言葉へうなずく。

 こうして、スプラたちは、様々な人々の間を駆けずり回ることとなったのである。

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