ランファ

 ランファの出自について語るならば、ありふれたオウカ労働者の子孫というべきだろう。

 ランファの父は、事情により、故郷で食っていくことが難しくなり、この大勇帝国へと渡ってきた。

 オウカ労働者への賃金は、勇国人へのそれに比べれば著しく低く、また、労働者と言い換えたところで、実態は奴隷のそれである。

 だとしても、ともかく食っていくことはできるのだから、故郷で飢え死にを待つよりは幾分かマシだったのだ。


 かくして、娘を連れて海を渡ったランファの父が、他の者より少しだけ違っていたのは、かつて、料理人として宮殿へ仕えていたということ……。

 もっとも、何かの事情――きっと下らないことだ――で、帝の不興を買い、国へいられなくなってしまったわけだが……。

 その腕前は本物であり、勇国で得られた貧相な食材――野菜の切れ端などだ――を使っては、美味い料理を作って食わせてくれたものである。


 やがて、成長したランファが、父から受け継いだ料理の腕前で身を立てようと考えたのは、ごく自然な流れであるといえるだろう。


 幸い、鍋は父が故郷から持ち込んだものがあった。

 物件や屋台を借りる金などないので、これは、適当ものを集め路地裏へ繋がる細道で賄うことにする。

 オウカ人たちがたむろするその辺りは、オウカから渡り来たマフィアの縄張りであったが、彼らは、売り上げの一部を収めることであっさりと許可してくれた。


 これには、女ながらになかなか面白いことをするという、好奇心もあったのだろうが……。

 宮殿仕込みの味を食わせてやるという売り文句が、気に入ったらしい。


 そうして開いた露店は――盛況。

 父から受け継いだ技は、確かに通用したのである。

 このような店をやるようになって、一年あまり。

 現在では、利益を元にビールも仕入れるようになり、ますます、店は繁盛していた。

 また、ランファの真似をして店を開く者も出てきて、ますますこの細い道は人が集まるようになり……。

 現在は、勇国の帝都であって帝都でない場所――小オウカと呼ぶべき場所になっていたのであった。


 そのようなランファであるから、自分の腕前には矜持がある。

 いざ、しかるべき舞台に立てば、喝采と称賛で迎えられるという自信もあった。

 だが……。


「お断りだね。

 どうして、あたしが勇国人のために、勇国人の祭りで料理を作らなきゃいけないんだ」


 目の前にやって来た少女へ、そう言い放つ。

 どこか、変わった身なりの娘だ。

 男物の服を、女向けに仕立て直したかのような……そういった服装をしている。

 ただ、その布地はなかなかに立派なものであり、全身に漂わす雰囲気からも、どこぞ貴族家の令嬢か何かであると思えた。


 ――貴族。


 ただでさえ、この国の人間に良い感情を抱いていないランファであったが、最も嫌いなのが、貴族という連中である。

 そもそも、勇国人たちのオウカ人に対する扱いは――酷い。

 人であって、人でないような……そのようなものであった。

 この帝都で働く人間はマシだが、炭鉱などに送られたオウカ人は、過酷な労働で過労死することも珍しくないという。


 そして、この帝都においても、オウカ人というだけで差別を受けるのは当たり前。

 店で扱う食材やビールにしたって、苦労して取り引きしてくれる相手を探し出しているのだ。


 とりわけ、貴族という連中は……。

 例えば、奴らが自家用の馬車に乗っていて、狭い道を走らせていたとする。

 その際、オウカ人がいたとしても、決して手綱を緩めることはない。


 ――お前たちがどいて当たり前だ。


 ――どかぬなら、轢き殺されても文句は言えない。


 そのような、態度であるのだ。


 また、物乞いをしているオウカ人に対しては、小銭ではなく唾を吐きかけたなどという話もある。

 この国で、たまたま身分ある血筋に生れたというだけで、なんという傲慢さであろうか。

 好きになど、なれるはずもない。


 今回、ランファが少女らに食事の許可を与えたのは、揉め事がごめんだったというのもあるが、自身の料理で、鼻を明かしてやろうという気持ちがあったからなのだ。


「話は終わりだ。

 料理を食ったら、皿洗ってさっさと立ち去りな。

 分かるだろう?

 あたしらは、あんたら勇国人が大っ嫌いなんだ」


 だから、そう言ってむべもなく突き放す。

 見るからに気弱そうな少女であり、あっさりと引き下がるだろうと思えたが……。


「それを承知した上で、お願いします。

 もやしをより広く知らしめるために、あなたの力が是非、必要なんです」


 しかし、思いのほかに頑固な態度で、貴族少女が食い下がった。

 たった今、聞いた言葉によれば、近頃世間を騒がし、自分も料理に使っているもやしは、この娘が作っているのだったか……。


「……あんたの言葉によると、この国でもやしを作るようになった貴族っていうのは、あんた自身のことかい?

 となると、一緒にもやしを作っているっていう変わり者の王子様は、あそこの色男か」


 そう言いながら、問題の人物……。

 この帝国における王子らしき人物へ、目線を向ける。

 嫌味ったらしいくらいの美男子は、涼し気な顔で瓶から直接ビールを飲んでいた。


「分からないね。

 目的は、なんだい?

 もやしを、普及させることかい?

 それなら、聖供祭になんか出なくたって、十分に達成できるじゃないか。

 現に、こうやって出回っている」


 言いながら、自分の脇に置いたざるを示す。

 特大のそれには、随分と目減りしてしまっていたが、まだまだ多量のもやしが存在する。

 このように、もやしを扱っているのはランファのみではない。

 勇国人たちもこぞって買い求めており、まだまだ、供給が追いついていないらしかった。


「もちろん、それはあります。

 ですが、わたしはただもやしを定着させたいだけじゃない。

 市場において、ある種の地位を与えたいのです」


「ある種の……地位?」


 急に湧いて出たよく分からない言葉に、つい眉間のしわを深める。


「このまま、順調に大量生産体制が整えば、価格の優等生であるもやしには、小売から買い叩かれる未来が待っています」


 ランファを見ているようで、その実は、どこか遠くを見ながら、少女が語り始めた。


「おそらく、利益を追求する小売は、少しでも安く卸すように、もやしの生産者へ圧力をかけるでしょう。

 きっと、生産者側も、ある程度はそれに従うと思います。

 すると、どうなるでしょうか。

 購入する消費者は、もやしを格安で入手できて当たり前の品と見なすようになり、価格の上昇が望めなくなります。

 その行き着く先にあるのは――破滅。

 卸値へ労力を転換できない産業に、未来はありません」


 はっきり言って、ランファには少女が何を言っているのか、半分ほども飲み込めない。

 だが、飲み込めないなりに、こう反論する。


「そんな、一軒や二軒の八百屋が買い叩こうとしたところで、大した影響はないんじゃないか?」


「いいえ。

 産業界全体を見れば、いかなる業態も大規模化し集約するのが見て取れます。

 それは、小売も例外ではありません。

 極めて大規模に、かつ、強大な権力でもって、もやしを買い叩こうとすることでしょう。

 ですが、女王陛下が気に入られたとい権威があれば、その流れに歯止めをかけられるかもしれません」


 やはり、言っていることがまったく分からない。

 しかし、こちらを真っ直ぐに見つめる少女の瞳には、確信があり……。

 奇妙な圧迫感でもって、ランファのことを拘束していた。


「それに、そちらにも利がない話ではありません」


「なんだって?」


 急にそんな話を振られ、思わず身を乗り出してしまう。

 そんな自分に、少女はこう言ったのだ。


「おそらく、あなたやここにいる皆さんが、わたしたち勇国人を嫌うのは、今現在に受けている不当な仕打ちが原因でしょう。

 ですが、聖供祭で実績を示せば、世間の見る目は変わります。

 あなた方、オウカ人への待遇を改善する一石となり得る」


「そんな。

 たかが料理で……」


 言いながら、気づく。

 自分が、揺れ動きつつあることに。

 そうだ。

 父から受け継いだ料理の腕前は――本物。

 そして、オウカの料理こそは世界一のそれであり、万人を満足させられる代物なのである。


「たかが料理、ではありません。

 この国において、絶対的な存在である女王陛下を満足させた料理です。

 間違いなく、影響はあります。

 少なくとも、あなた個人はこんな細道の露店ではなく、ちゃんとした店を構えられるようになる」


 最後に、少女が畳みかけるように身を乗り出した。


「どうか、この話を受けて下さい。

 わたしのもやしを使って、聖供祭で料理を……!」


 ランファは、この提案に……。

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