リトルオウカ

 ここを言葉で表すならば、そう……。

 喧騒と酒気で支配された世界と、そう形容するべきだろうか。


 通りに立ち並ぶ店は、さっきまで乗り込んでいた高級店と比べ、明らかに小さく、狭い。

 よって、店の中に客が収まりきらず、外にまで机や椅子を用意している始末であった。

 そこへ、ぎゅうぎゅうに収まった帝都の男たちが、身を寄せ合いながらビールの入ったジョッキを掲げている。


 彼らが酒臭いのだろう息を吐き出しながら語っているのは、競馬の予想だとか、家族の近況だとか、仕事の愚痴だとか……。

 いずれも、他愛ないものだ。

 だが、その他愛ない話をして飲む酒が、格別ということなのだろう。

 皆が皆、酒が進んでいるようであり、大声で笑い合っている。

 そんな酒の供として、茹でたり揚げたりしたもやしが使われているのを見ると、少しばかり誇らしいスプラであった。


「ふうむ。

 こうして、もやしが実際に使われている場面を見ると、なかなかどうして、してやったという気分になるな。

 単なる思いつきでの来訪だが、これだけでも、収穫と言えるかもしれぬ」


 スプラを連れて歩きながら、ゲミューセ王子がそんなことをつぶやく。

 すでに、新聞によって顔が売れている自分たちであり、酔漢の中には、こちらを指差して何事か語り合う者の姿もある。

 しかし、実際に絡んできたりすることがないのは、リーベン氏たち護衛の人間が、それとなく囲ってくれているからだろう。


「さて、肝心の何を食べるか、だが……。

 迷ってしまうな。

 今宵、俺の胃袋は何を求めているのか……」


 ぶつぶつと考え込むゲミューセ王子。

 そこで、スプラの意見を求めないところは、流石であると思えた。


「――――――ッ!」


 と、聞き慣れない言葉が耳に入ってきたのは、そんな時のことである。


「今のは、オウカの言葉か?」


 それを聞いたゲミューセ王子が、そう言ってあごに手をやった。


 ――オウカ。


 東方において、広大な国土を有する帝国の名である。

 ただし、今現在は技術革新に取り残されており、安価な労働力として、移民が列強国へ吐き出されているのが実情であった。

 その列強国には、当然ながら大勇帝国も含まれており……。

 この帝都にも、相当数のオウカ人が、単純労働力として住むようになっているのだ。


 路地裏へと繋がるその細い道は、どうやら、そういったオウカ人たちがたまり場としている場所であるらしく……。

 明らかに国籍と人種が違い、装いこそ勇国式なものの、ボロボロになっている衣服を着た者たちが、露店で飲んでいる。


 ――ちょっと、怖いな。


 スプラがそのような感情を抱くのは、無理からぬことだろう。

 ただでさえ、人種と言語の壁というものがあるのだ。

 それに加えて、どこかすさんだ雰囲気まで漂わせているのだから、これは近づかぬが吉である。

 その証拠に、飲み屋街を歩く勇国人たちも、この道へは近寄らないようにしているのが見て取れた。


 おそらく、この細い道は、帝都にあって帝都でない場所……。

 リトルオウカとでも呼ぶべき場所なのだ。


「面白い」


 しかし、そんなスプラの考えなど、知ったことではないのが、ゲミューセ王子という人物である。

 彼は、不敵な笑みを浮かべると、自分たちに向けこう宣言したのであった。


「せっかく、通りがかったのだ。

 ここはひとつ、異文化交流と洒落込もうではないか?」


 そう言うと、リトルオウカに向けてずんずんと前進し始める。


「お、お待ち下さい」


 焦ったのは、リーベン氏を始めとする護衛の人々であった。

 彼らの任務を考えれば、これは当然のことだ。

 守るということは、そもそも、危険な場所に近付けないということなのである。


 だがやはり、そんなことは、知ったことではないゲミューセ王子だ。

 我こそが大勇帝国。

 ここは我が庭。

 そう言わんばかりの態度で、オウカ人が入り乱れる道を分け入って行ったのであった。


「――――――ッ!」


「――――――ッ!」


 ゲミューセ王子に向けて、何人かのオウカ人が、威嚇するかのように叫ぶ。

 が、早口のそれを解せる者は、こちら側にいない。

 オウカ語の読み書きだけならできるスプラだが、会話の方は不可能である。

 とにかく、護衛の面々は、慌ててオウカ人と王子の間へ入ろうとしたが……。


「はっはっは!

 何を言っているか、まったく分からんぞ!」


 肝心の守られるべき対象は、このような調子であった。


「そもそも、ここは大勇帝国の帝都だ。

 お前たちが、いかなる理由でここにいるかは知らん。

 しかし、この国にいるからには、この国の言葉で話せ。

 何も、まったく話せないというわけではないのだろう?」


 ばかりか、挑発でもするかのようにそう言ったのだ。

 なるほど、王子が指摘した通り、まったく勇国語が分からないというわけでは、ないのだろう。


「――――――ッ!」


「――――――ッ!」


 オウカ人たちが、ますますいきり立つ。

 何を言っているかは分からないが、そこは生身の人間同士。

 なんとなく、伝えたいことは雰囲気で分かる。


 ――ここは、オレたちの縄張りだ!


 ――勇国人たちが、気安く入って来るんじゃねえ!


 ……おそらくは、そのようなことを言っているのだ。


「どうした、どうした?

 なんでもいいから、我が国の言葉で話してみよ」


 それを、分かっていないゲミューセ王子ではないだろう。

 なのに、ますます面白そうに挑発を重ねる。


 一体、何がしたいのか……?

 もしや、喧嘩がしたいだけなのか……?


 スプラとしては、ハラハラとしつつも、護衛の一人を盾としながら見守る他になかったが……。


「――よしな!

 あたしの店先で、むやみに騒ぐんじゃないよ!」


 ややなまりはありながらも、はっきりとした勇国語が、オウカ人の男たちを制したのであった。

 声がした方を、見やる。

 声の主は、若い女であった。


 袖のないシャツを着て、農夫が着るような野暮ったいズボンを履いている。

 顔立ちは、周囲のオウカ人と共通する特徴を備えているが……。

 ひとつだけ確かなのは、美人であるということだ。

 エキゾチックとでもいえばいいのか、こちら側の人間が持ち合わせない独特の美しさを備えているのであった。


 そんな彼女が手にしているのは、盾を彷彿とさせる形状の大鍋と、おたま……。

 これを豪快に焚き火の上で振るい、集ったオウカ人たちへ料理を出しているのだ。


 屋根も、椅子すらもない。

 せいぜいが、空の樽をテーブル代わりにしているような露店。

 その主が、彼女のようである。


「あんたたち!

 飯を食いたいっていうなら、あたしは拒まない!

 ただ、うちの客たちと揉め事を起こしたいってんなら、帰ってくんな!」


 威勢よく言い放つ女……。

 こんな態度を見れば、ますます面白がるのが、ゲミューセ王子という人物だ。


「おお! まさに腹を減らしていたのだ!

 拒まないというなら、ありがたい!

 皆で仲良く食事といこうではないか!」


 案の定、こう言ったのであった。



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