根の力
「改めて見ると、これだけのものが、こうも短期間で完成したことには驚きます」
ビーンズ伯爵領に建設された仮設のもやし工場……。
鉄道と馬車を乗り継いで訪れたその場所を見上げ、スプラはそうつぶやいた。
木造の建物は、そんじょそこらの学び舎には劣らぬと思えるがっしりとした造りであり……。
内部には、コンテナ台車や室内用のポンプ井戸に加え、ボイラー、水槽、根切り機など、レイバや自分の要望に応じた各種の設備が存在するのだから、それも当然だろう。
「これが、金の力というものだ。
とはいえ、施工した業者の弁を借りれば、様々なところが簡易化されているらしいがな。
まあ、演劇の書き割りみたいなものだ。
少しばかり、立派な、な」
リーベン氏と共に馬車から降り立ったゲミューセ王子が、そう言ってうなずく。
「ここのところは、輸入するブラックマッペの手配とか、各地の小売と面談したりとかで、ここを任せっきりにしてしまっていましたから、レイバ君と会うのも久しぶりですね」
「現場を任せられる管理者がいるというのは、良いことだ。
軍の役職に例えるならば、奴はさしずめ軍曹といったところだな。
最近、新聞を通じて募集している各地からの志望者……。
今は書類選考している段階だが、面接を経て採用した暁には、そやつらのことも育て上げてもらわなければな」
腕組みしながらゲミューセ王子が言った、その時である。
「お嬢様! ゲミューセ様!
今日はお越し頂き、ありがとうございます!」
工場の入り口から出てきたレイバが、そう言って自分たちを出迎えた。
何しろ、新聞によって顔が知られたゲミューセ王子と自分なので、現在では警察から派遣された護衛の者が、常に数人は張り付いている。
その護衛の内、一人が先んじて到着し、先触れとなってくれたのだ。
「レイバ君、久しぶり。
今日は、何か急ぎで伝えたいことがあるって話だけど……?」
そう言いながら、久しぶりに会った農夫の息子を見やった。
育てる作物の量が増えた影響だろうか……。
彼は、格好こそ今まで通りなものの、どこか風格が出てきたというか、内面の厚みを増したように思える。
それこそ、ムロのもやしがすくすくと育つように……。
少し見ない内に、様変わりしていたのだ。
「あれ?
用件については、手紙に書いていたと思うのですが……」
「ああ、あの悪筆な手紙な」
唯一、手紙を読んでいたゲミューセ王子が、鷹揚にうなずく。
「内容を見て、これはあらかじめ伝えておかない方が、かえって真意は伝わるだろうと思い、教えずにおいたのだ」
「そうでしたか……。
では、中の休憩室に。
準備はもう、済ませてあります」
いつもながら、男子の間で話は勝手に進んでいき……。
スプラは、仮設工場内の休憩室へと誘われたのである。
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「なんだか、恥ずかしいねえ。
お嬢様だけでなく、王子様にまでこんなババの料理をお出しするなんて……」
机と椅子が存在するだけの簡素な休憩室……。
そこで、レイバの祖母が供したのは、木皿によそわれたスープであった。
「これは……」
それを見て、困惑する。
具も何もないスープ……。
だが、漂う香りには、野菜が持つ生命の力強さが感じられる。
「とりあえず、味見をして頂けますか?」
自分たちと対面に座ったレイバに促され、匙を取った。
「じゃあ……」
そして、ゲミューセ王子やリーベン氏と共にひと口含んで――驚かされたのである。
「――美味しい」
「味付けは、塩のみか。
だが、それでかえって、出汁の風味が強く感じられる。
野菜が持つ、滋養のある旨味がな」
そこは、さすが王子というべきだろう。
上品にスープをすすったゲミューセ王子が、そう言って匙を置く。
「問題は、このスープを作るにあたって、何を材料としたのかだったな」
「はい。
少しお待ち下さい」
そう言って、レイバが退出する。
そして、すぐに戻ってきた彼が携えていたのは、ざるに入れられた――もやしの根と豆であった。
「今、食べて頂いたスープは、これで出汁を取ったものです」
「もやしの豆と根で!?」
それには、驚くしかないスプラだ。
もやしというのは、豆と根を取り除いて食するもの……。
そう、東方からの書物には記されていたし、自分も信じて疑わなかったのである。
「驚きますよね。
でも、もやしの旨味ってやつは、特にこの根っこへ強く宿ってるんです。
考えてもみれば、当然だ。
これを伸ばして、命をつなごうとしてるんだから……」
根の一本をつまんだレイバが、そう答えた。
ひょろりとした……それでいて、本体の茎ほどもある長さの根。
それに、これほどの力が秘められていたとは……。
「それで、本題へと繋がってくるわけだ」
ゲミューセ王子に促され、レイバが決意の顔となる。
そして、こう言ったのだ。
「お嬢様……。
せっかくにも、大きな機械を作り導入してもらいましたが……。
もやしの豆も根も、取り除かなくていいというのが、実際に作業するおれたちの結論です。
何より、勿体ない」
朴訥な少年が向ける真っ直ぐな眼差し……。
これを受けては、スプラも考えざるを得ない。
「確かに、濃厚な味……。
どうして、本には取り除けと書いてあったのでしょう?」
「スプラよ。
そもそも、お前が読んだ本というのは、どのようなものなのだ?」
「カンガン、と呼ばれていた文官の手記です。
あちらの宮廷において、かつて、強い力を持っていた文官ですね」
自分の言葉に、ゲミューセ王子がほうと息を漏らす。
「武官が権勢を誇るのはままあることだが、文官がそうなるというのは、珍しいな。
一体、どのような存在だったのだ?」
「簡単に言うと、男性としての機能を手術によって取り除き、コウキュウ――エンペラーの奥方などが暮らす場を差配していた人たちです」
なぜだろう?
自分の言葉に、ゲミューセ王子やレイバのみならず、リーベン氏までもが震え上がりながら両手を股に突っ込む。
それはさておき、本の内容を追憶した。
「そう……そのカンガンでも、とりわけ、エンペラーの覚えがめでたい人物による執筆でした。
どうやら、文官としての職務に留まらず、エンペラーへ出される食事に関しても様々に口出しし、差配していたようです。
その熱意は凄まじく、エンペラーに出す食材の調理法のみならず、栽培方法などに関しても、細かく記した本をいくつも残したようであり……。
わたしが入手した本は、もやしを含むいくつかの農作物について書いたものでした」
「ふむ……。
どうやら、それが原因だな」
スプラの話を聞いて、なぜかまだ両手を股に挟んだままのゲミューセ王子が、顔だけはきりりとさせながら口を開く。
「エンペラーにお出しする料理となると、なるほど、もやしの根や豆が残ったままというのは、いかにも見た目が悪い。
また、食感に影響が出ることも嫌ったのかもしれぬ。
それゆえ、もやしからは豆と根を取り除くべしと記したのだろう。
そういった職務の男……? 男としよう。
そういった職務の男ならば、見えている世界は狭い。
ゆえに、普遍的かつ当然のことかのごとく記したのだ」
ハッとさせられる。
ゲミューセ王子の推察は、時間も国も飛び越えて、見事的中していると思えたからだ。
「まあ、さっきの銃と同じだな。
何事も、疑いを持ち、実際に試してみねば分からんものということだ」
ゲミューセ王子が、結論付けた。
震えながら股で両手を挟んでいなければ、格好がついたに違いない。
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