ハベストの決断
「馬鹿な……!
この数字は、本当なのか……!?」
プーアー伯爵家に存在する自室で、提出された書類を読んだハベストは、そう叫びながら歯噛みした。
紙を持つ手には、自然と力が込もり、これをくしゃくしゃにしてしまう。
しかし、それも当然のことだろう。
書面に書き連ねられた数字は、ようやくにも収穫された作物の売り上げが、散々なものであることを示していたのである。
「残念ながら……」
主の言葉を、長年この家へ尽くしてきた家令が首肯した。
彼にとっても、この結果は予想外のことである。
何故ならば……。
「不作であるならば、穫れた分の野菜を高く売ればいい。
それだけのことだ。
なのに、どうして帳尻が合わない!?」
言いながら、ハベストが書類を机に叩きつけた。
彼の策は、生産する側として当然のものである。
量が得られなかった以上、収穫できた分に金額を上乗せする……。
ただでさえ、例年のものに比べ質が劣るところに、値段まで上がったのでは、購入する側には踏んだり蹴ったりであるが、こればかりは仕方がない。
作り、卸す側とて、霞を食っているわけではないのだ。
「小売が、仕入れを渋っております。
結果、我が方としては、在庫がだぶついてしまう事態となっておりまして……」
「在庫がだぶついた、では済まない!
いいか、モノは野菜だ! 生鮮食品なんだぞ!?
それが、死蔵されるということは、腐ってしまうということじゃないか!?」
「仰る通りで……。
傷んだものに関しては、牧場に納入された家畜の飼料とするしかないかと……」
それは、ひどく妥当な結論だ。
傷んでしまい、人間が食べられなくなった以上は、せめて家畜に食わせて餌代の補填とする。
合理的なものの考え方であったが、難点を挙げるならば……。
「そんなの、まったく採算が合わないじゃないか!
うちの領は、農民から作物を買い上げ、それを売り払うことで税収としている!
これでは、農民に支払う金の分が、余計な負担となるだけだ!」
ハベストが語ったプーアー伯爵領のやり方は、何もそう珍しいものではない。
要するに、民間の農場と同じ……。
手足として働かせ、作物を収穫させる代わりに、給与を支払っているだけだ。
それはつまり、作物が売れなければ、現金収入を断たれるということ……。
「くそっ! くそっ! くそっ……!
豊作なんて望んでいない!
ただ、例年通りに収穫されればよかった!
なのに……!」
先日にも言った言葉をまた吐き出し、ハベストが頭をかきむしる。
あるいは、これは、彼が初めて農業というものの恐ろしさを知った瞬間かもしれなかった。
わずかな気温の変化や、あるいは病気などにより……。
注いだ金も手間も時間も、全てが水泡に帰す。
それこそが――農業。
今まで、帳簿の数字でしかこれを見てこなかった若者は、初めて、農というものの不安定さを知ったのだ。
「それにしても……」
ハベストが、ぎりりと歯ぎしりする。
「どうしてだ!?
どうして、小売が仕入れを渋る!?
やつらだって、物を売らなければ生活できないだろう!」
それは、抱いて当然の疑問であった。
民は腹を減らす。
商人は、そんな民たちに食べ物を売る。
商人は、生産者から売るための食べ物を仕入れる。
子供でも知っているモノと金の流れだ。
「小売の者らは、代替品を扱うようになったのです」
自分の言葉に……。
ハベストは、ぎくりとした様子となった。
「その、代替品というのは、まさか……」
「そのまさかでして……。
スプラ様が研究したもやしでございます」
がく然とした様子で、ハベストが椅子に座り込む。
そんな彼に、家令は言葉を続ける。
もしかしたら、怒りを買うかもしれないが……。
そうだとしても、言うべきことを言うのが、己に与えられた役割なのだ。
「ハベスト様は、先日の一件以来、スプラ様が絡んだ記事は抜いた上で、新聞を持ってくるようお命じになられていました。
ゆえに、ご存知ないのも無理はありませんが……。
現在、第一王子ゲミューセ様は、王室予算で仮設のもやし工場を建設し、早くももやしの生産へ乗り出しています」
次代の主に代わり、読んでおいた記事の内容を告げる。
まさに、ここしばらくの国営新聞は、第一王子の御用新聞。
少なくとも、週に一度は、彼とスプラ嬢の動向について報じていたのであった。
「正式な工場は、最新の鉄筋コンクリートを用いた方法で建設するそうです。
ですが、それに先んじて、第二候補としていた場所へ木造の仮設工場を建設し始めたのが、一ヶ月ほど前……。
仮設工場は、二週間ほどで完成し、すでにそこで育てられたもやしが、市場へ出回り始めています」
「……値段は。
店頭では、いくらくらいで取り引きされている?」
「よその土地では、輸送費が上乗せされるでしょうが……。
ここ、帝都においては、200グラムがおよそ、90ルードから100ルードほどで取り引きされています」
「なんだと!?」
ハベストが、くわと目を見開く。
今の季節、プーアー伯爵領で収穫される秋野菜といえば、かぼちゃやにんじん、ほうれん草といった品々であるが……。
200グラムでこの値段は、それらプーアー家で扱う野菜の卸値よりも遥かに安い。
確かに、今年が不作だというのはある。
それにしても、もやしのこの値段は、いっそ暴力的といってよい安値であった。
「……あり得ない。
そんな安値で、利益が出せるのか?
人件費くらいはかかるだろうに……」
「もちろん、今は大赤字でしょう。
何しろ、将来使う工場に加え、仮設の工場まで造ったのですから。
ですが、ゲミューセ殿下は、投資のことごとくを回収してきた辣腕。
今回も、将来的には利益が出ると踏んでいるのかと。
それに加えて……」
つい、先日……。
国営新聞で大々的に伝えられ、世間を賑わしている事柄について触れる。
不作の兆候が見られて以来、ハベストは社交などもしなくなり、陰鬱とした表情で屋敷に閉じこもりがちであった。
ゆえに、このことも知らないのだ。
「……実は、もやしを食べた脚気の病床兵が、快方に向かったと、先日の新聞で報じられていました。
世間は今、もやしとその原料になったブラックマッペを、奇跡の食材としてもてはやしています」
告げた後に生じたのは――沈黙。
「は……ははは」
やがて、ハベストが笑い始める。
「きっと、それも真実なんだろうな。
圧倒的な安さに加え、そんな実績まであるか。
これじゃ、うちの野菜なんか見向きもされなくなるわけだ」
ハベストはそのまま、く……くく……と、力なく笑い続けた。
もう、笑うしかないに違いない。
「いかがいたしますか?
対処は?」
恐る恐る尋ねると、ハベストが顔を上げる。
その瞳に宿るのは、正常な光ではない。
「農夫たちへの給金……今期分は、まだ支払っていないわけだが。
これを、支払わない」
「……それは!」
息を呑む。
それは、あり得ない決断だ。
だが、若き次期当主は、断固とした様子で続けたのである。
「何しろ、振るための袖がないんだ。
給金など、支払えるわけもないだろう?
代わりに、作物の献上は不要とする。
せいぜい、自分たちの作物で、飢えを満たせばいいさ。
元はといえば、そいつらが不甲斐ないから招いた事態なのだから……」
そこまで言って、ハベストがじろりとした視線を向けてきた。
「さあ、僕は決断し、指示を出したぞ」
「……御意」
一礼し、家令は下がる。
ここは、まさしく運命の転換点。
プーアー伯爵家は、本格的に破滅の道を辿り始めたのだと理解しながら……。
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