経験則
「是非、お話をお聞きしたいです」
自分を差し置き、身を乗り出したスプラの姿に、ゲミューセは軽い驚きを覚えた。
何しろ、このスプラ・ビーンズという少女は、内気かつ引きこもり気味の性質であり、自分から積極的に他者へ関わるのは苦手としている。
まして、眼前に居並ぶのは、第一王子である自分すらも多少の気後れを感じる古強者たちなのだ。
だが、メガネを持ち上げる婚約者の姿にはもう、腰の引けた様子が一切ない。
それよりも、これから先の言葉を一言一句聞き逃すまいとする前のめりさが目立った。
これこそが、スプラという少女の本質……。
己が興味を抱いた事柄に関しては、どこまでも突き進むし、その際、生来の人見知りは鳴りを潜めるのだ。
「もちろんです。
そのために、お呼び立てしたわけですから」
こちらも、ずいと身を乗り出してマリネーが答える。
伯爵家の令嬢と、かつての海軍大将……。
両者の視線が、確かに結びついた。
「まず、お聞きしたいのが、先の言葉……。
脚気の原因は、野菜などの力が不足するからであると考えたその根拠です」
こうなれば、己など居ても居なくとも変わらぬ。
黙って見守っていると、スプラははっきりと切り込んだ。
「それに関しては、船乗りの経験則と言うしかありませぬ」
対するマリネーの方も、堂々と答える。
彼の言葉にうなずいているのが、同じ海軍の関係者たちだった。
「我ら船乗りの中でも、特に航海経験の豊富な者は、皆、
場合によっては、酢漬けにしたり塩っぴきにしたり……。
そうやって、航海の最中、少量なりとも野菜を食するのです」
「それは、どうしてでしょうか?」
「体調を維持するため」
スプラの質問に、マリネーが間髪を置かず答える。
「古くは、大航海時代から船長職へ延々と受け継がれてきた経験則ですな。
あまりに長期間、野菜などを食べずにいると、血が腐る。
そうなってしまっては、もはや航海どころではありません。
有名な船長の手記に、『リンゴがみしりと詰まった樽も積み込んだ』と、いうものがありますが――」
「――ロンブスの航海日誌ですね。
いよいよ公海に乗り出す前、最後の補給を終えた日の記述です」
やや食い気味なスプラの言葉に、マリネーが目を丸くした。
しかし、次の瞬間には、ほほ笑みながらうなずいたのである。
思いも寄らぬ相手が、自分たちの職分に関して理解を示す……。
勇国きっての人殺しであっても、これは嬉しく感じてしまうものらしい。
「理解が早くて助かります。
海の男たちは、かように昔から、病と食の関係性を経験で理解していたのです」
「さっきから、黙っていれば……。
海軍ばかりが、若いお嬢さんと会話を楽しまれていますな」
話に割り込んできたのは、この中――老人を中心とした集まりでは、いくらか年若い男。
現役の陸軍大将、ミーアであった。
地位に相応しい形へ整えたヒゲをいじりながら、陸軍首脳の一人が口を開く。
「経験則といえば、陸軍にも存在する。
かつて、私が一介の少尉として隊の旗を担っていた頃……。
兵に配給されるのは、石のように硬い黒パンや、あるいはビスケットだった。
お嬢さんは、あれらを食べたことがおありですかな?」
「いえ……ありません」
口をつぐんだ婚約者に、そっと告げてやることにする。
「あんなものは、お前が食べる必要はない。
歯が欠けるぞ」
「ふん。
ゲミューセ殿下ともあろう方が、何を情けない」
「先王が聞けば、嘆きますぞ」
軍の将官というより、親戚を説教する老人といった風に参席者たちが責め立ててきた。
これだから、この老人たちは苦手なのだ。
「と、話が逸れましたな」
肩をすくめる自分から目を逸らし、再びミーアが口を開く。
「我らの苦労話をする場ではなかった。
ともかく、あの時代、脚気などというものは、そうそう見られるものではなかったのです。
もっとも、兵たちと同じ食事に音を上げ、専属の料理人などを連れていた貴族上がりの士官は別でしたが……。
あのような者は、病気より先に敵兵の刃や銃弾で死んだものだ」
ミーアの言葉に、陸軍の者たちがうんうんとうなずく。
彼らにとって、そのような士官は仲間と呼べる存在でなかったに違いない。
「つまり……。
海軍と陸軍の総意として、現状兵に与えている食事が、脚気を引き起こしていると?」
これまでの話を総括して、スプラが老人たちを見回す。
これに、異を唱える者はいなかった。
そうなると、当然ながら気になってくることがある。
スプラは、単刀直入にそこを突いた。
「なら、どうしても気になることがあります。
食事が原因だと推測できていて、今まで、改善されなかったのですか?」
途端に立ち込める重苦しい空気……。
一同を代表したのは、やはりマリネーである。
「それが難しいのです。
例えば、今現在に配給している白パンを、昔ながらの黒パンへと変更する……。
これをすれば、反発は免れません」
「陸軍としても、同意を示します。
兵の募集においては、食うに困ることがなくなることを、第一に宣伝しているのです。
特に、庶民では滅多に食べられない白パンを常食できることは、強く謳っております」
これは、ゲミューセも承知していることだ。
実態として、栄光ある大勇帝国軍の半数近くは、他で食っていけなかった者たちや、貧しき食生活からの脱却を志した者で占められているのである。
「では、野菜や果物を積極的に献立へ組み込むことは、どうですか?」
「費用をどう捻出するか、ですな」
予期していたのだろう質問に、マリネーがすらすらと答えた。
「ご存知の通り、我が国においては野菜が高価です。
ただでさえ大食らいな軍隊に、満足いくほどの量を調達するとなると、生半可なことではありません」
「占領地においては、食文化の違いが大きな問題となっています。
マルビを始め、帝国が植民地としている国は、伝統的に豆類や根菜を栽培し、食しています。
が、我らはにはそれを常食する習慣がなく、兵に出しても気味悪がられる」
海軍元大将の言葉を受けて、陸軍現役大将が続ける。
思い起こされるのは、スプラの誕生パーティーで参加者たちが見せていた反応……。
そして、先日の辻売りだ。
自身を慕う子供たちが暮らす救護院ですら、頼みこみ、懇願するまでは難色を示されたものである。
ああいった反応には、食文化からくる未知への忌避感情が影響しているのだ。
「そこで、お嬢さんが育てられたもやしに繋がるわけです」
マリネーが、鋭い眼差しをスプラに向けた。
「あれは、東方へ条約締結に赴いた時のこと……。
私は、現地でもやし料理を出され、薄気味悪さは感じたものの、外交関係を優先し我慢して食しました。
そして、驚きました。
なかなかの美味である、と。
お嬢さんのもやしは、使ってる豆が違うのか、やや違う味でしたが……やはり、美味かった」
「もしや、それはブラックマッペ――黒豆を使ったもやしではありませんでしたか?」
スプラの問いかけに、少し驚きながらマリネーがうなずく。
「確かに、黒い豆から育てるとその時に聞きました。
そして、多くの兵を駐屯させているマルビ共和国は、同じ豆の産地です」
「実は……わたしもゲミューセ様と、もやし生産は、マルビ産のブラックマッペを使おうと話していたのです」
「ほう」
――話が早い。
そう言わんばかりに、老将が目を見開く。
「そのブラックマッペ……マルビでは、挽いたものを小麦などと混ぜて、あちら式のパンを焼いています。
マルビ人に、脚気の患者が出たという話は聞きませんな。
我々は、かわいい兵たちを同じようにしたいと思っています」
そこで、一同が一斉にスプラを見た。
ならば、続くマリネーの言葉は、総意であるに違いない。
「スプラ様……。
あなたには、是非、それにご助力頂きたい」
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