勉強会

 帝都郊外には、前線で負傷した軍人を治療するための軍病院が存在する。

 内部の医療施設は、常に最新鋭のものへ更新されており、務める医者たちも精鋭揃い……。

 祖国のため、勇敢に戦った者たちはここへ送り込まれて手厚い治療を受け、再び戦線に復帰するか、あるいは、第二の人生へと踏み出すことになるのだ。

 ただし、それは当然ながら、回復したならばの話である。


 中には、送り込まれたはいいものの、症状改善の余地がなく、ただ安寧な状態で死を待つのみな者の姿も見受けられた。

 そういった者で多数を占めるのは、負傷者――ではない。

 確かに、広大な各支配地域を守護する兵の中には、なんらかの理由により、重大な負傷をする者もいる。


 だが、マルビ相手の戦争以降、帝国は新たな支配地域を得るための闘争をまだしていないため、兵士たちが出くわすのは、偶発的な小競り合いや、または抵抗運動といったものに限定された。

 そうそう、そこまでの重症者が出るような状況ではないのである。


 では、ただ死を待つばかりの患者とは、どのような者たちであるのか……。

 その答えは、脚気の患者たちであった。


 ――脚気。


 遥か昔から、貴人たちの間で恐れられてきた不治の病である。

 症状は、全身のむくみ、下半身の倦怠感、痺れ、食欲不振など……。

 そして、病状が進行すると、動悸や息切れに加え、感覚の麻痺も起こってくるのだ。

 末期となれば、寝たきりで動けなくなり――心臓が止まってしまう。


 一体、何が原因でこの病気となるのか……それは、いまだ判明していない。

 ただ、明らかに王侯貴族たちの間で発症する者が多かったため、かつては、貴族病とか貴人病と呼ばれていたものであった。

 その病魔が、今では身分の見境なく、兵士たちにも牙を剥いている……。


 ある者は言った。

 これは、兵士の生活水準が、かつての貴族と同等になったからだと。

 士気を維持するため、帝国は兵士の暮らしぶり……特に、食生活へ気を揉んでいる。

 豊かさ……特に食のそれを基準として病気が降りかかるならば、なるほど、これはあり得る話であると思えた。


 また、ある者はこう言う。

 これは、戦死者の無念が引き起こした病であると。

 なるほど、戦場で死した者たちが恨むのならば、戦いを引き起こす原因となった貴人たちであるというのは、筋が通る。

 現代においては、それが、大勇帝国における力の象徴――帝国兵全てに拡大したというのだ。

 これも、話の筋は通った。


 それにしても、いずれの言説を採用するにしても、問題となるのは帝国の姿勢そのものを変えねばならないということだ。

 そして、それは不可能である。


 兵士たちから、白パンを取り上げ、岩のように硬い黒パンを食べよと伝えれば、士気はどうなるか?

 当然ながら、ガタ落ちすることが避けられぬ。


 また、弱肉強食の当世において、拡大路線を捨て、いたずらに縮こまっていては、他国からあらゆる面で置き去りとされてしまう。

 そうなってしまえば、弱きを取り込んで拡大したはずの帝国が、逆に弱き者として取り込まれることとなるだろう。

 それだけは、避けねばならなかった。


 つまるところ、事態の深刻さを理解しつつも、帝国上層部はまったくの無策でいるしかなかったわけであり……。

 それ以前の問題として、まことしやかにささやかれる二種の言説が真実である保証など、どこにも存在しないのである。


 その状況に対し、ついに解決を図ろうと動き出した者たち……。

 それが、元海軍大将マリネーを中心とした勉強会であった。

 顔ぶれは、そうそうたるもの……。

 何しろ、将官以下の階級に属する者が存在しない。

 退役した者も多数含むとはいえ、何も知らぬ者がこの顔ぶれで集まるのを見れば、何か、かつてないほどの軍事行動があるのだろうと勘違いするであろう。




--




 それぞれが身につけた数々の勲章は、決して伊達ではなく……。

 いずれも、数々の戦いを指揮し、生き延びてきた生粋の軍人であるとうかがえた。

 そんな歴戦の猛者たちが、大円卓の各席から自分に視線を向けている……。

 スプラとしては、逃げる逃げない以前に、気を失わずにいるのが不思議なほどの迫力であった。


「お前たち。

 そう、剣呑な空気を生み出すな。

 俺の婚約者殿が怯えているではないか?」


 そんな自分の様子を見かねてか、隣の席へ座ったゲミューセ王子が助け舟を出す。


「いや、はや……」


「これは、失礼……」


「そのつもりはなかったのだが、お嬢さんには怖かったかもしれん」


 その言葉で……。

 ようやく、将官たちがほがらかに笑い合う。

 そうすると、不思議なもので、ほんの一瞬前までは猛獣じみた雰囲気だった男たちが、気の良い紳士たちに見えてくる。

 きっと、両方ともが、彼らの本質であるに違いない。


「それで、だ。

 普段は仲の悪い海軍と陸軍の将校たちが、しかも、退役者まで混ざって開く勉強会とは、どのようなものだ?

 自分たちだけでなく、俺とスプラを呼び出してまでの、だ。

 まあ……」


 そこで、ゲミューセ王子が、対面に座る人物を見やった。

 その人物には、スプラもまた覚えがある。

 あの時は、背広姿であり、将校当時の格好になった今は、随分と印象が違うが……。

 間違いなく、辻売りをしたあの日に、唯一もやしを買ってくれたあの老紳士だった。


「マリネーよ。

 あの日にもやしを買ってくれたお前が中心であり、しかも、俺のみならずスプラを呼び出すということは、もやしに関するなんらかの話であるのだろう?」


 ――知っていたのですか?


 言外に質問を乗せて見つめると、ゲミューセ王子が肩をすくめてみせる。


「マリネーであると気づいていたから、あえて何も手出しはしなかった。

 悪いようにする男ではないからな。

 だが、まさか、後日になってこのような働きかけをしてくるとはな」


「それをするのも、致し方のないこと。

 事は、海軍も陸軍も関係ない帝国軍全兵に関わる問題なのです」


 スプラの知識によれば、マリネー老人の階級章が示す地位は――海軍大将。

 かつては、幾千もの海兵を、己の指図ひとつで動かしてきた男が、重々しく口を開く。

 果たして、彼はこう言ったのだ。


「海軍も陸軍も関係なく悩まされている病――脚気。

 私は、これの原因を、野菜類や果物……。

 あるいは、古来よりの黒パンや、雑穀類に含まれている何らかの力が、体に不足するからであると考えています」


 一言一句、はっきりと……。

 それでいて、推測というよりは確信じみた力強い言葉……。

 それに身を乗り出したのは、ゲミューセ王子のみではない。


 書物ばかりから知識を得ている己では見い出せない、実際の体験を経ての見識に、強い高揚を覚えたのである。


「是非、お話をお聞きしたいです」


 だから、無作法にも婚約者たる王子より先に、そう口にしたのであった。



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