不作の兆候
『ゲミューセ王子、王室予算を投じ、救護院で振る舞った野菜の大々的な生産を行うと発表!』
『工場の建設場所は、婚約者スプラ様のご実家ビーンズ伯爵家の領地!』
『庶民が、気軽に野菜を食べられる時代の到来か!?』
忌まわしいのは、国営新聞の一面に踊る見出しか……。
はたまた、記者たちに向かって語るスプラの姿を切り取った写真か……。
それとも、新聞を握り締めた際に生じるくしゃりとしたこの感触か……。
そういえば、国営新聞に使われているこの安っぽい紙も、ビーンズ伯爵領で生産されたものだったか……。
だが、一番ハベストを苛立たせているのは、机に広げられた数枚の紙片であるに違いない。
「ええい! 何もかもが忌々しい!」
ぐしゃりと髪をかきながら、そう吐き捨てる。
その目が見据えているのは、紙片に記された数字の数々であった。
それらが表しているもの、それは……。
「うちの領民共は、何をやっている!?
何も、収穫量を増やせと言っているわけじゃない!
いつも通り、例年通りだ……。
ただそれだけの収穫を収めるだけで、十分なんだぞ!?」
女のように甲高い声を上げながら、叫ぶ。
そう……。
紙片に記されている内容は、プーアー伯爵領における秋の収穫が、例年よりもかなり少ないものになることを示した数字の数々なのである。
ご丁寧なことに、末尾には『どうにか収穫されたものの質も、例年に比べかなり劣ると予測される』と記されていた。
これを記しているのは、かの地におけるプーアー伯爵家の代官だ。
鉄道が発達し、電報が当たり前となった今の時代、貴族は昔のように自分の領地へ留まったりしない。
代官に実務を委任し、自らは帝都で社交や政治に明け暮れるのが通常であった、」
「恐れながら……。
この頃、肌身に感じられる気温の低下……。
それに、作物が耐えられなかったのではないかと」
自室の隅に控えていた家令が、そう言ってなだめようとしてくる。
だが、それは逆にハベストの神経を逆撫でした。
「確かに、今年は普段より少しばかり涼しい気がしていた。
だが、それだけだ。
たかが、それだけのことなんだぞ!」
――バン!
……と、自分の机を叩きながら、ハベストがわめく。
彼は、許せないのだ。
そうなって当たり前のことが、そうならないという現実が。
何もかもが順風満帆であった貴公子にとって、それは我慢のならないことなのである。
「残念ですが……。
人間にとっては、その程度の変化であっても、植物にとっては大事なのです」
「そこをなんとかするのが、農夫共の仕事だろう!
我が領内においては、働き手として学校へ行かねばならない子供が使われているのも、半ば黙認しているんだぞ!」
そう……。
先王によって教育改革が成されて久しいものの、プーアー伯爵領の学び舎においては、出席率がかなり低い状態となっていた。
それは、昔ながらに農作業をさせている領民たちが、昔ながらの考え方をしているからであり……。
豊かな土地を持ち、特に改革などせずとも十分以上の収入が見込めるプーアー伯爵家としては、そこに横槍を入れる必要が感じられなかったのである。
「そのように言われましても……。
むしろ、これまで安定した収穫が維持できていたのは、彼らの働きによるものかと……」
「お前は一体、どちらの味方だ!」
叫びながら、机に乗せられた紙を一枚投げつけた。
が、たかが紙切れ。
それは、ひらひらと漂い、両者の間に落ちる。
落ちた紙に記されているのは、晩夏に行われた小麦の収穫に関する内容であった。
「今年は、小麦の収穫量が、例年の半分近くにまで落ち込んでいる!
それに加えて、今後穫れる作物の質も量も大幅に落ちる見込みだ!
これは、つまり、当家の収入が激減するということなんだぞ……!」
もし……。
もしも、だ。
これが、今年の出来事でなかったなら、ハベストもまだ冷静でいられたかもしれない。
だが、今年だけはまずかった。
「しかも、湿地帯を開発して作った新牧場は、輸入した家畜の受け入れ体制を整えている!
家畜を買うために、銀行から多額の借り入れをして、だ」
それは、ハベストへ伯爵家を受け継がせるにあたっての一大事業である。
産業革命の結果、国内はますます潤い、食に関する消費も拡大する一方だ。
ことに、肉を求める声が大きい。
これに対応するため、プーアー辺境伯家は、領内に大規模な牧場を作り上げていたのであった。
「銀行から借り入れた金の利息……。
その支払いには、今年の収益を当てる予定だった……。
だが、これでは……!」
聞いた話でしかない。
だが、借金苦に陥った者の話は、いくらでも転がっている。
今、この国は……大勇帝国は飛躍の時を迎えていた。
その中には、数多くの成功譚が転がっており……。
また、それを上回る失敗譚も存在しているのだ。
この帝国が他国を食らうことで巨大化したのと同じように、成功者の陰には、それを遥かに上回る敗北者がいるのである。
今……。
そういった者たちの手が、自分の背を引っ張っている気がした。
「父上は、母上を伴って家畜の買い付けに国外だ……!
くそ! このような時に……!
くそっ……!」
机に肘を突きながら、ますます髪をかきむしる。
父が国外へ出たのは、新事業のためもあるが、母との旅を楽しむため……。
そして、息子であるハベストに試練を課すためであった。
これはつまり、父の期待に応える義務があるということ……。
「ともかく、すぐにお父上へご相談されるべきかと。
電報では、そう細かい内容は伝えられませんが、少なくとも、指針は得られるかと」
「いや、駄目だ」
だから、家令の言葉に即答する。
「そんなことを、してみろ。
父上が、僕に対しなんと思うだろうか……。
ただでさえ、僕はスプラとの婚約を破棄するという勝手な行動に出ているんだ。
それで、領地経営が順風なら良しとなるだろうが……。
勝手をした挙げ句、家に巨大な損害をもたらしたとあっては、申し開きもできない。
最悪、誰か親戚の男児を養子に迎え、そいつに家督を譲るという線もあるだろう……。
いや、それ以前に、輸入した家畜の維持費をどうするか……。
父上が買い付けた家畜の第一陣は、すでにあちらを発っているんだ。
家督がどうこうではなく、家が保たない。
ううううっ……!」
八方塞がりとなった思考で、頭を抱え込む。
ちらりと見えたのは、新聞の記事……。
写真の中、女の分際でゲミューセ王子を差し置き、記者たちに向かって何事か語るスプラの姿であった。
――いい気なもんだ。
――何もかも、思い通りかよ。
……認めねばならないだろう。
スプラが予期していたのは、このことだ。
そして、この忌々しい女は、ゲミューセ王子の援助を受けて、かくも大々的にあの気持ちが悪い植物の栽培へ、足を踏み出しているのである。
忌々しかった。
何もかもが、ひどく忌々しかった。
--
時を同じくして……。
王城の一室へ集う者たちの姿があった。
共通しているのは、皆が皆、高級将校にしか許されない軍服をまとっていること……。
それにしても、意外なのは、伝統的に仲の悪い海軍と陸軍の人間が入り混じっていることである。
これは、それだけ、この会合で行われる話し合いの重要性が高いということだ。
「さて……始めようか」
この場を設けた人物――元海軍大将マリネーが、そう言って皆を見回した。
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