写真の効果と報酬

 ――チョコレート。


 およそ二百年ほど前から存在したショコラトルというカカオ豆飲料を基とし、近年になって作られるようになった高級菓子である。

 高級な理由は、原材料となるカカオ豆が他国の植民地で栽培されているから……。

 近年になって作られるようになった理由は、固形化するまでにいくつもの試行錯誤や発見を経ねばならなかったことと、その製造に多種の機械が必要となるからだ。


 蒸気機関の発達により、遠く海を隔てた地からも物資が輸入できるようになり……。

 様々な工作機械の台頭によって、人力では難しい多種の工程が組み込めるようになる……。

 まさに、チョコレートこそは、産業革命を象徴する菓子であるといえるだろう。


 一口食べれば、口の中へ広がるのは複雑なほろ苦さ……。

 そして、その後に甘さが花開いて、体中に滋養を行き渡らせるのである。

 まさに、大地の恵みといえる味であり、勇国人が愛する紅茶との相性も抜群であった。


「こいつは、美味えや。

 なあ、婆ちゃん」


「本当にねえ……。

 こんなお菓子が食べられるなんて、この年まで生き延びた甲斐があるってもんだよ」


 レイバの実家にて、彼と祖母とが口々に言い合う。

 何かと世話になっているお婆ちゃんの笑顔を見れただけでも、ここに来た収穫はあったといえるだろう。


 だが、それで満足していてはいけない。

 自分とゲミューセ王子が持ってきたのは、おそらく、スプラにとって生涯で最も大きな冒険となるであろう事柄なのだから……。


「それで……。

 もやし工場を本格的に造るっていうのは、本当なんですか?

 こう……なんていうお金でしたっけ?」


「王室予算だな。

 我ら王家の者たちは、何もただふんぞり返り、いばり尽くしているわけではない。

 長きに渡って蓄えられてきた王家の財……。

 それを、見込みのある事業に投資して、膨らませ続けているわけだ」


「ははあ。

 元からお金持ちだったのに、それを使ってさらに儲けているわけですか?

 なんだか、途方もない話だなあ」


 無礼とも取れるあけすけな言葉……。

 それに、隣の席へ座るゲミューセ王子はにやりと笑って応じる。


「おうともよ。

 金というのは、寂しがり屋でな。

 仲間のいる所へ群れたがる習性があるのだ。

 俺は、たまたまその場所に生まれたというだけの凡夫よ」


「で、その凡夫様が、畑へ種を植えて増やすみたいに、金をつぎ込んでくれるってわけですか?

 でも、よくそんな話がすぐに通りましたね。

 おれは新聞でしか政治を知らないけど、普通、そうやって大きな金を通すには、何度も議会で話し合いをするものなんでしょう?」


 身分や礼節というものを気にせず、レイバがずけずけと尋ねた。

 ただ、どうもゲミューセ王子の方はそれを気にしていないばかりか、むしろ楽しんでいる風であり……。

 こういうのは、理解できない男の子の世界なんだと、そう思うしかないスプラである。


「それは、徴収した税金を扱う場合の話だな。

 王室の予算は、あくまでも王家が独自に保有している資産だ。

 もちろん、多少の制約はあるが……。

 極論を言ってしまえば、俺や母上が強く望んでしまえば、どれだけの額をどのようなものに注ぎ込もうと、余人が口を出せる性質の金ではない。

 さらに細かい話をすると、そもそも、あまりに巨額の金を王家だけで抱え込むこと、そのものが問題だが……まあ、割愛しよう。

 そのようなわけで、俺の意思が強く働いたわけだが……。

 それ以上に、世論の後押しというものが大きい」


「世論っていうと?」


 ゲミューセ王子が、自分の方を見やった。

 これは、解説をスプラに任せるという意思表示である。


「王室やうちの家に、問い合わせが殺到したの。

 お昼を回るくらいには、うちの屋敷を大勢の人が取り囲んでいたわ」


「うわあ……そりゃ、ちょっとおっかない光景ですね」


 レイバの言葉に、ゲミューセ王子がうなずく。


「城の方も似たようなものでな。

 いや、はや……。

 こういった時に人々が見せる行動力というものを、少しばかり見誤っていた。

 それに、写真を新聞に使う効能というものもな」


「ああ、あれは分かりやすかったですね。

 なあ、婆ちゃん?」


「本当にねえ。

 恥ずかしいけど、あたしは文字が読めないんだが……。

 どんな風だか、息子やこの孫に読ませなくても、おおよそ理解できましたよ」


「ご祖母殿、まさにそれが狙いなのです」


 レイバの祖母が漏らした感想に、ゲミューセ王子がぽんと膝を叩いた。


「文字を読めない者でも……。

 あるいは、時間がなくて急ぎで内容を掴みたい人間にも、あれは効果的だった。

 それだけではない。

 普段は他紙を購読している者も、この機会に国営新聞へ乗り換えたいといっていて、報道局は嬉しい悲鳴を上げている。

 そのひらめきを生んでくれたのは、そこにいるレイバだ」


「え、おれですか?」


 いきなり話を振られて、レイバが自分自身を指差す。


「レイバ君、最初に会った時、ゲミューセ様の顔を知らなかったでしょ?

 それで、写真を使おうと思いついたんだって」


 隣のゲミューセ王子を見上げると、彼は不敵な笑みを浮かべていた。


「悲しいかな。

 俺の知名度も、その程度だったと判明したわけだが、おかげで良い発想が生まれた。

 これで、俺とスプラの顔も大いに売れたことだろう。

 まあ、これはこれで、好き放題に街中を歩けなくなるという問題はあるがな」


「わたしとしては、すごく恥ずかしかったですし、今も恥ずかしいです……。

 列車の中でも、明らかに見られてましたし……」


 赤面しながら、うつむく。

 救護院で撮影した時は、今回限りだからと、なけなしの勇気を振り絞ったものであったが……。

 それが、後々まで尾を引くことになるというのは、まったくもって想定外の事態だったのである。


「ふうん……。

 まあ、諦めろ。

 俺の婚約者となったからではないぞ?

 今後、もやしの生産が軌道に乗れば……いや、違うな。

 軌道へ乗せるために、お前は顔を売っていかねばならんのだ。

 どのように事を運ぶにしても、引きこもりな伯爵家令嬢と世間に顔を知られた娘では、諸々の対応というものが変わってくる」


「あうう……」


 ゲミューセ王子が口にしたのは、ぐうの音も出ないほどの正論だ。

 ゆえに、何も言い返すことは出来ない。

 出来ない、が……恥ずかしさがそれで消えるはずもない。


「……と、話が逸れたな。

 レイバ、これを渡しておこう」


 ごそごそと懐を漁ったゲミューセ王子が、取り出したもの……。

 それは、ルード紙幣の札束である。


「報道局から、心づけをふんだくってきた。

 これは、その分け前だ」


「ええ、いや、しかし……」


 いきなり差し出された札束に、レイバが戸惑いを見せた。

 それも、そうだろう。

 実際に目にする大金というものは、得も言われぬ圧力がある。

 何かこう……人に使われるための品でありながら、逆に人を試してくるような威圧感があるのだ。


「売り上げの大幅な上昇に貢献したのだ。

 お前にその気がなかったにせよ、受け取る資格……ではなく、義務がある」


「しかし……」


 ためらうレイバ……。

 そんな彼に、思いも寄らぬ鋭い叱責を発したのは、彼の祖母だった。


「レイバ。

 ごちゃごちゃ言わずに、こういうのは気持ちよく受け取りな」


 優しいお婆さんの、雷がごとき言葉……。


「あ、ああ、うん。

 ……受け取ります」


 それを受けて、我に返ったレイバが、札束を受け取る。


「ふ、ふふ……」


 そんな彼を見て、ゲミューセ王子が薄く笑った。


「説教役を、取られてしまったな。

 実は、どうせ受け取りをごねると思って、こういう言葉を用意してきたのだ。

 これから、もやし工場を引っ張っていく男なのだから、どうしたって報酬は生じる。

 それを潔く受け取れないで、どうするつもりか?

 とな……」


「そいつは、人が悪い……」


「はっはっは……まあ、そう言うな」


 ひとしきり笑って、ゲミューセ王子がこちらを見やる。


「さて、これで状況は説明し、報酬も渡したわけだ。

 スプラよ。

 これから、どのように事を運ぶか……。

 お前に練らせておいた計画を、聞かせてもらおう」


「……はい」


 顔を引き締め、うなずく。

 何も、新聞の効果があった昨日から考えた計画ではない。

 これは、いざという時に国の野菜不足を救えるよう、前々から温めておいた計画であった。


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