ある日の国営新聞
翌日……。
配達された……あるいは、雑貨屋などの店頭に並んだ国営新聞を手にした帝国人たちは、皆が皆、驚愕に目を見開くこととなった。
「なんだ、これは……!」
「写真が、でかでかと使われている!?」
そう……。
昨日までならば、紙面の全てが、びしりと活字で埋め尽くされていた一面……。
その半分ほどが、大きな写真で占められていたのである。
なんともいえぬ、斬新な紙面構成……。
だが、その効果は絶大であった。
「これは……分かりやすいな」
「大きな見出しと、この写真で、何を伝えたいかが、細かく読むまでもなく伝わってくる」
そうなのである。
これまでの新聞というものは、限られた紙面に少しでも多くの情報を詰め込むべく、辞書もかくやという有り様であったものだ。
それは、国営新聞のみならず、民間各社が発行している他の新聞においても同じことであった。
それが、今日の新聞は、どうか……。
その日、一番に伝えたい事柄が、大胆に大きく書かれた見出し……。
何より、新聞の命であった活字を押しのけて、王のごとく第一面を支配する写真……。
この分かりやすさたるや、これまでとは雲泥の差である。
「ふうん……。
僕はどうかと思うけどね。
こう、品位が失われている気がする。
しっかりと文面を読み込み、自らの頭で咀嚼してこそ、気品と知性ある帝国紳士じゃないか」
「そうとも。
そこを楽して写真に頼るようでは、教養というものが養われない」
中には、知識人を自称する気難しい者たちもおり、そういった層には受けが悪かったが……。
それは、ごくごく少数派。
圧倒的大多数の帝国人が、この分かりやすさを称賛したのであった。
「それにしても、だ。
東方の言葉では、寝耳に水というのだったか……。
驚くような話を、思いもよらぬ方法で伝えてくるものだ」
暖炉の前で……。
あるいは、帝都の街角で……。
新聞を広げた者たちが、口々にそのようなことをつぶやく。
それも、当然のことだろう。
見出しに書かれていたのは、大勇帝国の臣民にとって、あまりに重大で……それでいて、驚きの内容だったのだ。
『第一王子ゲミューセ殿下、ご婚約!』
『お相手は、ビーンズ伯爵家のご令嬢!』
この言葉に、ある者はほっとした顔を……。
またある者は、心配そうな顔をする。
「ゲミューセ殿下も、ようやくお相手を見つけられたか。
このままいくと、弟君を担ぎ上げる勢力と争いになるのではないかと、心配していたぞ」
「だが、ゲミューセ王子のことだ。
おそらく、婚約した相手というのは、普通の娘じゃあるまい」
新聞を読んだ国民の中でも、とりわけ、王子について知っている貴族家の者たちが、そんなことを言い合った。
「そもそも、ビーンズ伯爵家といえば、製紙工場で有名なあの家だろう?
果たして、娘などいたか?」
中には、そんなことを言いながら貴族名鑑を調べる者の姿もある。
これは、スプラが兄であるグリンと異なり、社交会などへほとんど顔を出していないからであった。
年齢が近い若年の貴族ならともかく、そうでない者は、スプラ・ビーンズという少女の存在そのものを認識していないのである。
彼女の誕生日に、ゲミューセ王子を筆頭とする貴族家の子弟や子女を招いたのは、少しでも名と顔を覚えてもらおうという父ソイの親心なのであった。
「ああ、あった。あった。
そういえば、学校を卒業以来、勉学だか研究だかに没頭している変わり者の娘がいるという噂もあったか……」
スプラの存在を認識した者たちが、続く見出しと、写真とを見やる。
残る見出しの文言は、こうだ。
『王子の婚約者、最初のお仕事は救護院への支援!』
『野菜がたっぷり入ったスープを、子供たちへ振る舞う!』
そして、写真の内容は……。
救護院の庭と思わしき場所で、大鍋から汲み上げたスープを子供たちに振る舞うゲミューセ王子や、スプラというらしい少女の姿だった。
「ふうん。
なんだか、おぼこいというか、地味な娘なのだな。
第一王子は、案外、そのような娘が好みであると思える」
貴族の反応は、このようなもの……。
「へえ、これが第一王子か」
「なんだか、この前に街中で見かけたような……」
平民の反応は、このようなものである。
特に、後者への効果は絶大なものがあった。
祭事などで、姿を見かけることはある。
だが、基本的に貴族……まして、王族というのは、一般庶民にとって遠い世界の住人だ。
写真越しとはいえ、それを、遠慮なく至近距離から眺められるというのは、実に新しい体験なのであった。
最後に……。
あらゆる人間が関心を持ったのが、スープに使われたという野菜である。
「確かに、我が国でたんと野菜を食べられるというのは、贅沢なことだが……。
この野菜は、一体なんだ?」
「もやし……?
このスプラというお嬢さんが、独自に育て上げた野菜か」
「それにしても、妙な見た目をしている」
白黒写真の中、子供が笑顔で掲げた器に入っているスープ……。
その具材としてたっぷり使われている野菜は、どうも、奇妙に細長い茎のようなものであると思えた。
これを見て、先日の辻売りに遭遇した者たちが、あっと声を上げる。
「これ、あの気持ち悪い野菜じゃないか!」
「あの人、王子様だったのか!」
「とてもそうは見えなかったし、このもやしっていうのも、食べ物には見えなかったけど……」
「でも、救護院の子供は喜んでいる様子だ……」
写真というものは、一瞬を切り取るものだ。
だから、その写真を撮る前に「お願い! 騙されたと思って食べてみて! ゲミューセ一生のお願い!」と、第一王子が全力で懇願していたとしても、写真の中に反映されることはない。
それが、最終的な結果であったとしても……。
ただ、振る舞われたスープに喜ぶ子供たちの姿があるだけだ。
その結果だけを、視覚的に強く認識させられた帝国民たちは、このように思う。
「この野菜……ちょっと、食べてみたいな」
「一体、どこへ行けば手に入るんだ?」
「ああ、くそ!
気味悪がらずに、あの時買っとけばよかった!」
そして、帝都住宅街の一角……。
小さなアパートメントに住む老人の反応は、このようなものであった。
「はっはっは……。
あのもやしは、なかなかの出来栄えだった。
それこそ、かつて東方で食したものにも劣らぬ。
子供たちも、さぞや喜んだことだろう」
こぢんまりとした室内で、壁に飾られているのは、若き日の軍功を示す品々……。
海軍の提督服や、軍帽、いくつもの勲章である。
「どうやら、殿下もあのお嬢さんも本気のようだ。
なら、退役して久しいこの年寄りも、ひとつ動いてみようか……」
つぶやきながら、老人――かつての海軍大将マリネーは、いくつかの名前を思い浮かべた。
いまだ軍に在籍し、高い地位に就いており……。
この国で、強い影響力がある者たちの名を……。
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