王立救護院
世の中に人の集団がある限り、富める富めないの差が生じてしまうのは、必然であり……。
大勇帝国といえど、身寄りがなく、人らしい生活を送れない子供たちが一定数存在する。
帝都郊外に存在する王立救護院は、そんな未来があるべき子供たちを保護し、育てるための施設であった。
「すごい……。
新聞では読んでいましたが、実物がこんなにも立派な施設だなんて……」
宣言通り、朝になって迎えに来た馬車で運ばれ……。
訪れたこの施設を見て、スプラは感嘆とすらいえる声を上げる。
だが、この施設を見れば、誰もがそうするに違いない。
まるで――白亜の城。
ビーンズ伯爵邸やプーアー伯爵邸も立派な造りの屋敷であるが、この施設を前にしては、霞んでしまうという他にない。
それほどまでに、見事な施設であり……。
王家の財力と、福祉の精神がうかがい知れる建物であった。
「まあ、このくらいのものは、用意しなければ、な……」
しかし、隣に立つゲミューセ王子の表情は、どこか暗い。
つい先程まで……そう、性懲りもなくビーンズ家で朝食を食べていった時の彼であるならば、どうだ立派だろうと胸を張ってもよさそうなものである。
だが、今の彼からは、そのような自尊心といったものが、一切感じられなかった。
代わりに漂わせているのは、そう……罪悪感だ。
どこか、自分の無力さを恥じているような……。
そのような影が、今の王子には感じられるのである。
「どうかされましたか?」
「ああ、いやな。
ここへ足を運ぶのは、少しばかり気が滅入るのだ」
そう言って、ゲミューセがかぶりを振った。
そして、ぽつぽつと語り始める。
「この救護院で面倒を見ているのは、いずれも親のない子供たちだ。
彼ら彼女らに、教育や食事を与え、立派な帝国民となれるよう指導している。
問題は、どうして彼らが親を失ったか、だ。
母親に関しては、様々な理由がある。
だが、父親に関しては……」
「……戦争、ですか?」
王子の言葉を引き継ぐ。
世はまさに、覇権を争う時代。
強き者が弱き者を食らい、ますます国力を増大する……そんな時代であった。
そして、この国――大勇帝国は強き者だ。
それが弱き者を食らうというのは、すなわち、他国へ戦争を仕掛けるということである。
「……その通りだ。
父親を失った理由は、おおよその場合、戦死だ。
やり切れないのはな。
それで父親を失った子供たちに、あれは名誉の戦死だった。お前たちの父がよく働いたからこそ、今の豊かな帝国はあるのだと、そう教えなければならないことだ」
王子はそこまで言った後、最後にぼそりと付け加えた。
「ここの男児たちは、半数近くが兵士を志願しているよ」
それは、どういう気分なのだろう?
自分たちの思惑によって戦争を開始し、兵士たちを送り込む。
その兵士たちのうち、いくらかは戦死し……。
戦死した兵士が残した子供のうち、いくらかはこの救護院へ頼る他になくなる。
そして、そんな頼るあてのない子供たちに、半ば洗脳や暗示じみた教育を施し……。
結果、預かり者だったはずの子供たちは、また新たな兵士となって、国のために戦うのだ。
「しかも、その子供たちを、今度は宣伝のために利用しようとしている。
俺は、地獄に落ちたとしても、文句は言えないな」
自嘲気味に笑いながら、王子が視線を向けた先……。
そこに控えていたのは、彼の家臣たちではない。
紳士らしく背広で身を包み……。
しかして、その手には紳士らしからぬ品を手に持った二人組だ。
片方が手にしているのは、成人の胴体ほどもある箱型のカメラ……。
これは、最新のものだ。
もう片方が手にしているのは、分厚い手帳と万年筆で、よくよく見れば、指にインクがにじんでいて、これは生涯取れないのではないかと心配させられる。
また、寮者に共通しているのは、通常の帝国紳士ならば漂わせないすれた雰囲気……。
彼らが一体、何者であるのか?
答えは――記者だ。
彼らは、ゲミューセ王子がこの場に招いた国営新聞の記者たちなのであった。
「あの方たちが、今回の訪問を記事にするのですか?」
「同時に、俺たちの婚約についても記事にさせる。
もやし作りの見学をするために、先延ばしとしていたからな」
――婚約。
王子の言葉に、ぽっと顔を赤らめてしまう。
そんな自分に、ゲミューセ王子が真摯な眼差しを向けてくる。
「今更、やはり嫌ですはなしだ。
もやしに興味を抱いたから、だけではないぞ?
さっきのような弱音はな、誰にでも言うものではない。
それこそ、母上たる女王陛下にすら、漏らすことはないだろう。
だが、お前には……。
お前にだけは、な。聞いて欲しいと、そう思ったのだ。
そんな娘を、手放そうと思う俺ではない。
どうかな? どうだ?」
どうだ? と聞かれても、明瞭な返事などできるスプラではなく……。
なんとなく眼鏡を両手で押さえながら、うつむいてしまう。
ただ、顔がますます赤熱していくのを、知覚することはできた。
「ふ……。
その顔で、返事ということにしておこう。
で、だ……。
――お前たち」
そこで王子が、少し離れた所からこちらを見ていた記者たちを呼び寄せる。
「はい、なんでしょうか?」
「ご要望の通り、王城で最新鋭のカメラを頂戴して参りましたが……?」
「その、カメラだ」
王子が、記者の手にしたカメラに鋭い眼差しを向けた。
「使い方は、間違いなく覚えたな?」
「はい。それはもちろんです。
ですが、本当にこれを使うんですか?」
半信半疑な記者の言葉……。
実は、それはスプラも感じていたことである。
新聞とは、読んで字のごとく新しい事柄を文字という形で聞くための媒体。
カメラによる写真を用いるなど、聞いたこともない。
「新たな友人と巡り合うことで、思い至った着想だ。
喜べ。
お前たちの書く記事は、きっと報道の歴史を変えるぞ。
今日、お前たちより後に、無数の記者たちが続いていくのだ」
「はあ……」
「分かりました……」
納得するしないの問題ではなく、王子にこうまで言われては従う他にない。
記者たちが、生返事で返した。
「唯一の懸念点は、だ」
そこで、王子が笑みをこちらに向ける。
それは、この救護院を訪れて、初めて見せた彼の明るい表情であった。
ただ、いくらかの意地悪さは込められていたが……。
「スプラよ。
子供たちを安心させるためもあるが……。
何よりも、写真のため、くれぐれも良い笑顔を頼むぞ?
くれぐれも、だ」
あえて、二度も王子が強調した事柄……。
これの実行は、スプラにとって、かつてないほどの試練だったのである。
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