もやし作り
「列車の中で、概要は聞かされていたが……。
実際に目にすると驚くな。
まさか、日の当たらない屋内で、植物が育つものだとは……」
レイバとちょっと仲良くなり……。
続いてゲミューセが案内されたのは、農場と併設している小屋であった。
話によれば、こここそが心臓部。
この内部で、先の豆を発芽させ、もやしにしているらしいのだ。
……が。
「それで、どこでもやしを育てているのだ?」
きょろきょろと小屋の中を見回しながら、尋ねる。
小屋の中には、大きな水槽や、大小様々なバケツやざるがあるくらいで、あの半透明な茎を伸ばした植物は、どこにも見当たらない。
「こちらは、洗浄したり根を取り除いたりするための作業所で、もやしを育てるのは別室です」
スプラに言われて見てみると、確かに、扉で区切られた別の部屋があった。
――そういえば、外から見た時は、いやに窓の少ない建物だと思ったが……。
――丁度、あの部屋が窓のない部分になるな。
外観と内部の構造を照らし合わせ、そのような推測に至る。
「お嬢様。
まずは、暗室へ入れるまでの流れを見て頂くのがよろしいのでは?」
「うん、それがいいと思う」
スプラがうなずくと、レイバが準備を始めた。
作業用だろう机の上に用意してくれたのは、先程も見た緑豆だけではない。
もう二種類ほど、豆が用意されている。
そして、その内ひとつに関しては、ゲミューセも見覚えがあるのだ。
「これは、大豆ではないか。
まさか、これを使っても、もやしを育てることが可能なのか?」
帝国人の肌よりは、幾分か色合いが濃い肌色の豆を摘む。
「ご存知でしたか?」
それを聞いたスプラは、やや意外そうな顔であった。
「この豆は、軍馬用の飼料として、東方から輸入しているからな。
俺も、王子として軍馬育成にはそれなりの見識がある。
当然、知っているさ。
もっとも、馬に与えるものよりは、やや小ぶりだが」
「小大豆、という名称です。
ゲミューセ様が仰った大豆でも、もやしは育てられらしいのですが、こちらの方がより味はよいと文献にあったので、取り寄せました」
スプラの解説を聞いて、しげしげと眺める。
ゲミューセが知っているものよりは丸みが強く、小さな豆……。
果たして、これがどのようにもやしへと変じるのか、興味は尽きない。
そして、最後の一種類。
その色は――漆黒。
三種ある豆の中では最小であり、同じ髪の色をしているゲミューセとしては、若干の親しみを感じた。
「その豆は、黒豆――ブラックマッペですね。
ここで栽培している緑豆や、そちらの小大豆と同じく、東方から仕入れたものです」
「緑に、肌色に、黒か。
わざわざ用意したということは、当然、それぞれで性質が異なるということだな?」
自分の質問に、スプラがうなずく。
「とはいえ、いずれの場合においても、もやしとして栽培する工程はほぼ同一です。
今回は、ここで生産されている緑豆を使っての、もやし作りを見学してもらいましょう。
――レイバ君」
「ようし、ここからがおれの出番ですね」
ゲミューセが解説を聞く間、ふたつばかりの鍋にお湯を沸かしていたレイバが、袖をまくる。
そして、沸かせた湯に、近頃普及している温度計を突っ込んだ。
「まず、最初に行うのが豆の洗浄です。
いかんせん、お嬢様が仕入れた書物は昔に書かれたものなので、これにはいくらかの試行錯誤を必要としました。
結果、八十度くらいが、豆を殺さず汚れも落とせる最適の温度と結論付けています」
丁度、その八十度なのだろう。
薪の火から離した鍋に、ひと握りほどの緑豆を突っ込む。
「今回は解説のためなんで少量ですが、本格的にやるなら、もっと大量にぶち込むことになりますね」
木べらを使ってかき回しながら、レイバが解説する。
ひとしきり、汚れは落としたということだろう。
鍋の中身をざるに開け、綺麗になった豆を取り出した。
「続いて、仕込みです。
これは、人肌程度のぬるま湯に、五時間くらい漬け込みます。
理屈は分からないけど、それで、豆からもやしの生える準備が整うわけです」
言いながら、別の鍋――人肌の湯が入っているのだろうそれに、豆を漬け込むレイバ。
「五時間……五時間か。
さすがに、それだけの時間をただ待つのは、辛いな」
いついかなる時でも時間を確認できるようにしておくのは、当代の紳士にとって当然の嗜み。
ぜんまい式腕時計を見ながら、つぶやく。
だが、それはレイバにとって、当然予想した反応のようだ。
「ご安心下さい。
収穫作業が終わったら今日の栽培に入れるよう、朝の内から漬け込んでおいたものがあります。
おれは時計を持ってねえけど、感覚的にそろそろかと」
そう言いながら、蓋のされていた大鍋を運んでくる。
それなりの大きさがある鍋だが、軽々と持ってみせるのは、さすが、若年といえど農夫といったところだろう。
「まずは、外に持っていって、仕込みに使ったぬるま湯を抜いてやります。
それから、水槽に移し、ポンプで新鮮な地下水を入れてやるのです」
言いながら、レイバが鍋や水槽を運び出す。
そして、ざるを用いて鍋からぬるま湯を吐き出させると、今度は水槽に豆を移した。
そこへ、ポンプ井戸から地下水を注ぎ始める。
「文献の内容が確かか確認するために、あえて、他の土地から運び込んだ水でも実験しました。
結果、やはり農書の内容通り、良質で新鮮な水を使った方が育ちは早いし、味も良いようです」
レイバが水を入れる間、スプラが解説してくれた。
そこで、気になっていたことを質問する。
「水の他には、どのような肥料を入れるのだ?」
「入れません。
もやしは、水のみで育てます」
「何っ!?」
それは、あまりに意外すぎる話であった。
植物を育てるにあたって、良質な肥料を用意するのは常識。
なればこそ、王城の中庭を手入れする庭師も、代々受け継いできた秘伝の配合による肥料を用いているのだ。
それが、一切必要ないとは……。
「簡単すぎる……。
その上で、安すぎる。
原価という点において、他の農産物を圧倒できるではないか」
正確には、種となる豆を育てるのには肥料が必要となるだろう。
だから、その豆を育てるのにかかる金額次第ではあるが……。
あまりに――破格。
物価の優等生という、昨夜聞いた言葉が思い出される。
あれは、誇張でもなんでもなく、ただありのままに、事実を告げていたのだ。
「これで、よし……と。
後は、この水槽を暗室に安置して終わりです。
後は、勝手にもやしが育ってくれます」
「勝手に、だと!?
なんの世話もしないというのか?」
「しません。
もやしは、自力で育ってくれます」
レイバに向けての質問だったが、スプラが自信たっぷりに答えてくれた。
「馬鹿な……」
がく然とするゲミューセである。
雑草ではなく、食べるための野菜を育てようというのだ。
それが、肥料も手入れもいらないとは……馬鹿げているとしかいえなかった。
「論より証拠です。
暗室の中には、生育中のもやしもあるから、その目で見て下さい」
言いながら、レイバが小屋へと戻り、締め切られていた部屋――暗室の扉を開く。
「これは……」
その中で繰り広げられていた光景……。
それは、まさに、信じられない……馬鹿げた代物だったのである。
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