レイバ
「ええ!? 王子様!?
こ、これはとんでもない失礼を……!」
あらためて名前と身分を告げると、レイバが恐縮しきりといった様子で頭を下げた。
「いや、いいのだ。
状況を考えれば、勘違いするのも無理はない」
そんな若き農夫に対して、鷹揚に告げる。
そもそもが、王侯貴族の写真など一般に出回っているものではないのだから、彼に察せられるはずもないのだ。
まあ、貴族の中でも、隣にいるスプラなどは、社交へ興味を持っていなかったため、自分の顔を知らなかったのだが……。
「ふうむ。
例えば、国営新聞に写真を使わせてみたりするのも、よいかもしれんな。顔を売ることができる」
ふと思い浮かんだ新たな着想を胸に書き留めていると、レイバがスプラへ向き直っていた。
「と、なるとお嬢様……。
ご婚約者様の実家からは、援助を得られなかったということですか?」
おそらく、誕生パーティーでもやし料理を披露するということは、事前に聞いていたのだろう。
レイバが尋ねると、スプラが若干、暗い顔となる。
「うん……。
ごめんね、レイバ君。
せっかく苦労して育ててもらったもやしは、気持ち悪がられて食べてもらえなかったの」
「なんて見る目がねえやつらなんだ!」
スプラの言葉に、憤慨した様子のレイバだ。
「おれが丹精込めて育てて、そんで、お嬢様が手ずからに作った料理だってのに!
そりゃ、初見だと気味が悪いかもしれねえけども!」
随分と怒り心頭のレイバ。
その理由は、言葉にした通りのものだけではあるまい。
ひとしきり怒って、頭が冴えたということか。
レイバが、はっとした様子になる。
「あれ、でも、それで王子様が来たってことは……?」
「スプラが言っていた言葉は、正確ではないということだ。
昨夜参加した客の中で、俺だけはもやし料理を堪能させてもらった。
いや、あれはなかなかに美味いな。
だが、その味もさることながら、栽培しやすいというその特性が素晴らしい」
たった今まで、怒っていたというのに……。
自分の話を聞いたレイバが、喜色を浮かべた。
「さっすが、この国の王子様ともなると、話が分かる!
あ! ということは、もしかして!」
「おそらく、その通りだな。
この俺が、スプラの支援者として名乗りを上げた」
「よっしゃあ!」
レイバが、ぐっと拳を突き上げる。
「さすがは、おれの育てたもやし!
……じゃなかった。お嬢様が調理したもやし料理だ!
ボンクラの息子なんかより、遥かに頼もしい味方を見つけ出せた!」
――ボンクラの息子、か。
その言葉に、続く台詞でどう表情が変わるのかと、にまにまとした笑みを浮かべてしまう。
そして、答えを知りたいゲミューセは、直ちにそれを実行したのだ。
「そう、支援者で間違いない。
ただし、その前に新たな婚約者、という但し書きは付くがな」
「え……」
愕然とした様子のレイバ。
一方で、隣のスプラは顔を真っ赤にしていた。
--
「で、この中に、もやしの種となる豆が入っているのか」
素人の分際で畑に踏み込み、踏み荒らすような趣味はない。
そのため、レイバに頼んで持ってきてもらった房を掴み、しげしげと眺める。
「割っても構わないか?」
「もちろんです」
今朝からの、ややおどおどとしていた態度は、どこにいったものか……。
自分の質問に、スプラが堂々と答えた。
どこか既視感があると思ったが、これはそう……学会などで発表する際の学者に近い。
どうやら、スプラという少女は、自分の成果を伝えるという際には、度胸が備わる娘であるようだ。
「どれ……」
許可も得られたことだし、割ってみる。
すると、黒く枯れた房の中には、鮮やかな緑色をした豆が、十粒近くも入っていたのであった。
面白いのは、豆一粒一粒が、専用の部屋めいたくぼみに収まっていることだ。
かわいい我が子のために、どこまでも過保護となってしまうのは、人間も植物も変わらないらしい。
ただし、残念ながら、この種子を生み出した母の願いは叶わない。
これらの豆は、種となる分を残し、もやしの原料となるだろうからである。
「これは、よく乾燥されているので、そのままもやしに使えますが、当然、乾き具合にはばらつきがあります。
ですので、不十分な房は陰干しすることになりますね」
自分と同じく豆の様子を見ていたスプラが、そう解説した。
「不思議なものだ。
同じ豆を種としていながら、この畑で育っているような植物ではなく、あのような半透明の茎を伸ばすことになるとは……」
「生命の不思議と言うしかありません。
ですが、これから栽培工程を見学されれば、納得もされると思います。
植物も、人間と同じ……。
与えられた環境次第で、いかようにも姿を変えるのです」
「ほおう……。
それは、楽しみだ。
ところで、昨夜食べたもやしは、この畑で採れた豆を使ったのか?」
その言葉に、スプラがこくりとうなずく。
「はい。
生育具合を確認するために、あえて種蒔きの時期をずらしているのです。
昨夜のもやしは、先んじて収穫できた豆を使って栽培したもやしとなります。
と、言っても、わたしは計画を練っただけで、実行してくれているのはレイバ君や、その家族なんですけど……」
そう言って、スプラがちらりと視線をずらす。
「はあ……」
そこには、排便をする時のごとくしゃがみ込み、無気力に房の選別をするレイバの姿が!
――分かるぞ小僧。
――相手が伯爵家の跡継ぎといえど、もしかしたならば、自分にも機会が巡ってくるかもしれぬと、そう考えたのだろう?
――事実として、ハベストめは婚約解消を言い出したのだから、その考えは正しかったわけだ。
――しかし、残念だったな。
――相手が俺となると、お前の付け入る隙はどこにも存在しない。
――まあ、いつか似合いそうな相手が見つかったら、仲を取り持ってやろうではないか。
――ムッハッハ!
分かりやすい下種の思考をしながら、心中で呵々大笑する。
他者が死ぬほど欲したものをかっさらうというのは、正直にいって気分がよかった。
なぜならば、それは自分の審美眼が確かであったと、確信できる瞬間だからである。
「レイバ君、様子がおかしいし、わたしの声が聞こえてないみたいなんですけど、大丈夫なんでしょうか?」
「放っておいてやれ。
男は時として、一心不乱に豆の選別をしたい瞬間があるものなのだ」
もっともらしく、うんうんとうなずきながら語った。
それに対するスプラの反応は、純真なものである。
「そんな時があるんですね……。
なら、レイバ君がんばって……!」
ぐっと両手を握りながらの言葉……。
ちょっとかわいらしいその姿を見て、先ほどまでの気分はどこへやら……レイバへの哀れみが湧き起こった。
――みゃ……。
――脈がないどころではない。
踏み荒らしてしまわないよう、慎重に畑の中へ踏み入る。
革靴が土で汚れることなど、気にしない。
自分には、かけてあげるべき言葉があるのだから……。
「なあ、レイバよ。
……キャラメル、食うか?」
「……あざす。
頂きます」
ろう紙で包まれたキャラメルを差し出すと、レイバが受け取った。
男同士の友情が芽生えた、その瞬間である。
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