スプラの実験農場
国中を鉄道が走り、電報によって、遠隔地との連絡も間を置かず取れる時代である。
しかし、その一方で、いまだ王侯貴族は政治における重要な地位を保持しているし、各領土からの税収を受け取ってもいた。
これは、大勇帝国における大きなひずみであるといってよいだろう。
そうなったのも、蒸気機関を始めとする技術革新が起こった際に、王家が……ひいては、その命を受けた各貴族家が主導し、それら新技術を積極的に導入していったためである。
通常ならば、そういった新しき技術は、中間層を中心に、民たち自身の力で、ゆっくりと浸透していったはずだ。
時に面白がり、時に反発し……。
そうやって、民たち自身も力を付けながら、新しき時代を築いていったはずである。
時の王――祖父はそれを分かった上で、強引かつどん欲に新技術を導入していった。
上意下達とは、まさしくこのこと。
その時代、働き手としても機能していた子供たちは、有無を言わさずに基礎教育が叩き込まれたという。
その上で、見込みのある者はさらに専門的な教育が施され、今は技術者として働いているのだ。
そうならなかった者は、家業に戻されるか、あるいは鉱山労働員や工場作業員として徴収される。
そこに、自分たちの意思を挟むことなど許されない。
新しき世を招くこともできた技術は、皮肉にも、古き封建制度によって迅速に地盤を固められ、普及させられたのであった。
全ては――勝つため。
他国に先んじて国を富まし、躍進するためには、既存の封建制度を利用する形が最善であると、時の王はそう判断したのだ。
そこに、正解不正解の判断を下そうとするのは、極めて無為な行為であった。
王国は、植民地を得て帝国となり、隆盛を誇っている。
その影で、より強い政治的発言力を得ることも可能だった平民たちは、旧来通り、青い血を持つ者たちの支配下へ置かれている。
ただ、そのような事実が存在するだけだ。
それに、ゲミューセの目からはいびつさが感じられるにしろ、現状、帝国はよく回っていた。
そうなっているのも、舵取りをする貴族家の多くが、上手くやっているからであり……。
スプラの生家であるビーンズ伯爵家も、そんな上手くやっている貴族家の筆頭なのである。
祖父王主導のもと、新技術を導入していったといっても、その形には各家の個性が表れたが……。
ビーンズ伯爵家の場合は、製紙業に目をつけた。
かの家が有する領土――帝都からほど近いそこは、大規模な農業には適さぬものの、後背の山脈地帯から良質な地下水が得られる立地であり……。
それは、大量の水を必要とする製紙業に、まこと都合がよかったのだ。
植民地や他国から仕入れた大量の木材チップは、港湾都市に溜め込まれ、そこから鉄道を用いてビーンズ伯爵領へ運び込まれる。
そして、伯爵家所有の工場で紙へと加工され、また鉄道を用いて国内各地へ運ばれていくのだった。
その利益たるや――絶大なり。
とにかく、今の世は百年前の人間が信じられないだろうほど、大量の紙を必要とする。
その需要を、ほぼ一手に担っているのだから、ビーンズ家には莫大な額の金が流れ込んだ。
そんな家に、猫かわいがりされている娘がいた。
すると、どうなるか?
彼女のおねだりひとつで、ちょっとした農場と、こぢんまりとした栽培工場が用意されるのである。
「驚いたものだな。
個人が、しかも実験用に使っている農場としては、破格の規模ではないか」
実際にスプラの実験農場を目にして、ゲミューセはそんなことをつぶやいた。
帝都からは、機関車に揺られること一時間……。
そこからさらに、ビーンズ伯爵家保有の馬車で、三十分ほどかけての場所にそこはある。
敷地面積の広さは、クリケットコートが五つは入るほど……。
それに併設して、なかなかがっしりとした造りの建物が存在した。
木組みのそれは、道中で見た領内の家屋と比べても、明らかに真新しく異質な造りであり、これだけのものをぽんと与えてしまうビーンズ伯爵家の財力が知れる。
「本当は、この半分……いえ、三分の一くらいの規模を希望してたんですけど、お父様と兄様が張り切って……」
「ああ……」
そう聞いて、得心がいった。
隣のスプラが、今着ている衣服と同じ……。
あの父親と兄ならば、本人が望んでいる以上に張り切って用意してしまうことだろう。
「ですけど、本当に普及させたいなら、これだけではまったく不十分です。
もっと大規模に、多くの人手でやる必要があります」
そう言いながら、スプラが畑の一画を見やった。
そこに生い茂っているのは、やや枯れ始めた植物である。
背丈は、女子の腰へ届くか、どうか……。
それらが、頭頂部で真っ黒な房を、いくつも垂らしているのだ。
そのような植物に紛れて、屈み込みながらせっせと房を収穫している少年の姿もあり……。
おそらくは、ビーンズ伯爵家に雇われた小僧であると伺い知れた。
「見たところ、真っ黒く変色しているように見えるが……。
これは、大丈夫なのか?
こう、腐っていたりなどは」
一見しての、素直な疑問をぶつける。
しかし、隣のスプラはかぶりを振って答えた。
「ああすることで、房の中にある豆を乾燥させているんです。
わたしも、最初は心配でしたが……。
農書の通りにやったら上手くいって、ほっとしています」
「ふうん……」
考えてもみると、新しい物事には積極的に取り組んできたゲミューセであるが、農業というものは、数字でしか見たことがない。
だから、そのような生返事となってしまう。
「まあ、せっかく視察をさせてもらっているのだ。
もっと、近くで見てみたいな」
そう言いながら、一歩前へと踏み出す。
朝食の後……。
ゲミューセはスプラに、実際、今はどのような形で、もやし栽培に取り組んでいるのかと尋ねた。
それに対し、スプラは今日も現地へ赴くので、直接に目で見て欲しいと言ったのである。
まずは、好感触といってよいだろう。
直接的に、婚約への返事を聞かされたわけではない。
だが、これはゲミューセの提案を受けて、半ば承諾したようなものであり……。
やはり、彼女が資金と人手を欲しているのは、間違いではなかったわけだ。
まあ、この国でゲミューセが求婚している以上、本人の意思などあってなきがごときものなのだが……。
そのようなことを考えながら畑へ歩むと、作業していた小僧がようやくにも気付いたようで、顔を上げる。
「お嬢様!」
そして、ぱあっと表情を明るくさせ、こちらへ駆け寄ってきたのだ。
「ん……と。
レイバ君、今日もありがとう」
「そんな、お礼の言葉なんて過分でさ。
おれは、スプラお嬢様のお力になれたなら、それで……」
ゲミューセのことなど、目に入らぬかのように……。
尻尾を振る忠犬めいた反応で、小僧がスプラと会話する。
――ははあ、これはあれだな。
これを見れば、心中が察せないはずもない。
と、同時に、謎の優越感を覚えてしまうのは、男の本能というべきだろう。
「あー……。
君は?」
なんとなく、王子的な雰囲気を放ちつつそう尋ねた。
それで、ようやく自分のことが視界に入ったようで、小僧がこちらを向く。
「あ……。
自己紹介が遅れてすみません!
おれは、ビーンズ伯爵様に雇われた農夫で、レイバと申します」
これも、祖父王が行った教育改革の成果か……。
思った以上の礼儀正しさで、小僧が頭を下げる。
赤茶色の髪は、手入れなどしていないのか、ひどくボサボサ。
顔立ちは、やはり大型犬のような人懐っこさを感じさせる。
着用しているのは、工場で大量生産されているオーバーオールと、ゴムの長靴。
産業革命が起こって以来、農夫の格好も変わったというが、そのような時代にはふさわしい出で立ちだ。
そんな若き農夫が、頭を上げてこう言った。
「お噂は、お嬢様よりお聞きしております。
あなたが、ハベスト様ですね!」
「……すまん、人違いだ」
その言葉には、苦笑いで返すしかないゲミューセだったのである。
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