19

 私を「姉さん」と呼ぶ孝太郎の顔には、相変わらず表情がなかった。

「困るよ。もう夜になるのに、勝手に桃子を連れ出したりされると。桃子さ、子供のことがあってから体調崩しがちなんだ。むりやり連れてこうとするの、止めてくれる? 何かあったらどうするんだよ」

 まともなことを言っているようで、まるで感情が読めない不気味さがあった。前より痩せて、顔色もよくない。死体が喋っているみたいだ――と、とっさに厭なことを考えて、後悔した。

「姉さんは干渉しすぎだよ。俺たち、そんなに仲いいきょうだいじゃないでしょ。そもそも別世帯だし」

「孝太郎、ここがどういうところか知ってるの?」

「知ってるよ」

 孝太郎は私の肩から手を放し、桃子ちゃんの横に移動した。「ここで何人死んだか調べたからね。まぁ俺も直接見たわけじゃないから、間違いがないとは言えないけど。まず直近の一家で五人死んでる。そのうち自殺が二人、自然死にしか見えないってのが三人。その前も細々死者は出てるけど、一番話題になったのがカルトやってた一家の無理心中で十四人。家にいた十一人を毒殺した後で帰宅した二人を撲殺、最後の一人はやっぱり自然死みたいな死に方をしてる。それから……」

「やめて」

 これ以上そんな話を聞きたくなかった。

「知ってたの? 孝太郎。井戸丈彦って人のこと」

「知ってた。どうもこの家、通称で『井戸の家』って呼ばれてたらしい。住んでた人の名前をとっただけだから井戸なんかないんだけど、地中には何かが埋まってる」

「それ、人形だって聞いた。父さんから」

 私がそう言うと、孝太郎は暗い目でこちらを見た。

「それも知ってる。人形だけど、ずっと人間みたいに扱われてきた人形だって。姉さん、それで人形が人間みたいになるもんかな? 俺にはそもそも人柱自体理解できないけど、そこまでして福の神みたいなものが必要だったのかどうか」

「……ねぇ。人柱ってそれ、あの離れの地下にあるんだよね?」

 桃子ちゃんが口を開いた。「あの離れの窓からこっちをじっと見てるの、それだよね? ほら、みんなあの子を守ってるじゃない」

 桃子ちゃんが指さした先に、あの離れがあった。この下に、本当に人形が埋まっているのか? そのために何人死んだ?

 本当に、守り神みたいなものを人形から作れたとして――

「やめて、桃子ちゃん」

 私は桃子ちゃんの話を途中でやめさせた。これ以上聞きたくなかった。「ねぇ、孝太郎も止めなよ。引っ越そう。こんな気持ち悪いとこさぁ、何で出ていかないの? 父さんに言われた? 会社がやばいからってこんな、ばかみたいな話に……」 

「違うよ」

 孝太郎が言った。静かだけど、質量のある声だった。

「まぁ確かに井戸家は、この家に住み始めてから結構調子がよかったらしい。事業も上手くいって、子供も産まれて……みたいな、いいことばかり起こっていた時期が長く続いてたらしい。もしかしたらなにか福の神みたいなものが本当にいて、その恩恵を受けていたのかもしれない。それで何か禁忌を冒して、全滅してしまったのかもしれない――でもとにかく、それは違うんだよ」

「違うって、何よ」

「俺にとって大事なのは、そういうことじゃないんだ」


 いつの間にか空が暗くなっていた。門の外をトラックが通り過ぎ、さっとこちらを照らしたそのとき、孝太郎の顔は一瞬真っ黒な影みたいに見えた。

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