17

 孝太郎たちの家に着いたときには、もう夕方が夜にとって代わられようとしていた。半分になった白い月が、空の高いところにひっかかっていた。

 門扉の側にあるインターホンを鳴らしたけれど、誰も出ない。家の窓には灯りが点いているのに、留守にしているんだろうか?

 まだ孝太郎が帰るには早過ぎるだろう。家では桃子ちゃんが、おそらくひとりで過ごしているはずだ。

(ちょっと出かけてるとか、そういうことならいいけど)

 落ち着かない気持ちをなだめながら、私は三回、しつこくインターホンを鳴らした。どうやったら二人を説得できるか――正直、あまり考えていない。でも、とにかく会わなくちゃと思った。自分の顔がカメラに写り込むように姿勢を変えたりしていると、突然少し遠いところから「早和子さぁん」と呼びかけられて、飛び上がりそうになった。桃子ちゃんの声だ。

「早和子さーん」

 どうやら声がするのは庭かららしい。「勝手に入ってきちゃっていいですよー」

「勝手に?」

 私は門扉に手をかけた。すると、閉まっているように見えていた扉が、思いがけずスムーズに動いた。内側に掛け金があるのに、それがかかっていなかったらしい。中から聞こえる声を聞こうと若干前のめりになっていたから、もう少しで転んでしまうところだった。

「桃子ちゃん?」

 門扉を閉めながら声をかけると、奥の方から「はーい」という返事が聞こえた。やっぱり桃子ちゃんだ。

「ねぇ桃ちゃん、どう? 変わりない? おかしなこととか起こってない?」

 喋りながら庭の奥に歩いた。門から遠ざかっていくことに、ふいに強い不安を覚えた。このままこの敷地から出られなくなったらどうしよう――そんな荒唐無稽なことを考えてしまう。

 私は頭を振って、不穏な考えを追い出した。ここは別に危険な場所じゃない。弟とその奥さんが暮らしている、あくまで普通の一般家庭、ただの家だ。

 そう思おうとした。

「早和子さぁん」

 離れの近くに、桃子ちゃんが立っているのが見えた。こちらに手を振っている。

(よかった、元気そう)

 私はほっと胸をなでおろした。走って近づくと、桃子ちゃんはちょっと驚いたような顔をした。

「大丈夫ですか? 早和子さん、なんか恐い顔してますけど」

 眉をひそめ、首をかしげて私の様子をまじまじと眺める。その顔はちゃんと見覚えのある桃子ちゃんで、私はちょっとだけ(こんなに急いで押しかけなくてよかったかも)と反省した。少なくとも、あらかじめ一報入れるべきだっただろう。

「ちょっとね。桃ちゃんも元気でよかった」

 そう言って立ち止まり、胸をなでおろした。そのとき、私の耳元で

「どちらさま?」

 と、誰かが囁いた。

 気のせいではない。女性の声だった。後ろから耳にかかる息遣いまで、はっきりと感じられた。

 でも、私の背後には誰もいないはずだ。

「そのひと、探してるひとだった?」

 桃子ちゃんが言った。その目が私ではなく、私の後ろを見ていた。

「違うよね。だってここに住んでたことないはずだもん」

 桃子ちゃんの言葉に応えるように、耳の後ろで「ふふ」と小さく笑う声が聞こえた。

 振り向くことができなかった。振り向いたら、なにか怖ろしいものを見てしまう気がした。桃子ちゃん、と投げかけようとした言葉が、喉の奥に貼りついて詰まった。

 誰かが後ろから、私の肩に手を置いた。

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