15
「なんだ早和子、何の用だ」
急に低い声で呼びかけられて、思わず飛び上がりそうになった。
いつの間にか社長室のドアが開いて、父が戸口に立っていた。出張とやらから戻って来たらしい。顔色が悪い。昨夜は遅くまで飲酒していたのだろう。そういった付き合いがすべて不要とは思わないが、ものには限度というものがある――父の顔を見た途端急に現実に引き戻されて、そんなことを一瞬のうちに考えた。
「探し物か」
言葉少なにそう言いながら、父は棚の前に立っている私と、手元のアルバムを見比べるように眺めた。
「お父さん」
声をかけると、父は半分寝ているような声で「うん」と応えた。私はアルバムを開いたまま近づき、例の写真を父に見せた。
「この井戸丈彦って人、お父さんと親しかった?」
「そんなに親しかったわけじゃない。俺よりはおやじの方が親しかった」
「そう。孝太郎たちが引っ越したところ、この井戸さんの家があった場所だって知ってた?」
父はふーっと長いため息をついた。煙草の煙を吹き出すような吐き方だった。ドクターストップがかかってもう何年も煙草を吸っていないはずだが、父はたまにこういうため息をつく。それは都合の悪いことが起こったときに決まっている――と、少なくとも私はそう思っている。
「ねぇ、知ってた?」
「知ってた」
ぽつんと吐き出すような答えが返ってきた。胸の中になにか冷たいものを投げ込まれたような気持ちになった。
「……じゃあ、井戸さんの家で何が起こったのかも、知ってた?」
「知ってた。結構な騒ぎになったしな」
父は私の横を離れ、デスクチェアに腰かけた。ぎし、と椅子のきしむ音が聞こえた。
「無理心中があったって」
「あった。家族が十四人いて、全員死んだ」
「よくそんな土地を――」
「井戸丈彦は禁を破った。破らなけりゃよかっただけの話だ。そうしていればいいことばかりが起きて、幸せなまま長生きして一生を終えられたかもしれん」
突然父がそんなことを話し始めた。尋ねておきながら、私は急に不安になった。頭の中で自分の声が鳴っていた。わざとだったんだ。やっぱりわざとだったんだ。単に安かったからあの土地を買ったわけじゃない。意図があったのだ。
「禁を破ったってどういうこと? それまではいいことばかり起こってたの?」
「そう。二十年近く、何をやっても上手くいった。井戸さんはその理由をおやじに話したらしい。人柱だと」
ひとばしら。すぐにはその単語が、頭の中で意味のあるものに変換できなかった。何かのたとえだろうか? それとも本当に?
「埋めたのは人形らしい。だがそれで二十年近く栄えた」
人形と聞いて、私は少し安心した。本当に人間を埋めたんじゃなくてよかった、とこのとき迂闊にもそう思った。
「たまたまじゃないの? 人形を埋めたからって――」
「たまたまじゃない」父はきっぱりと言い放った。「だから結局全員死んだ。効き目のない人柱なら、一家全滅なんてことにはならん」
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