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「あの土地にあるものをどうにかするのが難しいのなら」

 私は鬼頭さんの顔を見ながら話した。反応が表情に出やすいひとだ、と思ったからだ。「弟たちを引っ越しさせるのが最善ということですよね。無理してあそこに住み続けるよりも、逃げ出してしまった方がいい」

 鬼頭さんは眼鏡の奥でぱっと目を見開き、何度もうなずいた。同意を得たのだ、とわかった。

「私、弟夫婦を説得しようと思うんですけど、難しいでしょうか?」

 鬼頭さんはちょっと首をかしげて、それからノートに『難しいと思います』と書いた。『あの土地から逃げ出そうという意志があるなら、もうとっくにそうされているんじゃないでしょうか。どうしてもあの家に住み続けなければいけない理由って、弟さんたちには特にないはずですよね』

 そう、その通りだ。孝太郎は、両親と仲がこじれたってかまわないと思っているはずだ。自分たちの意見がこれっぽっちも入っていない家や庭にさほどの愛着があるとも思えないし、引っ越して新しい住まいを借りるためのお金がないわけでもない――はずだ。でも私が見る限り、二人はそのための行動をまったく起こしていない。

『惹かれているんでしょう。たぶん』

 鬼頭さんはそう書いた。いやな言葉だと思った。惹かれている、とは。

『住人をそこに留めたいと願っている、あそこに棲んでいるものの力が、お二人には作用しているんだと思います』

「だったらそれは……どうすればいいんでしょうか」

 私が尋ねると、鬼頭さんはどこかが痛むかのように、顔をぎゅっとしかめながら鉛筆を動かした。

『考えてみます。早和子さんもお気をつけてください』


 鬼頭さんがノートを抱えて帰宅した後も、私はぼんやりとソファに座っていた。なにかものすごく現実離れしたことが起きていて、それについていけなくなっているのを感じた。そんなことを言っている場合ではない、がんばらなきゃと思うのに、体がついていかなかった。

(駄目だ、今すぐ動かなくちゃ)

 私にもできることを探さなきゃ。放っておくなんてことはしたくない。

 仕事が到底手につきそうになかったので、適当な理由をつけて早退した。仕事は終わっていないけれど、終わるまで我慢していたら一生休めないかもしれない。

(桃子ちゃん、今何やってるかな)

 ふと気になってメッセージを送ったけれど、返信はない。無事に過ごしているかどうか、気がかりだ。孝太郎は何をやっているんだろう。ちゃんと仕事しているんだろうか。もしも私が桃子ちゃんを守れたら、せめてそのためにいくらか力を貸すことができたら、孝太郎は私のことを、少しは見直してくれるだろうか。

 オフィスを出て、さてどうしようかと迷った。やっぱりあの家に向かうべきだろう。桃子ちゃんが中に入れてくれるかどうかはともかく、あの家がある土地について、私はもう少し知るべきだ。そう思った。

 あの土地にかつてあった屋敷が燃えるよりももっと前――その一家が住み始めるよりも昔に、あそこでは凄惨な事件が起こっていたはずだ。

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