09

 翌日、すっかり夜が明けてから桃子ちゃんに電話をかけた。自分で『またうちに来てくれます? 明日とかどうですか?』なんて言っていたくせに、わたしが「昨夜の電話さ……」と話しだすと、きょとんとした声で『私、通話なんかしましたっけ?』なんて不思議そうに言う。

 私のスマホにはちゃんと着信履歴が残っているし、あれだけ会話をしたのに覚えていないという。心配になり、時間を作ってまた弟の家を訪ねた。

 弟は出勤中、家にいるのは桃子ちゃんだけだ。桃子ちゃんは玄関を開けてすぐ、

「早和子さん、どうしたんですか?」

と声をあげた。

「いやいや、どうしたは桃ちゃんの方でしょ……」

「顔色がすごく悪いですよ」

 桃子ちゃんは顔をしかめてそう言う。そんなに不調が顔に出ているのか……とがっくり来たけれど、心配してもらえたことについては正直悪い気分ではない。桃子ちゃんらしくてほっとする。そもそも寝不足になったのは桃子ちゃんが原因なんだけどねという気持ちと、とりあえずは無事らしいという安堵とが混ざって、私は妙な笑い方をしてしまった。

「あの、早和子さん?」

「ああ、ごめんごめん、寝不足が顔に出やすいの。具合が悪いとかじゃないから」

「寝不足もよくないですよ。お仕事、忙しいんですか?」

 正直、忙しい。父のようにのんびり出張(何しろ同じ職場なので「のんびり」と言ってもいいだろうと察しがつく)している余裕はない。本当に小人が仕事を片付けてくれたらいいのに――と思うけれど、

「まぁ~、普段どおりね」

 と答えておく。「前にちょっと言ったとおり、泥舟感出てきてるから。うちの会社」

「大変ですね……」

 玄関のシューズボックスの上に、人形が置かれている。最近流行っているアニメキャラクターの、若干安っぽく頭身の低いぬいぐるみだ。

「これ、どうしたの?」

「ああ、午前中に届けてもらったんです。お守りだって」

 桃子ちゃんがぬいぐるみを指先でちょんと突いた。オレンジ色の髪をした女の子の人形は、それにつられて少しだけ傾いた。桃子ちゃんはそれをまっすぐに伸ばしながら、

「お守りっぽくないですよね」

 と呟いた。

「もろに宗教っぽいより、かえってよくない? 玄関に大きな御札とかあったら、ちょっとギョッとしちゃうかも」

 冗談っぽくそう言うと、桃子ちゃんも「なるほど、そうかも」と言って少し笑った。

 桃子ちゃんは「ちょっと上がっていったら」と勧めてくれたけれど、断ることにした。なにかと用事があるし、この後は会社に戻らなければならない。仕事が残っているし、来客の予定もあるのだ。義妹が心配なときくらい休むのが人情ってものなのかもしれないが、なかなかそういうわけにもいかないのが辛いところだ。

(ていうか孝太郎、仕事休めないのかな。テレワークとかもないの?)

 車を運転しながら、そんなことを考えた。桃子ちゃんの様子を見ながら働けたらいいのに、難しいものだ。

 用事を片付けるといつのまにかそこそこ時間が経っており、わたしはなるべく急いでオフィスに戻った。自分の席で一息ついていると、パートの女性事務員さんがホットコーヒーを持ってきてくれた。

「ありがとう。お客さん、まだだよね?」

「まだです。早和子さん、チョコもいりません? ちょっと休憩した方がよさそうな顔してますよ」

 そんなに顔に出るのか……私は苦笑いした。

 来客はそれから数分後にやってきた。地味な格好をして、年齢がよくわからない女性――鬼頭雅美さんだ。

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