08

『ああ、早和子ちゃん』

 もう夜中といっていいような時間に電話をかけたのにも関わらず、電話に出た母は文句のひとつも言わなかった。むしろ、ほっとしたような口調ですらある。

「お母さん、教えてほしいことがあるの。なるべく急ぎで」

 私は早口でしゃべりだした。母がどうでもいい話を始めると長くなる。

「孝太郎の家、建てるときに地鎮祭とかお祓いとか、そういうのやらなかった? 曰く付きの土地だもん、何かやったんじゃない?」

 若干の沈黙が流れたあと、母が『ああ』と声をあげた。

『たぶん、お祓いやってもらったと思うわよ。あの土地の売買をやってた不動産会社から拝み屋さんを紹介してもらったんだったかしら。ぜひやりなさいって言うし、お父さんって案外ああいうの気にするじゃない? ええとねぇ』

「お父さんに電話替わってもらえる? さっきも言ったけど急ぎなの」

『それがお父さん、今日泊りがけの出張でね』

「出張? なんで今日に限って……いや、もういいわ。お父さんのスマホにかけてみる」

『この時間じゃ出ないんじゃないのぉ。いいわよ、契約書類が入ってるフォルダに何か入ってた覚えがあるから』

 ちょっと待ってて、と言って、母が電話口を離れた。

 私はほっと一息ついた。母の妙にのんびりした平坦な声は、聴いているとなんだか逆に不安になってくる。このひとは一体何を考え、感じているんだろう――時々不安になる。血のつながりのない私を育てるだけでなく、あからさまに優遇されているのを見過ごしている。自分の血をわけた息子が割を食っているというのに、そのことについては何も言わない。

 それにしても、見当外れな予想じゃなくてよかった。あの家を建てる際に、誰かしらお祓いのようなことをやっているはず――当てずっぽうでそう踏んだけれど、どうやら的を射ていたようだ。

 母はまだ戻ってこない。真面目な電話の途中ではあるけれど、つい欠伸が出てしまった。そのときふと、あることにひっかかった。

「あれ? ……お父さん」

 さっきの母の話で思い出した。母はさっき「お父さんはああいうの気にする」と言った。言われてみれば「かつぐ」方かもしれない。会社には神棚が設置されているし、ゲン担ぎを気にしていた記憶もある。

 なのになぜ、あんな曰く付きの、とびきり縁起の悪そうな土地をわざわざ買って、家を建てたりしたんだろう。自分が住むわけではないといっても、気にならないんだろうか? 何か特別に理由があるんじゃないだろうか。

(――私の考えすぎかな)

 そこで、ようやく母が電話口に戻って来た。

『拝み屋さんの連絡先、わかったわよ。このまま口頭で言っちゃっていいの』

「うん。ちょっと待って、メモするから」

 母が教えてくれたのは、先方の名前と電話番号、それにメールアドレスだった。復唱し、ちゃんと紙に控えておくことにする。どうやら「鬼頭雅美」という人が関わっているらしい。

『こんな時間に電話が鳴るから、ちょっとびっくりしちゃった』

 母が平坦な声のままで、そんなことを言った。『孝太郎かと思ったら、早和子ちゃんでよかったわ』

「孝太郎?」

『あの子、変なのよ。急にしょっちゅう帰ってくるようになったと思ったら、ここ数日ぱったり音沙汰がなくなってね。何考えてるのかわからなくて不気味じゃない』

 不気味か。普通、実の息子に向ける感情ではないと思う――でも腑には落ちた。それでさっき、ほっとしたような口調になったのか。

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