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「利用って、なんの話ですか?」

 そう言った孝太郎さんの目が、一瞬異様なほど大きく開いて、また元に戻ったのをわたしは見た。なんだかいやな感じがした。

 孝太郎さんは、何を考えているんだろう? 利用する? 離れのことだろうか。あんな中に入ることすらもできない建物を、何に利用するっていうんだろう。住むなんて絶対にいやだし、せいぜい物置にするくらいしか思い浮かばない。この家には空っぽの部屋だってあるのに、そんなものどう役立てるっていうのだろう。

「おわかりにならないのなら、それで」

 森宮さんは飄々とした口調でそう言って「けど言うておきますがね、離れの鍵は、どこを探してもありません。ねぇ、鬼頭さん」

 森宮さんに名前を呼ばれた鬼頭さんが、飛びつくように何度もうなずいた。孝太郎さんは、表情の読めない顔でその様子を眺めている。わたしが知っていた、人畜無害そのものみたいな彼とは別人になってしまったように見えて、不安で胸の奥がざわざわした。

「何で森宮さんや鬼頭さんがご存知なんですか? 鍵がないって」

「鍵を処分するよう工務店の方に指示されたのは、鬼頭さんでいらっしゃいますけぇ」

「しょ、処分するところ」鬼頭さんがようやくかすれた声でしゃべりだした。「わ、わたしも、立ち、会いました」

「私にも、ちっとご相談いただきましてね。そうするのがよかろうと」

「どうしてです?」

「開ける必要がない」

 森宮さんはさらっと、当たり前のようにそう言った。

「ええですか、谷名瀬さん。ここにまだお住まいになられるんなら、ちょっとした約束を守ってもらわなきゃならない。離れから何が聞こえても、離れの窓から何が覗いていても、あの家に入ろうとしてはいけません。もちろん奥様も同じことです。それから、何かがこの家に入ろうとした場合も、決して入れてはいけない」

「入れたらどうなります?」

 いっそ事務的と言ってもいいような口調で、孝太郎さんが尋ねる。森宮さんは「おそらくですがねぇ、逃げられなくなります。それだけの繋がりができてしまう」と答えた。

「特に振袖の小さな女の子と、赤いエプロンの女性には注意なさって――いやぁ、いかんな」

 森宮さんが呟いたとたん、こん、と音がした。何か固いものを、拳で叩くような音だった。

 森宮さんはすっと顔を上げ、一点を向いて止まった。顔が見ている方を掃き出し窓が見える。レースのカーテンを透かして、窓の端から一本の腕がにゅっと伸びている。その拳が、窓ガラスを叩く。

 こん

「俺も鬼頭さんもおるのに、態度がでかいこっちゃ」

 森宮さんがそう言うと、鬼頭さんが小さな声で「い、いえ」と言いながら首を振る。森宮さんは「ははは」と小さく笑った。

「まぁ、俺も大きな口を叩けるようなもんじゃあない。まったくねぇ、体が弱るといかんなぁ」

 そう言いながら、まるで目が見えているみたいに、じっと掃き出し窓の方を向いている。

 窓の外の手が、また動く。

 こん

「あ、あの……」

 思わず話しかけると、森宮さんは「無視がええですよ」と言った。

「そしたらそのうちいなくなるんでね。あなたも無視なさるのがええ――いや、本当はすぐにここをお出になって、二度とこの家には来ないのがええです」

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