21

 その夜、八時過ぎに帰ってきた孝太郎に早和子さんが来たことを告げると、案の定すごく嫌そうな顔をした。

 やっぱり言わない方がよかったかな、と思った。でも、後で何かの拍子に思いがけずバレるよりはマシだ。お祝いももらってしまったことだし。

「早和子さん、お返しとかはいらないって言ってたけど、どうする?」

「うーん……そうは言っても別世帯だしお互い大人だからなぁ。なんか適当に送っとくよ。ありがとう」

 そうか、姉さん来たのか、と呟いた孝太郎は、私が作っておいたものだけを食べ、早和子さんからもらったものは箱から出そうともしない。

 もらったレトルト食品は、彼がいない平日の昼間に私が消費することになるだろう。

 義実家の会社のことも話した。たぶん早和子さんは、孝太郎の耳に入れてほしいと思っているだろう。孝太郎は静かに聞き、「そうか」とうなずいた。驚いた様子には見えなかった。


 早和子さんは、義父とその前妻の間の子供だという。

 ふたりが離婚し、前妻が早和子さんを連れて出ていった。その後義父は義母と結婚して、孝太郎が産まれた。たぶんこの頃はまだ普通の親子で、普通の家庭だったのだろう。ところが前妻が亡くなり、遺された早和子さんは義父に引き取られ、義実家に戻ることになった。

 早和子さんの優秀さはとてもわかりやすい。難しい資格をいくつも持っているそうだし、性格も明るい。誰とでもすぐに打ち解ける。それまで孝太郎がなんとなく占めていた「義父の後継者という立ち位置」に、いつの間にか早和子さんが収まってしまった。

 たぶん孝太郎は、争う前に進んで自分からその座を降りたのだろう。そういう人だ。でもきっと、心のどこかでは納得していない。自分の居場所を盗られたような気持ちがある。

 だから早和子さんが来ると嫌な顔をするし、もらったものを食べないのだと、私は思うのだ。


 時々不安になる。私たちは「普通の家族」になれるのだろうか、と。私たちに欠けている団欒の経験というものは、どこかで補うことができるのだろうか。

 出っ張ったお腹を撫でてみる。この子をどんなふうに愛していけるかどうか、時々自信がなくなってわからない。

 もしも愛着というものがまるで湧かなかったとき、わたしはこの子をどうすればいいのだろう。


「――そういえば早和子さんが帰ったあと、鬼頭さんが来たよ。あの、よくわかんない人」

 そういう話もした。

 我が家にやってきた鬼頭さんは、私に紙袋を渡して、逃げるように去っていってしまった。相変わらずよくわからない人だ。

「これを、どこか家の中に置くようにってさ」

 私は孝太郎の眼の前で、紙袋の中身を取り出してみせた。

 人形だった。特別なものではなさそう――というか、普通に見かけるたぐいのものだ。たとえばUFOキャッチャーの中に入っていそうな、流行りの漫画のキャラクターだった。市販のものだ。タグもちゃんとついている。

「鬼頭さんねぇ……ほんと、謎の人物だよな」

 孝太郎が首をひねる。「まぁ、どっかそのへんに置いとこうか? ここ建てた工務店と繋がってるひとが、わざわざ置いてくっていうのが気になるし……それよりさ、ほんとに一人で寝て大丈夫?」

 孝太郎の聞き方は「釘を刺す」という感じだ。私はとっさに「大丈夫」と答えた。

「また窓から外に出たりしないから」

「だったらいいけどさ……何かあったら、俺のこと起こしなよ」

「わかってるって」

 孝太郎をなだめながら考えた。今夜もあの離れに灯りはともるだろうか。

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