17

 振り返ると、見覚えのある人が立っていた。昨日、工務店の野島さんと一緒にいた女の人だ。

 たしか、鬼頭さんだったっけ? 暗い色のロングコートに足首が隠れる長さのスカート、そして眼鏡。相変わらず地味で、そして年齢のわからない不思議なひとだった。

「す、すみません。その、気になって」

「はぁ」

 昨日の今日で、一体何の用なんだろう? 不審に思ったけれど、とりあえず返事はした。野島社長が連れてきた人だし、直感的に「悪い人ではない」という気もする。でも、やっぱりよくわからない人だ。

「あの、家のことで何か?」

 私は門扉に手をかけたまま、そう聞いてみた。

「は、はい。いえ、その」

 鬼頭さんはあっちこっちに散らばってしまった言葉を探すみたいに、上下左右に視線を動かしながら、「あ、あの、何か変わったこととか、その、ありませんでしたか?」と、逆にこちらに尋ねてきた。

「変わったこと?」

「そ、その、たとえばですけど、あの、ゆ、夢を見るとか。変な夢」

「夢?」

 脳裏によぎったのは、あの顔のない子どもの姿だった。離れを撮った写真に写り込んだ人影。

 夢に出てきたあの姿はたぶん、私が頭の中で作り上げてしまったイメージで、だから幽霊などではないはずだ。他人にわざわざ話すようなことじゃない、くだらないことに違いない。でも鬼頭さんは真剣そのものといった面持ちで、

「こ、子供か、女性が、その、出てくる夢を、み、見ません、でしたか?」

 と、さらに尋ねてきた。

「女性ですか?」

「は、はい。こ、子供でも、いいです、けど」

 やっぱりあの夢のことだろうか?

(でも、この人に夢の話なんかしてもいいのかな)

 急に疑念が降ってわいた。開きかけの門扉が、私の手の下でキィ、と鳴った。

 そもそもその夢の話をするにあたっては、あの写真のことだって教える必要がある。あまりしゃべりたくないな、と思った。心霊写真みたいなものが撮れたなんて言ったら、頭のおかしなやつだと思われないだろうか? それに、なぜそんなことを聞かなければならないのか、それが明確でないうちは、迂闊に答えたくなかった。何をしにいらしたんですか、とストレートに尋ねようとしたとき、鬼頭さんが固まっていることに気づいた。

 彼女の視線は家の方に――庭へと向いていた。その顔色がさっと青くなる。そういえばこのひと、離れのことを気にしていたっけ。そう思い出したとき、鬼頭さんが

「出てる」

 と言った。

 その声が、ひどく冷たく聞こえた。

 そういえば昨日は「まだ出ていません」とか言っていたっけ。何のことかわからなかった。でも一日経った今、何かしらの状況が変わっている――少なくとも彼女にとってはそういうことらしい。

「ご、ごめんなさい。今日は、まだ、その、よ、用意がなくて」

 そう言いながら、鬼頭さんが後ずさった。「す、すぐにどうにか、します。の、野島さんに、ええと」

 そこまで言うと、鬼頭さんは突然咳き込み始めた。ただむせたという感じではない、何か命のかかっていそうな咳みたいに見えて、怖かった。人の命が削れていく瞬間を見ているような気がした。

(帰ってほしい)

 頭の中で声がした。自分のものなのか他の誰かのものなのかよくわからなかったけれど、無視のできない声だった。開きかけた門扉に置いた手が震えていた。

 これ以上この人にここにいてほしくない――強くそう思った。もう帰ってと言いかけたそのとき、鬼頭さんがぱっと頭を下げた。

「す、すみません。失礼、します」

 かすれた声でそう言った。それから彼女はぱっと踵を返して、早足でどんどん向こうに歩いていってしまった。

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