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 食事を終えると、孝太郎はスマホを持って二階に向かった。

 どうやら本当に電話をかけているらしい。相手は義父だろうか? うっかり会話が聞こえてしまわないよう、私は庭に出た。

 庭に出ると、どうしたって離れの方に向かってしまう。

 離れの周りをぐるぐると歩き回り、ふと思いついて玄関の前で写真を撮った。どう見ても普通の玄関だ。モダンな引き戸の横には縦長の窓があり、内側にブラインドでも降りているのか、一面うっすらと白っぽく見える。

 玄関の右側はリビングにでもなっているのだろうか、外光がよく入りそうな大きめの窓がある。全体に模様が入ったガラスのうえ、やっぱりここもブラインドが降りているらしく、中の様子はわからない。わかったところでどうにもならないかもしれないけど――ともう一枚写真を撮ろうとしたところで、スマートフォンが震えた。

 通話アプリの画面には、女性の顔を映したアイコンと、『谷名瀬 早和子』という名前が表示されている。

 義姉だ。孝太郎のお姉さん。

 辺りを見回した。孝太郎の姿はない。義父とでも話しているのだろう。アイコンをスライドさせ、「もしもし」と呼びかけた。

『桃子ちゃん? 元気ぃ?』

 ぎょっとするほどよく通る声だ。早和子さん本人に悪気がないのはわかっているが、もう少し小さな声で話してほしい。

「はい、桃子です。おひさしぶりです」

『ひさしぶり~! 元気? 体調どう?』

 早口で一通り近況を尋ねてから、早和子さんは『ねぇ、引っ越したんだって?』と本題に入った。

「はい、昨日来たばっかり」

『いいね~新居! あのさ、新築祝いを贈りたいなと思って。桃子ちゃん、何か欲しいものない? 家電とか、食器とか?』

「はい? えーと」

『あーっごめんごめん、急に聞かれても困っちゃうよね! よかったら後で教えて』

「あはは、そうします」

『うん、ぜひ教えてね。孝太郎、あたしの連絡無視しちゃうからさ』

 早和子さんはあっさりとそんなことを言う。

『桃ちゃん、なんか困ったことがあったら、連絡してきていいからね? なんかさ、色々あったんじゃない? 家建てるの、うちの親が相当口挟んだでしょ』

 挟んだどころか全部仕切って、私がこの家を見たのは昨日が初めてです。しかも曰く付きの土地にわざわざ――なんて言ったらどうなるだろうと思ったけれど、言わなかった。早和子さんは、彼女の両親と私たち夫婦がどういう関係なのか、たぶんよく知らない。少なくとも、ここまで歪んでいるとは思っていないだろう。

「いえ、そんなことないですよ」

『そう? あの人たちアク強いからさぁ。お金出すからってすごい出しゃばって来そうだなって。言いにくいことがあったら代わりに言ったげるから、なんかあったら教えてね?』

「はい、ありがとうございます」

 そのとき、母屋の玄関のドアを開け閉めする音が聞こえた。孝太郎だ。こっちに来るかもしれない。

 孝太郎は、早和子さんのことが嫌いだ。彼女が思っているよりも、もっとずっと嫌いなのだ。

「すみません、そろそろ切ります。あの、用事があって」

 私が会話を切り上げようとすると、早和子さんは

『わかった! 忙しいときにありがとう! じゃあまたね』

 と言って、あっさり電話を切った。

 足音が近づいてくる。私はスマートフォンを構え、写真を撮った。決して通話のためにスマホを出していたわけじゃない、と言い訳するような気持ちがあった。

「桃子、こっちにいたんだ」

 孝太郎が手を振りながら、こちらに歩いてきた。「おやじに聞いたんだけど、やっぱり変なんだよ。まずそこの鍵はないって、その一点張りでさ」

「ないの?」

「そう。実家どころか、不動産会社に問い合わせても無駄だって……なんかさ、でかい祠みたいなもんだと思えって、おやじは言うんだよ。おかしいよね?」

 そう言って、孝太郎は大きなため息をついた。

「そりゃおかしいね……」

 うなずきながら、私はふと手元のスマートフォンの画面に目を落とした。

 その途端、背筋に冷たいものが走った。

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