05
一番古い記憶は両親の葬儀の終わり、親戚のおばさんに言われるままに弔問客に頭を下げていたときにぼんやり見ていた、自分の靴のつま先だ。
それより古い記憶はいくら掘り起こそうとしても出てこない。出てこないけれど元々問題のあった家庭だったらしいとは、何人かの親戚から聞いたことがある。だから私は、父の死も母の死も悲しいと思ったことがないのかもしれない。
私を引き取ってくれた親戚のおばさんは、飢えたり凍えたりしない程度に生活はさせてくれたけどそれ以上のことは何もせず、私たちはひとつ屋根の下で暮らしているだけの他人みたいだった。私は高校生になってアルバイトを始めるまで、遊園地というものに行ったことがなかった。未だに孝太郎以外のだれかと一緒に食卓を囲むと、それだけで緊張してしまう。
おばさんは私が高校を卒業したのとほぼ同時に癌で余命宣告を受け、今はもうこの世にいない。
だから私にとって家族の団欒とかいうものは、本やテレビの中のもの、手の届かないファンタジーみたいなもので、だからこそ「家族みんなで過ごす賑やかな家」みたいなものに昔から憧れていた。そういうものを渇望していたはずなのに、結局は孝太郎みたいな、あたたかいとは言えない家庭で育ったひとと結婚して、こんな寒々しいくらい広い家で、ひとりしかいないベッドで、前の家から持ってきた古い布団に包まって――いや、一人ではない。お腹の中には赤ちゃんがいる。私の体内にいる、でも私の体の一部ではない小さな人間。
私はこの子を愛することができるのだろうか。この無駄に広い家を笑い声で満たして、たとえば皆でリビングに集まってお喋りするような暖かい家庭を
作ることが
私に
目が覚めた。
天井を見上げた途端、私は思わずぎょっとした。新居の部屋を見慣れないのと、寝ぼけていたせいで、どこか知らない場所にいる! と勘違いしたのだ。心臓が痛いくらい跳ねた。
(そうだ、引っ越ししたんだった)
ようやくそのことを思い出し、私はほっと胸を撫で下ろした。枕元のスマホを見ると午前三時過ぎだ。さっさと寝直さなくては。
枕に頭をつけて目を閉じると、私はもう一度眠りに戻ろうとした。眠るのは得意だ。旅先でもすぐに寝入ることができる。でも今は駄目だった。
落ち着かない気持ちで目を閉じ、ベッドの上で横になっていると、どこかから人の声が聞こえてくるのに気づいた。
一人ではない。賑やかだ。何人かの人が集まって、ワイワイ楽しそうに騒いでいる。
(まいったな、夜になるとこんな賑やかだなんて)
私は寝返りを打つ。やっぱり家を買う時というのは、事前に何度かその地域を訪れるべきだと聞いたことがある。訪問の時間帯を変え、曜日を変えて……――しかし一体、どこから聞こえてくるのだろう? そう考えて気づいた。
音が近い。
この家の周りには、広い庭と高い生け垣があるのだ。でも賑やかな声は、もっと近くから聞こえてくるような気がする。
(まさか、庭にだれか入り込んでるとか?)
私はぱっと体を起こし、窓のカーテンを開けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます