第17話

 ◇◆


 後ろから見守っているのと、こうやって肩を並べて歩くのでは、こうも景色が違うのか。


「駅から結構歩くんですね、丹下さんちって」


 駅から降りて丹下さん宅に行くまでの道のり。見知った風景なのに、何とも新鮮な気持ちが俺を満たしてくれる。


「緑も多くて、晴れの日は景色が綺麗なんでしょうね。見晴らしもいいし、星とかも。今日は曇っちゃってますけど」


 あはは、と俺は笑うが、丹下さんの反応はゼロ。隣で肩を並べて歩いているはずなのに、俺の声はまったく届いてない。冷え冷えとして寒いのは秋先のせいだけではない気がする。まるで俺と彼女の間に分厚い氷の壁でもあるかのようだ。

 丹下さんの住むマンションに近づくにつれ、俺の緊張は高まっていく。成功のイメージと失敗のイメージが交互に押し寄せてきて、内心いてもたってもいられなくなっていた。


 マンションが見えてきた。大丈夫。俺の用意したサプライズで丹下さんの凍った心を溶かし、真の愛に気づかせる。れ以上の幸せがあるのか。否、ありはしない。

 俺の最終目標は丹下さんの恋心の奪略。今日がその第一歩となる。大丈夫、失敗したとしても、その後こそが重要だ。俺に意識した状態での小さなアピールの積み重ねが、大成への道になるのだから。

 自分に言い聞かせ、己を奮い立たせる。


 そして、とうとう着いた。丹下さんの住むマンションに。

 いつもは俺と丹下さんを隔てる障壁にしか見えなかったのに、今では俺を受け入れてくれる愛の巣にしか見えない。


 丹下さんはエントランス前ので立ち止まり、周囲を見渡す。「玲ちゃんはまだ来てないのね」

 来るわけがない。呼んでないのだから。


「もうちょっとかかるみたいですね」


 俺は適当なことを言い、丹下さんに向き直る。


「丹下さん、宅配ボックスを確認してくれませんか?」


 エントランスの中。自動ドアをくぐって右の壁際に設置されているロッカー型の宅配ボックスを指さしながら、俺は言う。


「は? 宅配ボックス?」


 藪から棒な俺の申し出に丹下さんは眉をしかめる。目当ての春科玲はいないし、俺はいきなり変なことを言い出すし、当然の反応だろう。


「はい。実はちょっと丹下さんに見てもらいたいものがありまして……」


 丹下さんが割と高級なマンションに住んでいてよかった。保冷材は十分に入れてはいるが、冷蔵品に対応しているタイプの宅配ボックスだったおかげで、俺のサプライズは実現できたのだ。

 これが俺のサプライズ。朝、丹下さんが出勤した後に宅配ボックスに誕生日ケーキを入れ、盛大にお祝いをする。あわよくばケーキも一緒に食べる。ベタだと嘲笑う者もいるだろう。だがこれくらいストレートでないと、俺の真摯しんしな想いは彼女に届かない。


「……それは玲ちゃんに関係あることなの?」

「はい、関係あります」俺は間を開けずに答える。


 嘘をついてしまっていることに関しては申し訳ないとは思ってる。でも、春科玲の呪縛から丹下さんを救うという意味合いでは春科玲に関係していることだし、全くの嘘というわけではないはずだ。


「……まあいいわ。まだ時間あるみたいだし」


 どこか怪しんでいる眼をしているが、存外丹下さんは素直に従ってくれた。なんであんたの言うことを聞かないといけないんだ。そう言われることも予想もしていたが、ここで仲介役である俺に反発したら後の春科玲との会合に悪影響を及ぼすかもしれない。そんなことを危惧きぐしたのかもしれない。

 丹下さんは俺を置いてスタスタとエントランスに入るから、俺もついていく。


「1番のボックスで、暗証番号が――」


 俺は自分のスマートフォンのメモ帳機能に控えておいた情報を読み上げようとするが、途中で丹下さんが遮ってきた。


「ちょっと待って……あんたが宅配ボックスに入れたの?」

「え……? あっ」


 しまった。俺は丹下さんの住所を知らないていでいたのだった。なのに俺が宅配ボックスに入れましたって態度をとってしまうという……これは完全なる墓穴だ。

 丹下さんは隠しもせず疑いの目を俺に向ける。このままでは春科玲が呼んでいるということ自体が嘘だと見破られかねない。


「ええっとですね……そう、春科さんです! なぜか春科さん、丹下さんの住所を知ってたみたいで、前もって宅配ボックスにプレゼントを入れていたみたいなんです」


 口走ってプレゼントと言ってしまったが、もう仕方がない。ここで変に言い淀んで疑いをかけられたら俺の計画はパアになってしまう。とりあえず誕生日ケーキを見てもらわないことには何もはじまらない。


「僕もさっき知りまして、春科さん、遅れそうだから先にプレゼント開けておいてと伝えられていたんです。すいません、うっかりしていて言うの忘れてました」


 大事な壺を割ったのをペットのせいにしてる子供みたいな気持ちになりながらも、俺は口八丁に出まかせを口にしていく。ここで嘘がバレてしまったら、俺はなぜか女性の住所を知っている、ただの気持ち悪い男ではないか。そんな風に思われるのだけは嫌で、俺はただ必死に口を動かす。


「え? そうなの?」丹下さんは目を丸くして言う。「そっかあ、玲ちゃん、わたしのこと調べてくれたんだあ……」


 頬を赤めながら独り言をこぼす丹下さん。恋は盲目というべきか、春科玲のことになると疑うことを知らないみたいだ。無邪気な子供のように何でも信じてしまう丹下さんを、少し心配に思えてくる。

 でも、なにはともあれ助かった。丹下さんの素直さのおかげで乗り切れた。

 丹下さんは俺の情報に従ってタッチパネルを操作し、うきうきで宅配ボックスを空ける。そして、中からホールケーキ大の――というか、本当にホールケーキが入っているのだが――白い箱を取り出した。


「これは……」


 赤いリボンでラッピングされているそれを両手で持ち、丹下さんは呟く。

 この包装だと、ケーキだと予想できるだろう。そして、今日が自分の誕生日ということを鑑みれば、それがどんな意味を持っているものなのか、おそらく、それも察せられる。

 全てを悟った丹下さんは感動に打ち震え、感動に涙を浮かべ、感動の声を出した。 


「玲ちゃんが、私の誕生日を祝ってくれてる……!!」


 惜しい。祝ってるのは俺だ。だがまあ、俺が春科玲がそれを送ったと言ったのだから、誤解されてしまうのは致し方ない。


「開けていいって、春科さん言ってましたね」


 開けた瞬間、白状しよう。春科玲が来ないこと。そのケーキは俺が送ったもの。俺が、丹下さんを愛していることを――。

 丹下さんは白魚しらうおのようなその指でラッピングをほどき、ケーキ箱を開けていく。

 ここ周辺では1,2を争う有名店の一番人気のものを半年前から予約していたのだ。きっと喜ぶに違いない。

 俺の親愛の進物が徐々に露わになっていく。俺が隠していた恋心まで脱がされていくようで、恥ずかしさに似た興奮さえ覚えてくる。

 そして、ついにケーキが丹下さんの眼前に現れた。



「キャアアアアアアアッ!」



 空気を裂くような丹下さんの叫び声が、エントランスに響き渡り、それとほぼ同時に投げ捨てられたケーキ箱はエントランスの隅に着地した。

 想定したリアクションでとはまるで違う。何があったのかわからず、俺も困惑の最中さなかにいた。

 俺は投げ捨てられたケーキ箱まで駆け寄り、中を覗いた。

 思わず、目を見張った。

 箱の中は鼻をつまみたくなるほどの異臭を放った汚水で水浸しにされ、誰の物とも分からない髪の毛や幾匹もの虫の死骸がき散らされていた。


 そこに入っていた物は、とてもケーキとは呼べない代物。全てが台無しになっていた。

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