第15話

 ◇◆


 1か月後 会社オフィス


「なあ、最近丹下さん元気なくね?」


 隣の同僚が小声でそう耳打ちしてきた。

 俺は振り向き、ここから結構離れた斜め後方にあるデスクを見る。そこにはパソコンのディスプレイに向かって黙々と作業をしている丹下さんの後ろ姿が。


「なんつうか、空気? が沈んでる感じしね?」


 同僚の言う通り、いつも丹下さんが発していた自信に満ちた空気が、今は皆無だ。時折、上の空になっては肩を落とし溜め息をこぼす様子は哀愁さえ漂わせていた。

 ここ数週間、丹下さんはずっとあんな感だ。凛々しい丹下さんも最高だが、ああいう、しょんぼりしてる丹下さんも優美さ120%だ。


「俺、この前のレビュー、丹下さんにも見てもらったんだけど、あの人から指摘出なかったの初めてだよ」


 そのレビューの議事録は俺もさらっと目を通していた。丹下さん発信の指摘はなかったものの、他の人から大量の指摘を受け見事に撃沈していた。

 社内でも現状の丹下さんについて噂している人がちらほらいる。あの丹下さんが仕事でミスをしたとか、トイレですすり泣いている声を聞いたとか、インナーの裏表が逆だったとか、真偽は定かでないが様々な話が飛び交っているのだ。しかしその原因は誰もわかっていない。俺以外は。


 理由は明白。春科玲だ。

 1か月前、俺は春科玲に縁切りを告げた。その後、最初のうちは俺が〈タクレジェ〉にログインしたら招待が来ていたがが、当然無視をした。ディスコードもメッセージが何十件と来ていたが、それも無視した。そうしているうちに、音沙汰が完全にゼロになった。それが2週間ほど前のことだ。


 丹下さんからきつく問い詰められたのも2週間前のこと。つまり、春科玲からの音信がなくなったタイミングだ。

 電車で春科玲を見かけなくなった。何かしたのか。丹下さんは非常扉の前で以前と同様に俺の首根っこを掴んでそう追求してきた。あんなひどいことを言われたのにまだあの女に気があるのか。その事にも驚いたが、今思い出しても、あの詰め方はもはや尋問で、俺と丹下さんとの数少ない思い出の一つだ。


 それに対し、俺は知らないの一点張りで何とか乗り切ろうとした。だってどう考えても俺が春科玲に「もう会わない」と言ったのが原因だし、それを丹下さんに言ったら嫌われるを通りこして殺されるにまで発展しかねない。丹下さんを前科持ちにしないために、俺は勇気の虚言を吐いたのだ。だからこれは、善意による嘘だ。

 俺から有力な情報が出ないと悟った丹下さんは、以降、俺に春科玲について尋ねることはなくなった。仕事以外で丹下さんとの繋がりを断たれたようで、俺も腕をもがれたかのように苦しかった。


 だが、これでいい。これで丹下さんは春科玲を忘れ、俺は丹下さんを見守る健全な日々を取り戻すことができ、ゆくゆくは俺と丹下さんとの愛がはぐくまれる。俺の人生が正常なルートに戻った。ただそれだけのこと。


 そして、その希望で溢れたレールに乗るための大いなる一歩こそ、今日なのだ。

 何を隠そう、今日は待ちに待った丹下さんの誕生日だ。


 俺は、丹下さんに告白しようと思ってる。


 わかってる、突然すぎるということは。今日で全てを手に入れよう、などとは思ってない。それはあまりにも高望みだ。なんなら失敗するだろうと思っているくらいだ。


 今回の目的は、俺が丹下さんに好意があるということを向こうにもわかってもらうこと。意識されているという意識が、いずれ俺へのポジティブな感情に変貌するのだ。

 春科玲の消息が不明になってから期間が空き、そろそろ丹下さんの心のダメージも少しは回復してきているはず。そしてそこに丹下さんの誕生日。このチャンスを逃す手はない。凝ったものではないが、ちょっとしたサプライズも用意している。きっと俺への意識も変わるはずだ。


 丹下さんの後ろ姿をもう一度見やる。喜怒哀楽の哀だけで構成されているような負のオーラに、近くに座っている人間も気まずそうにしている。

 後ろから抱きしめてあげたい。そんな気持ちが湧き上がったのは、今日、愛を伝えることによるたかぶりからきているのだろうか。それは俺自身にもわからなかった。

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