第8話
◇◆
異変が起きたのは、その3戦目の終わり。連勝したし、気持ちよく終わろっかー。そう切り出したときだ。
『時村さんとはあの日以来、会ってないですよね』
あの日とは、春科玲が痴漢されているところを俺が知り合いを装って割って入ったときのことだろう。
「まあそうだね」
『時村さんって……わたしとゲームしてて、楽しいですか……?』
唐突にそんな質問だった。語調が少し沈んでいる。
「うん、楽しいよ」
できるだけ間を開けずに答えたつもりだ。こういうのは間を開けると邪推される可能性が高くなる。何でそんなことを聞いてくるんだ。なんでこのタイミングなんだ。どういう意図があるんだ。俺にどういった感情を向けているんだ。そういったことは後で考えればいい。
『……………………』
向こうからの返答はない。ここで言葉を催促するのは距離感を無理やり縮める行為な気がして、俺も何も言わない。
パソコンのファンの音だけが明瞭に聞こえてくる。この静寂すら、ヘッドセットの向こうにいる彼女に見られているような。何かを
『わたし』
ようやく聞こえてきた声は、吐息と共にこぼれたような声だった。実際は十数秒程度の無言だったのだが、俺には数十分にも感じられた。
『わたし、ゲームだけじゃ嫌なんです』
彼女の声色はこちらの胸を締め付けてくるような悲哀に満ちていた。
『時村さんに会いたいです』
通話越しとはいえ、一ヶ月もいっしょにいたらわかる。ゲームの中でも、彼女が俺や他の野良プレイヤーにこうしてほしいといった要求を出すことは一度もなかった。そんな、自分の主張を他人に伝えるのを恐れていた少女が、俺に何かを申し出たのだ。どれだけの勇気を振り絞ってのことか、推し量ろうとするのも失礼な気がした。
にしても、『会いたい』かあ……。直接、顔を合わせたいってことだよなあ。
「俺と春科さんって、ほら、歳が結構離れてるし、二人だけで直接会うっていうのは、あんまりよくないよね」
普通に考えたら駄目でしょ。二人っきりで、相手は女子高生でしょ? 16歳でしょ? こっちは28でしょ? 犯罪臭しかしない。
『わかってます。でも、本当に会いたいんです。』
本当に会いたくても嫌々会いたくても、駄目なものは駄目でしょうが。
意外と頑固な少女にどうやって断ればいいのか考える。
常識的に、お互いに不利益しかないことをやんわりと言わねばならない。大人として、俺が気をつかわないと。
「ほら、春科さんの知り合いとかに見られて、知らない大人の人と会ってたなんて学校で噂になったら大変でしょ?」
『わたし、知り合いいないから大丈夫です。変な噂が広がっても、どうせわたしの噂なんて三日もすればみんな忘れるだろうし』
「それは……何と言えばいいかわからないけど……」
『でも、確かに時村さんがわたしといるところを会社の人に見られたら、迷惑がかかっちゃいますね』
「そう、それ。自分の心配をして情けないけど、変に捻じ曲がった話でも広がったら、俺もちょっと困るからさ」
『外で会うのがよくないってことですよね』
「まあ……え? そういうことになるの、か……?」
『時村さんの住んでる場所って、わたしを助けてくれて降りた駅の次の駅ですよね?』
なんでそれを、と出かかったが、寸前で呑み込んだ。
言った気がする。俺がその場しのぎの会話で話していたとき、俺は二つ先の駅だけど、と。あの時はとにかく必死だったから、すっかり忘れていた。何ということを口走ってしまったんだ俺は。
「い、いや、あれは嘘だよ。あの痴漢してたおじさんに逆恨みとかされたら嫌だから、嘘の情報を紛れ込ませたんだ。あはは……」
『嘘ですよね』少女の声が冷たく聞こえた。『自分の名前も名乗っちゃうような人が、そこだけ上手に騙そうなんて頭が回るとは思えないです』
ごもっともである。でも、もうちょっと優しい言い方にしてほしかった。
『あと、時村さんって嘘つくとき笑い声がちょっとだけ混じった言い方するんですよ。さっきも、そんな言い方してました』
それは知らなかった。次からは気を付けないといけない。
いや、そんな先のことを憂いてる場合ではない。
『そういう人だから、わたしは――』
「わかった。会おうか」
彼女の言葉に被せるように言う。彼女の言おうとしたその先を、言わせてはいけないと思ったから。聞いてはいけないと思ったから。
『え、本当ですか!?』
「まあ、人に見られたら適当に誤魔化せばいいし。そもそも会社の人とばったり会うことなんてほぼほぼないはずだしね」
俺の住所がバレかけているんだ。この子の熱量なら、そのまま後でもつけられて住所を特定されかねない。こういってはあれだが、彼女にはそういった気質が所々垣間見えるときもあった。
家がばれる。それはさすがに避けねばならない。だから、ここは折れる以外選択肢がない。
『嬉しいです! いつにします!? あ、服買っておかないと!』
さきほどまでの泣き出す寸前の声と打って変わり、彼女の声は買ったばかりのスーパーボールのようにどこまでも高く弾んでいた。ていうか、失礼だけど、ファッションとか気にするんだな。
「今日はもう遅いから、いつ会うかはまた今度決めようか。俺も予定確認しておくよ」
『はい! わたしはいつでも空いてるので、全然時村さんの予定に合わせてもらって大丈夫です!』
こんなにもしゃきしゃきと、新卒社員のような元気さと機敏さを持ち合わせて喋る彼女は初めてだ。
そしてそれから数分も経たず、俺たちは軽く挨拶をして解散した。去り際まで彼女は溌溂とした態度を崩さず、一人でモニターに向かってぶんぶんと手を振っていてもおかしくないほどのテンションだった。
ヘッドセットを外し、俺は一人天井を仰ぐ。
結局、彼女に押された形で会う事になってしまった。
虚空を見つめていると、頭の中で様々な情景が思い出されていき、最後に目が合ったのは、丹下さんだった。
会社で変な噂が立ち、丹下さんに失望されたり避けられたりする想像をしてしまい、胸の奥の何かが底へ底へと落ちていくような感覚に襲われる。今になってどうしようもない不安が押し寄せてくる。
マジで知り合いに見つからないように気を付けよ。会社の人間とばったり会ったり見られたりしていたら、親戚の子の買い物に付き合っていたとか言って全力で誤魔化そう。
最近の女子高生はマセてるし、本当、一線だけは越えないようにしなければならない。ホテルはもちろん、変にムードがある店とかも絶対に駄目だ。食事に行くことになっても、「へいらっしゃい!」みたいな感じの店を選ぼう。自意識過剰なのかもしれないが、それくらいの自己防衛の意識が無いと青少年なんとか法とかで捕まりかねない。
女子高生を痴漢から助けたら思いのほか懐かれてしまったようなんだが……関係をこれ以上進める気は俺には毛頭ない。
今くらいの距離感がお互いにとって最良なのだから、そういった感情は絶対に持ち合わせたらいけない。絶対に。
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