第6話

◇◆


 その夜、俺は丹下先輩をストーキングした。丹下さんが参加しているプロジェクトが佳境に差し掛かっており、最近は帰るのが遅い。だから春科玲をストーキングする機会が減り、そのストレスのせいで、あんなにも俺に怒りをぶつけたのかもしれない。


 俺は丹下さんが退社するまで、いつも近くのネットカフェで時間を潰している。会社で使われているスケジュール管理ツールを小刻みに監視し、丹下さんの在籍ステータスが『退社』に切り替わった瞬間、即座にネットカフェから出て駅に向かう。そうすると、ちょうど丹下さんの後ろ姿をちょうどいい距離から捉えることができるのだ。

 あとは同じ電車に乗り、同じ駅で降り、彼女が自宅に着くまで歩くその後ろについていくだけ。もはやこれはストーキングではなく、同じ家を目指す家族のような関係なのではないかと、俺は常々思っている。俺と丹下さんは、家族なのだ。ただちょっと距離を置いて歩いているだけなのだ。


 時間帯もあって人気はなく、頼りない街灯に照らされる道のりを、俺たちは歩く。丹下さんが一歩進めば、その後ろにいる俺も一歩進む。まるで餅つき。夫婦の共同作業、と言うにはまだ結納ゆいのうを交わしてないからまだ早いか。いけない、顔がにやけてしまう。


 丹下さんは人をストーキングしている割には、こうやって後ろをついていかれていることにまるで気づいてない。会社では完璧無比な人にも欠点の一つや二つあると思うと、今まで以上に愛おしく思えてしまう。それが俺にしか知らない欠点なのだから、なおさら慈愛の心は肥大していく一方だ。


 こうやって後ろから見守っていると、思い浮かべるのは決まって丹下さんと初めて出会ったときのことだ。

 俺が新卒で配属された当時、作業をもらったがいいが右も左も分からず困り果てていた俺に手を差し伸べてくれた先輩社員――それが丹下さんだ。


 それから幾度も、丹下さんは俺の仕事の手助けをしてくれた。教え方も上手く、決して弱音を吐かず、優しく律してくれて、彼女が持つ絶大な安心感やこちらを引っ張り上げてくれる絶対的な自信に、俺はいつの間にか惹かれていた。

 丹下さんのおかげで仕事を一人前にこなせるようになったのだが、喋れる機会が減ってしまったのは寂しいことこの上ない。だから、レビューなどで丹下さんと顔を合わせたり言葉を交わせるとき、俺は限界まで集中して彼女の一挙手一投足を逃さないことを心掛けている。

 彼女が放つ言葉は、乾いた綿に水が染み込むかのように、俺の頭にすんなりと入り込む。彼女が髪の毛を耳にかけるときに放つ甘い香りは、俺の脳内を痺れさせる。彼女が吐き出す優しい吐息は俺の五臓六腑に染み渡り、どんな栄養より俺に活力を与えてくれる。彼女がこぼす笑みは俺に安らぎを与えてくれる。彼女が動かす四肢はどんなアスリートよりもしなやかで、どうにかなってしまいそうなほど俺の心をざわつかせる。彼女が髪をかき上げるときに見せる綺麗なうなじは、俺の独占欲を掻き立てる。彼女が彼女が彼女が彼女が彼女が彼女が彼女が彼女が彼女が彼女が彼女が彼女が彼女が彼女が彼女が彼女が――。


 脳内で溢れ出る、数多の丹下さん。俺の腹の奥が、次第に熱くなっていくのがわかる。

 ここまできたら、俺も重症だな、と無意識に笑みがこぼれてしまう。誰かのことをこんなにも想えるなんて、俺はなんて幸せなんだ、とも考えてしまう。丹下さんをストーキングした日の帰りは、こんな風にいつも素敵な一日で終われる。素敵な一日をプレゼントしてくれる丹下さんは、俺の心のり所。いや、それ以上の存在だ。言葉に表すことすらはばかられる、もっともっと高尚な存在なのだ。

 丹下さんが自宅のマンションのエントランスに入っていく。少しすると、5階の右から3番目の部屋に明りが点いた。俺の帰宅はここで一旦中断となる。


 今日も丹下さんと一緒に帰れて、心が充実感で満たされていくのが感じられた。俺は深く息を吸い、夜空に向かって吐き出す。こうすると、世界が俺の幸せでコーティングされていくような気がして、とても気持ちがいい。

 習慣になっていた所作も終え、きびすを返す。いつも寝起きしている、第二の自宅に俺は帰った。

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