第2話
◇◆
「はい、これ」
買ってきたアイスコーヒーが入った紙コップを女子高生に差し出し、女子高生は無言でそれを受け取る。
数分前、電車を降りて駅から出たのはいいものの、女子高生はショックからまだ立ち直れてないのか、何を聞いても俯いたまま答えてくれなかった。だけど俺が歩くと何も言わずに後ろをついてくる。
少し困ったが、このまま「じゃあ俺はこれで」と立ち去るのも無責任じゃないかと責める自分もいた。結果、今こうして彼女が落ち着くのを待ってるという状況だ。
「ガムシロップとミルクもあるけど、いる?」
イートインコーナーのカウンター席に座る女子高生は俯いたままフルフルと首を振った。
俺は隣に座り、自分の分のアイスコーヒーにミルクとガムシロップを入れる。
グビッと一口飲むと、乾いた口の中に甘味と苦味が広がっていくのがわかる。隣にいる女子高生を横目に見ると、同じようにカップに口をつけていた。
今更になって、どっと疲れが押し寄せてきた。何十年分も老化したみたいに、体の節々が凝り固まっていて、首や肩を軽くさすってしまう。
お互い特に何も言わず、空白の時間のなかに迷い込んだみたいだ。俺は再度コーヒーを飲む。
気まずい。背中に変な汗が滝のように流れ、カッターシャツまでベトベトしてきた。
電車の中のでもそうだったけど、年頃の女の子と何を話せばいいんだよ。10代に人気の流行りの音楽とか芸能人とか、俺には全くわからない。まともな会話をできる自信がない。というかこんなコンビニじゃなくておしゃれな喫茶店とかスタバとかに入ったほうが良かったんじゃないのか。俺って全然気をつかえてないのではないか。明日、女子高生が友達に「変なおっさんにコンビニに連れてかれた」と笑い話の種にされるんじゃないのか。
内心で一人頭を抱えていると、ふと女子高生の足元に目が行った。
「あ」
思わず、声が出た。
「それ、〈タクレジェ〉のキャラの……」
俺が指差したのは、彼女の足元に置いてある学生鞄だ。
正確には、鞄にくっついているキャラクターもののキーホルダー。
女子高生も俺につられて自分の学生鞄の方へ顔を向けている。
しばらく、無言の時間が流れた。いや、元々会話なんてなかったんだけど、今までのだらだらと無為に流れる静寂ではなく、張り詰めた空気が破裂する寸前の、謎の緊張感が空気の中に混ざり込んでいた。
「し」
そこでようやく女子高生の口が動き、不意に俺と目が合った。
電車の中では彼女の外見を観察する余裕はなかったし、その後は彼女が俯いたまま顔を合わせることもなかった。
だから、ここでようやく目の前にいる女子高生の全体像を捉えることができた。
人形のように色素の薄い肌。それに対照的なボブカットの黒髪。長い
そんな整った容姿の少女が、俺から目を離さず、俺も目を逸らせず、謎に緊張感のあるにらめっこをしているような構図になっていた。
「――し、知ってるんですか!?」
突然大声を上げて身を乗り出す女子高生。
さっきまでの、この世の不幸を一手に担ったような重い空気はどこかへ爆散し、別人のように口角を上げて目をキラキラ輝かせている。
「う、うん。〈タクレジェ〉、俺もやってるから……」
〈タクティカル・レジェンズ〉――通称〈タクレジェ〉とは、2年ほど前に正式リリースされたPvPオンラインFPSゲームで、ようするにネット上の顔も知らない人たちを銃で撃ち殺していくゲームだ。プレイヤーは5人のチームを組み、キャラクター固有の
が、競技性が高いということで中々に硬派な作りになっており、女性プレイヤーはあまり見かけない。実際、ランダムでマッチングして知らない人たちとチームを組んでプレイする――野良マッチと呼ばれている――際は
それほどまでに〈タクレジェ〉の女性プレイヤーは希少で、俺もこれまで片手で数えられるほどしか女性とマッチングしたことがない。数少ない女性プレイヤーがSNSで『#タクレジェ女子』というハッシュタグで呟き、腕に自信のある男どもが蜜につられた虫のようにそれに群がってしまうという構図があるほどだ。
だからこうして〈タクレジェ〉をプレイしている女性と直接顔を合わせるのは初めてで、しかもそれが可愛い女子高生というのだから驚きを通りこして感動さえ覚えてしまう。
そんな地球外生命体もとい女子高生は俺にずいっと体を寄せ、
「本当ですか!? ランクどれくらいですか!? メインキャラは!? ていうかディスコ交換しません!?」
なんかすごい勢いでまくし立ててきた。顔ちか。肌しっろ。目でっか。甘い匂いする。
俺が若干引き気味な反応をすると、彼女はハッとした表情をして、静かに着席した。
「……い、いきなりすいません」
耳まで真っ赤にさせ、女子高生はまた俯いてしまった。
「あ、いや……元気そうでよかったよ」
俺も俺で気の利いた言葉が出てこない。こんなことなら杉浦さんと昼ご飯を一緒に食べて雑談スキルの一つでも身に付けておけばよかった。
女子高生は膝にやった手できゅっと自身のスカートの裾を掴む。まるで体を雑巾のように絞られているかのように身を縮こまらせ、羞恥心に口をつぐんだまま黙っている。
気まずい沈黙がまた訪れた。
息を吐いたり天を仰ぎたい気分になったが、そんなちょっとした所作で彼女が傷ついてしまうんじゃないかと思うと何もできない。
俺が銅像のように一ミリも動けずに途方に暮れていると、女子高生の方から声が聞こえてきた。
「わたし、〈タクレジェ〉が本当に好きで」
彼女は下を向いたまま、独り言のように言葉を洩らしていく。
「でも、わたし、ドジで、学生証とかもすぐ落とすし……ひぐっ……人と話すのが苦手で……ぐすっ……もう高3なのに友達もいなくて……ゲーム内でVCするのも怖いから喋らずにプレイしていたら、味方の人に『喋れよ雑魚』って、たくさん怒られますし……」
自分の中で抑えつけていた感情をボタボタと落とすように、肩を小刻みに震わせ、涙ぐみながら途切れ途切れの声で。
「勇気を出して、VCをしたら、変な人に絡まれて、SNSのアカウント特定されて……うぇ……DMにも粘着されて」
途中から鼻をすすったり嗚咽を混じらせ、涙が手の甲にポタポタと滴っていたが、彼女は気にせずに感情を吐露していく。
「それで今日は電車で、さ、触られて……怖くて何も言えなくて……我慢することしかできなくて……うぇっ……もう死んじゃいたいって思って」
不意に、少女は顔を上げた。
目元は赤らみ、涙で顔をくしゃくしゃにさせ、今にも泡のように消え失せてしまいそうな、そんな不安定な儚い表情で、俺を一点に見つめている。
「そんなときに助けてくれたのが……時村さんなんです」
店内ラジオから人気アイドルが楽しそうに話している声が、どこか遠くに感じる。
俺とこの子だけの世界で、俺は身動き取れず、目を逸らすこともできなかった。
「べ」かろうじて動く口で、なぜか弁明めいたことを口走ってしまう。「別にそんな大したことはしてない。俺が
「それでも――」
俺の言葉を遮って、彼女は続ける。
「助けてくれた人が時村さんでよかったって、心から思うんです」
暖かみのある、全てを許すような、優しい微笑を俺に向けながら。
「それはどういう――あれ?」
言葉の真意汲み取れずにいた俺だったが、途中で浮かんだ疑問に首を傾げた。
「そういえば、どうして俺の名前を……?」
俺の言葉に女子高生は一瞬呆けた表情をしたが、すぐに噴き出して笑い出してしまった。
「電車でわたしに話しかけたときに名乗ったじゃないですか。時村っていうんだけど、って」
そうだったか。必死だったから何を言ってたのかすら覚えてない。
女子高生はひとしきり笑った後、涙を指で拭いながら嬉しそうに言った。
「時村さんって面白い人ですね」
「……そんなこと初めて言われたよ」
「じゃあ、わたしが人類初ですね。時村さんの面白さに気づいたの」
「そんな名誉でも何でもない人類初は初耳だ」
「時村さん」
「え、はい」
突然女子高生は背筋をピンと伸ばし、居直って俺の名前を呼んだものだから、俺も驚いて敬語で反応してしまう。
「わたし、
「……え? ……あ、うん」
自己紹介されたことに遅れて気づき、空気の抜けた風船のように気の抜けた返事しかできなかった。
「時村さん」
再度の呼びかけ。
春科玲は座ったままずいっと体ごと俺に乗り出してきた。距離間以上に謎の気迫があり、俺も思わず体を強張らせてしまう。
どちらも何も言わない時間が数秒だけ流れ、春科玲は意を決したように口を開いた。
「わたしのゲーム友達になってくれませんか?」
「……え?」
理解が追いつかない。友達? 女子高生と? それって犯罪にならない? 友達までならセーフなの?
「わたし、こんな暗い性格だから友達もいなくて、作れなくて……だから一緒にゲームをしてくれる友達って、すごく憧れていたんです」
「あ……そう」
俺の低レベルなコミュ力が無味乾燥な返事をする。
だが、それをまるで意に返さず、春科玲はおもむろに俺の手をとり、両手で包み込んだ。
「な、なにを……」
いきなりのことに俺の口から上擦った声が出てしまう。右手から伝う彼女の体温やこそばゆさが電気のような不思議なビリビリに変化し、俺の右腕を駆けて頭のてっぺんまで届いていく。女性に手を握られるなんて初めてのことで、気が動転してしまいそうになる。
少女の握る力が、徐々に強まっていく。
「わたし、今すごく嬉しいんです」
一言一言を噛みしめるように、言葉を紡いでいく。
「わたしを助けてくれた人が同じゲームをやっていて、一緒にゲームをしてくれる」
頬を朱に染め、高鳴る高揚をなんとか抑えつけながら。
「これって、運命ですよね」
少女はもじもじと、上目遣いで俺を見上げた。そうなのかなあ、と俺は思った。
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