女子高生を痴漢から助けたら思いのほか懐かれしまったようなんだが
りらっくす
第1話
とある秋の週末。まだネクタイも緩めてない帰路の途中。目の前で女子高生が痴漢されていた。
自分のスペースを確保するのにも苦労する満員電車内のドアの近く。紺のセーラー服を着た少女はドアに追いやられるような形で立っており、そのすぐ背後にスーツを着たおじさんが体を密着させていた。
スーツのおじさんは白髪混じりに眼鏡をかけていて、真面目で厳格な顔つきからは、きっと会社ではそこそこの役職に就いているのだろうと連想させた。
そして、よくよく見ると、おじさんの手は少女の尻をスカートの上から撫でまわしていた。
周囲の人たちは事態に気づいてない。今日は帰って朝までゲームできるぞとウキウキだったが、このすし詰めの満員電車に気を滅入らせて視線を落としたところで、
気づいてしまったら被写体のピントが合ったかのようにそれが明瞭に見えてしまう。白髪混じりのスーツのおじさんは荒い鼻息誤魔化すようなわざとらしい無表情で女子高生の尻を揉みしだき、女子高生は耐えるように
これは一体どうしたものか。
見てしまったからには止めないといけない。それはわかっている。だけど、俺は声をかけれずにその場で途方に暮れていた。
完全な現行犯。犯罪行為の一部始終を目の当たりにしているのだが、「もしかしたらそういうプレイの一環なのかも」という考えが俺を踏み止まらせていたのだ。
女子高生の尋常じゃなく怯えた様子はどう見ても演技には見えない。だがしかし、止めたら「何をやってるんだ」と怒られて、俺が恥をかくのではないか。結局のところ自己保身なのだが、そんな想像が膨らみ、「助けないと」と「いやちょっと待て」という二つの思考が俺の中で何度も反復横跳びする。
悩みに悩んだ末、俺は決心を固めた。片手に持つ鞄を握る力がぐっと強まり、手のひらが汗でじっとりと
小声で「すいませんすいません」と呟きながら人の波を押しのけ、扉の近くまで行く。他の人と肩や腕が当たって露骨に迷惑そうな顔をされるが、お構いなしに進んでいく。
そして、痴漢現場までたどり着くと、
「ねえ、君って確か杉浦さんの娘さんだよね?」
女子高生に、そう声をかけた。
女子高生はこの世のあらゆる苦痛を凝縮したような顔で俺のほうを見た。同じタイミングで、スーツのおじさんはわかりやすいほどビクッと肩を震わせ、さっと手を引いた。
「俺、
女子高生から返答はないが、構わず俺は口を動かす。
「この前、昼にご飯奢ってもらったときに家族写真見せてもらって、そこに君が映ってたから、もしかしてと思って声かけちゃったよ。いつも娘さんのことを自慢するから、正直うんざりしてたけど、実際見て驚いたよ。写真より全然美人なんだもん。杉浦さんが自慢するのもうなずけるよ」
俺はわざとらしくうんうんと頷く。
もちろん嘘だ。この子と杉浦さんは身内関係でも何でもない。俺がその場しのぎの作り話を口にしているだけだ。杉浦さんは俺も担当しているプロジェクトのリーダーで確かに存在しているが、プライベートのことを話したことはない。娘がいるのか、そもそも結婚しているのかすら知らないし、当然一緒に昼飯を食べたこともない。俺はいつも一人で会社近くのスーパーで買った弁当を自席で黙々と食べているのだ。
「そういえば、杉浦さんの家って次に止まる駅が最寄り駅なんだっけ。俺は二つ先の駅のほうだけど、送ってこうか? 最近、何かと物騒だし」
ドクンドクンと、俺の心臓が脈打つ。
平静を装っているが、俺も俺で緊張やら焦りで一杯一杯なのだ。口の中も乾いてきている。
女子高生と話す機会なんて、それこそ俺が高校生のとき以来だ。しかもこんな誰が聞いてるかもわからない満員電車で。痴漢のことを知らない人が見たら、これはこれで不審者みたいな言動ではないか。見ず知らずの女子高生を家まで送るなんて言い出したら、駅員さんを呼ばれても仕方がない。
「あ、いや、無理にってことはないからね。別に必要ないなら全然断ってくれてもいいんだし。あれ? これってもしかしてセクハラになったりするのかな? はは……」
だから、俺もつい弱腰になってしまう。だって捕まりたくないもん。俺にだって人生があるんだもん。俺は断じて不審者などではない。
女子高生は大きな目でぼうっと俺を見ている。身長差があるから見上げられている形なのだが、何を考えているのか全くわからない。
歳が10以上違うんだから、文化の違いで痴漢にも寛容な世代になっているのかもしれない。もしかしたら、痴漢に遭うことが一種の勲章のようなもので、明日友達にマウントをとるためにわざと痴漢に遭ってたのかもしれない。あたし、昨日痴漢に遭ってまじチョベリグ、的な。そんなエロ同人誌のような世界観が、今の学生たちのスタンダードになっているのかもしれない。だとしたら、やはり俺はとんだお邪魔虫なのでは? そんな想像が巡り、俺の背中に冷たい汗がダバダバ流れる。
女子高生は何も言わない。満員電車の中で、自分たちだけにスポットライトが当たって周囲から白い目で注目されているような感覚に陥り、とてつもなく息苦しい。
もはやもう断ってくれとさえ思いはじめたところで、女子高生の口が、
「はい……お願いします」
耳を傾けないと聞こえないくらいのか細い声で、女子高生は言った。
ちょうど電車内の放送で、もうすぐ次の駅に着くとのアナウンスが流れた。
気づけば、スーツのおじさんはそそくさとその場から離れていた。
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