第5.5話


 この『妖精布』は、妖精糸という糸を織った布で、魔力との親和性が高く衣類の刻印に適する素材として作られたものらしい。


 マントの裏地などに使い刺繍などで刻印を刻むことで魔法の媒体とするらしかった。生地全体を使い刻印が組まれているので、破いたり、切ったりしたら効果がなくなってしまうとのこと。

 取扱いに心配になったが、それなりに頑丈に作られているので、簡単に切ったり、汚したりはできないと教えてくれた。



 トムじいさんは手早くフードを付け、丈を調整し私専用のローブに仕立ててくれた。


「そのフードを深く被り顔を見せないようにすれば少しは安心だろう。魔力も漏れにくいから魔力が原因で見るかってしまうこともないはずだ」


 この体にはすこし大きいローブで足元まで覆い、フードを被ることで顔を隠す。


 自身の足元しか目線は通らないが、深く被った時に正面が透けて見えるように生地が加工してあり、前が見えずにぶつかるという事態は防げそうだった。



 そうして、ローブの着心地を堪能して待っていると、お母さんも着替えてきた。


 トムじいさんは驚いたことに、「リタちゃんのローブだけでは不平等だね」と言い、お母さんの洋服まで用意してくれたのだ。


 お母さんに魔力はないので、普通の布だと言っていたが、それでも品のあることに変わりはなかった。



 お母さんの綺麗な茶髪に合わせた、落ち着いた青い上着に、長く細い足を隠すような濃い目のロングスカートを合わせていて、よく似合っていた。

 村で来ていた服よりも装飾や柄が多い。

 金物の髪飾りを付けたお母さんは、もう村人にはとても見えなかった。


「お母さん…きれい!」


 思わず声が出た。

 この組み合わせを選ぶのに時間をかけたトムじいさんも満足げにお母さんを見つめる。


「よく似合っているようだね。ところで、さっきまで着ていた服は、こちらで処分することも出来るが、どうしようか」

「はいっお願いします。こんな素敵な物までいただいてしまって。ありがとうございます」


 お母さんも浮かれているのだろう、即答した。

 もともと来ていた服は血に汚れていたので、古着やなどに着いたら処分する予定だったので問題ないが、トムじいさんに迷惑をかけているようでも仕訳けなかった。


 しかしそのような様子を一切感じさせることもないトムじいさんの雰囲気は気品すら感じられた。


「うむ、ではこれから、この店から出て町の右側にある町役場へ向かうといい。そこでルッカ村の現状と、騎士ヘムロックに連絡が取れるか確認してみるのがいいだろう。騎士様からリタちゃんが困った事に巻き込まれていると伝えれば、領主様が力になってくれるだろうからね」


 トムじいさんからは、領主様への信頼を感じた。

 もしかして知り合いなのかな?

 そもそもトムじいさんは何者だろう。


「そうですよね。わかりました、では町役場に行ってきます。明日の朝またお店に伺いますので、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 お母さんに続いて、私もトムじいにお礼を言う。

 これ程親切にしてくれる人がいるとは町へ来るまでは思ってもみなかった。


 今回の出会いで一番うれしかったのは、このローブ。

 このローブは今まで触ったことのある布の中で一番の手触りをしていた。

 もし存在を知ってしまったなら、喉から手が出るほどに欲しがっただろう。


 もう一度トムじいさんにお礼を言って店を出る。彼は店を出てしばらくするまで見送ってくれた、







 店からさらに町の右側へ向かい町役場を目指す。

 同じ通り沿いではなかったが、目的の町役場は探さずとも目に入る大きな建物だった。


 広い敷地に大きな4階建て、1階には馬車で乗り付けられるスペースも確保してあり、現在も忙しそうに人が動き回っている。


「お母さん、この町ってそんなに大きくないって聞いていたけど、大きいよね?」

「……えぇ、私もここが一番近い町で、大きい町や都市はもっと大きいって聞いたことがあるわ…」

「えっと、この建物に入るんだよね?」

「…そうだと思うけど、もしあの血の付いた服で入ろうとしたら、騒ぎになっていたかもしれないね……」


 勇気を振り絞り町役場に入る。

 入口から一歩入るだけで掃除が行き届いている綺麗な空間だった。

 寄って来た案内人に事情を説明し、窓口へ案内してもらう。



 担当の役人さんにルッカ村の現状を伝え、ヘムロックさんに連絡を取ってもらえるようにお願いした。

 役人さんは、話を聞くうちに表情が険しくなったが、丁寧に対応してくれた。

 しかし、村からの避難民が騎士団の騎士様に個人的な連絡をしたいとお願いをするので、疑問を覚えたようだった。


 そこで、私が魔力持ちであり、騎士ヘムロックが彼女の担当だと説明すると納得し、すぐに手紙を出すと対応してくれた。

 フードを深く被っていたが、この衣装と雰囲気で説得力が出たのだろう。


(あははっ、馬子にも衣裳ね)

(イトラうるさい)


 頭の中と外で別の会話をするというのはまだ慣れない。

 イトラと会話をしているとお母さんと会話がうまく出来ない。その都度お母さんが心配してくれるので少し心苦しかった。


 これはイトラが悪いよね?


(もう聞かれても答えてあげないようにしようかしら?)


 あれ?


(なんで聞こえているのっ!? 心の中で言葉にしないと伝わらないんじゃなかったの!?)


(そうよ? ただ、あなたって考えが表情に出やすいと思うわ、簡単に予想つくもの)


(えぇ? じゃあ考えてることとか、思ったことは伝わってないんだよね?)


(そうよ、予想しただけ)



 良かった………さすがにそれはプライバシーが無さすぎる。

 やぁーい、イトラのばか。


(……その単純な思考、やめたら?)


(………はい)



 さすがにこれはバレてると思ったけど止めることは出来なかった。



===




「リタ、やっぱり具合わるい? 今日はもう宿で休もうか」

「えっ、大丈夫」


 お母さんが少し屈んで、私に顔の高さを合わせていた。また心配させてしまったようだ。



 そして私は聞いていなかったが、ここから騎士団の駐屯する領都トゥルダールまで馬で2日、馬車で5日くらいだという。

 大体10日以内に連絡が届くだろう、という会話があったらしい。

 その後、お母さんは町の滞在許可証を銀貨1枚で購入した。



 町役場での最低限の用事が済んだため、今日から泊まる宿を探すことにした。

 役人さんが丁寧な人だったので、試しに安くて、なるべく安全な宿を紹介してもらった。


 決して贅沢はできないが、安い宿ではトラブルが起こるのは目に見えている。

 村で貯金した金銭や追手からの臨時収入があるため、少し奮発した宿を探してもらう。



 そこでおすすめされた宿が『森林の憩い場』という宿だった。

 ここの宿主が冒険者で厳つく、この宿なら問題ないとのお墨付きだった。

 奥さんと娘の3人で経営しており、食事もおいしいと有名とのこと。


 正直、お腹がすいている。

 料理の評判がいいと聞いてかなり興味が出た。

 元冒険者と聞いて嫌厭したが、町役場の役員からかなり評判がいい人物のようだった。

 そして他に勧められる宿はどこも敷居が高く、選択肢にならなかったので、この森林の憩い場へ向かうことにした。






 正面の大通りを右に曲がった通り、トムじいさんの店の並びにある宿『森林の憩いの場』はあった。


 3階建ての建物で、1階は受付と食堂。店の奥の階段から2階に上がれる作りになっており。食堂には既に人が多く集まっていた。

 私はもちろん、お母さんも宿屋に泊まるのは初めてで、その活気に息を飲み。そして、意を決してお店に入った。



「いらっしゃい! 泊まりですか? 食事ですか?」


 さっそく元気な声で問いかける若い女性。

 お母さんと同い年くらいだろうか。活発で愛嬌が良く、細いながらよく鍛えられている二の腕。

 たくさんの食器を運びながら接客もこなしていた。



 覚悟を決めたお母さんは、騒がしい店内でも相手に聞こえるように声を張って答える。


「泊まりです! あと食事もお願いします、この子と合わせて2人分で!」

「大人1人と子供1人で…食事だけなら小銀貨2枚。宿泊するなら小銀貨8枚。よければ席に座っていって」


 お姉さんは、食器を下げながら厨房に注文を伝え、忙しそうにお店を回していく。空いている席にお母さんと座り、店内を観察した。


 木製のテーブルが並ぶ店内には、町の住人からこの町の冒険者や傭兵のような厳つい人まで客層は広いように感じる。


 少し騒がしいが、下品ではない雰囲気。個人的にかなり気に入った。

 喧騒にまみれ、自慢話を聞きながら待つ。


 こういった食事処は、本では定番の場所で、秘密の情報が取引されていたり、密会したりに使われていた。

 自分がまるで物語の世界に紛れ込んだような不思議な気分になった。



 食堂で聞こえる声の中で、低い男性的な声が特に心地いい。

 しかし、どうして心地いいのか考えてしまった。そしてそれはお父さんの声に似ていると無意識的に感じていたからだった。


 

 ……そうだ思い出した。

 あまりに目まぐるしく変わる環境について行けていないだけで、まだ今日の出来事だったのだ。

 お父さんが死んだのも、イトラと話したのも。…人を殺したのも、今ここに居るのも。



 ふと、お母さんを見る。

 お母さんも今日の出来事を思い返しているのだろう、表情が重い。


 ……違う、今日の事だけじゃない。

 お父さんのいない世界で、知らない町を2人で生きていくということを実感しているのだと理解した。




 このテーブルは、今日の疲れと、これからの不安に、周りの空間から切り離されたかのように静かに重い雰囲気に埋め尽くされていた。




 ———その時



「おまちどおさまです! 本日の夕食は、日替わりのパスタとスープ、小麦のパンです。あと、パンのお替りは有料ですが大丈夫ですよー」



 テーブルと大して変わらない高さから可愛らしい声が聞こえ、夕食が並べられる。

 視線を向けると、見えるのは濃い目の茶髪に、犬科の耳が付いた頭部。

 テーブルから顔が出るくらいの小さな子供? いや、屈んでいるだけで自分と身長は変わらないくらいの女の子がいた。



 少女の金色の瞳と目が合った。

 それは私より少し身長の低い『獣人』の女の子だった。



「あれ? 悲しい顔してる? お姉ちゃんとっても綺麗な顔しているのに……。おいしい料理をたくさん食べて、少しでも元気になってほしいのです!」


 少女が屈んで下から覗きこむ事によってフードに隠した顔が見えてしまったのだろう。

 本来下から覗きこまれる事は想定していない。

 少し落ち着かない感覚を味わいながら少女を見つめた。


 しかし、少女の屈託のない笑顔を見て少し心が楽になった気がした。

 話すたびにピクリと動く耳に視線が誘導される。

 少女も視線に気づき、触っていいと示すように、頭を少しずつ近づけてくれた。



 ———ゆっくりと手を伸ばした。

 あと少しで触れるというところで、厨房から大きな声が聞こえた。


「フィル! 早く次の料理運びなさ~い!」


 フィルと呼ばれた少女は、ビクッと体を揺らし、少し名残惜しそうに戻っていく。帰り際に目線が合い「またあとでね」と言われた気がした。




 それが少女、フィリーネとの出会いであった。




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