第6話








 テーブルに並べられる料理を眺めながら、配膳する少女を観察する。


 人族と限りなく近しく、しかし異なる種族。

 犬の様な耳がピクピクと生物的な動きをして、給仕服のスカートが不自然に揺れる。

 人のようでありながら、獣の特徴を持って生まれる『獣人』と呼ばれる種族。


 いつか本で読んだ知識を思い出した。

 初めて見つけた獣人は、宿で看板娘をしていた。



「フィリーネちゃん、こっちもワインのお替りもってきてー!」

「は~い、わかりました~!」


 その少女が店内を周ることによって、宿全体の雰囲気が明るくなっているみたいだった。


「ほら、リタ。とってもおいしそうよ、冷めないうちにいただきましょう」


 お母さんの声に反応して視線を戻す。お母さんも少しだけ元気が出たように見えた。



 お母さんは大皿の料理を2つに分け、盛り分けてくれた。

 メニューは、トマトパスタに、ブイヨンとジャガイモ、燻製肉のスープ、パン。


 トマトのうま味と玉ねぎが煮溶けるまで煮詰めたトマトソースと、程よく茹でたパスタ。

 鶏ガラと香草、香味野菜を長時間煮込み、鳥や豚の血、卵白を加え、丁寧に漉したブイヨン。その味が凝縮したベースにジャガイモと燻製肉だけを加え、ブイヨンその物の味を活かしたスープ。





 お腹がすいていたのもあり、料理はすぐに食べ終わった。

 それからお母さんと料理の感想を言い合って。食堂の様子が落ち着いた頃、女将さんがやってきた。


「うちの料理はおいしかったかい?」


 にこやかな表情でいう彼女は、店の料理に自信があふれていた。


「はい、とってもおいしいです。この子に、今までこんなにおいしい料理を食べさせてあげられなかったから…」

「うん、お母さんと作る料理もおいしかったけど、このお店の料理は特別だった」


 可能なら毎日でも食べたいと思うほどの料理だった。


「それはありがとう、泊りのお客さんでよかったんだよね」

「はい、村から出てきたので生活が安定するまで長期で宿泊しようと思いまして…」

「へぇ、村から出てきたのかい? うちは決して安い宿じゃないが、大丈夫かい?」



 確かにこの宿の品質は高く、値段もそれに見合ったものだった。

 村からでき来た親子2人が気軽に宿泊する場ではない。

 女将はこちらの気分を害さないよう、遠回しに事情を聴いてきた。


「はい、町役場で安全な宿を聞いたら、このお店を紹介してもらって…」

「安全…ね、何か訳ありなら相談に乗るよ?」

「ありがとうございます。実は、その……この子、リタについてなんですけど。魔力持ちなんです。それも魔力量がかなり多いらしくて…」


 お母さんは言い淀み悩んだ後、本当のことを打ち明けると決めた。

 そして、私の深く被ったフードを女将さんにだけ見えるように上げた。


 私はその時初めて女将さんの顔をしっかりと見た。


 茶色の髪を背中まで伸ばし、柄布で髪を1つにまとめた清潔感のある風貌。

 おそらく出身は異国なのだろう。

 すっきりとした鼻筋に強気な目つきがよく似合う女将が、私の顔をみて間の抜けた顔をしていた。


「……驚いたねぇ、絹のような髪質の銀髪、透き通る青い目。まだ幼いがこの容姿、おまけに魔力持ち。お母さんを見た時から綺麗な家族だとは感じてはいたけど、これは……物騒なことになりかねないね」


 女将さんは価値を見定めるように見て、そう言った。

 実際に物騒なことに巻き込まれているから笑えない。


「はい…。それで村に居られなくなってしまって、この町まで逃げてきたんです。今は少しでも平穏に暮らしたくて…」

「わかった、そういう事なら任せておくれ。旦那に話を通してなるべく安くするし、助けられることなら手を貸すから」

「あ……ありがとうございます!」


 女将さんも綺麗な人だったから、きっと共感できる点があったのだろう。

 もちろん、彼女からは被害が出る前に手が飛んできそうな雰囲気はあったけれど。





 女将さんは早速厨房に相談しに行き。そして女将さんと入れ替わるように獣人の少女・フィルが歩いてきた。


「ねぇ、おねえちゃん。難しい話終わった~?」


 少女は一直線に歩いてきて、止まること無く近づいてきて。椅子に座る私に、凭れ掛かるように体を擦り付ける。

 まるで飼い犬が匂いを擦り付けるように。


「お料理、おいしかったでしょ~? あのスープのジャガイモ、フィルが切ったんだよ~」

「そ……そうなんだ」


 唐突で理不尽な距離感に翻弄され、混乱する。

 そんな犬獣人の少女の挙動を、お母さんは微笑ましいものを見るように見守った。


 「そうなの、だから褒めて~?」

 「う、うん」


 少女は頭を撫でてほしそうに、ずいっと頭を寄せてきた。 


 私はその頭についている犬耳がとても気になった。

 どのように生えていて、どんな感触なのか。


 だから、撫でるのではなく、無防備な少女の耳を両手で包み込むように揉んでみた。


「っ……! やっぱりおねえちゃん耳が好きなんだね。でも、耳は特別なんだよ?」


 一瞬、その体が跳ねたが嫌がるような素振りを見せることなく、許しが出た。


 少女の耳は、犬と同じ形をして、柔らかいけど確かな硬さのある体毛に覆われていた。

 ついでに頭を撫でるとお尻のあたりの布が動くので、尻尾が動いているのが分かる。

 私の手の動きに合わせて反応する少女の体に、興味が湧く。


(手は人族と一緒かな? じゃあ足は? 尻尾はどうやって生えているんだろう。あっ、部位ごとに毛質に違う性質があるんだ……)


 興味は尽きなかったが、まさかここですべてを確認するわけにもいかず、その頭を撫でるだけにとどめた。

 少女は、すっかり上機嫌な様子で、スカートが左右に揺れていた。




 しばらくすると、女将さんが帰ってきた。


「こらー、フィル。ちゃんとお客様にご挨拶した?」

「あー! 忘れてた、えっとね、フィルはフィルって言います! 8歳です! よろしくね、おねえちゃん!」

「違うでしょ? あなたはフィリーネって名前なのよ、覚えてる?」

「はい! 私は~フィリーネでーす!」


 女将さんは、口調は厳しくも、優しい声音で少女・フィルに話しかける。

 この可愛さを前に真剣に怒ることは難しいと共感する。

 少なくとも私には難しい事は分かってしまった。



「あぁ、ごめんなさい。それで宿代の事なんだけど、事情を鑑みてシングルベッドの部屋で、一泊小銀貨4枚と大銅貨5枚でどう? 朝食はサービスするよ。これ以上は他のお客さんとの兼ね合いもあるし正直ギリギリ」


 女将さんはこちらの反応に気を使いながら続けた。


「この金額でも厳しいと思うけど。もっと下げるとなると、夕方から料理の手伝いをしてもらうとか……それなら小銀貨4枚、いや小銀貨3枚と大銅貨5枚。あと厨房を手伝ってくれるなら賄いも出せるかもしれないね」


「ありがとうございます、表に書いてある値段より大分負けていただいて……。夕方から調理のお手伝いも魅力的ですが、私が夕方宿にいない可能性もあるので、銀貨4枚と大銅貨5枚でお願いします。先に今日の宿泊代分払いますね。あとは泊まる日数が決まってからまとめてお支払いします」


 そういうとお母さんは麻袋から小銀貨5枚取り出して支払った。

 これで家から持ってきた金銭はほとんど残っていないはずだ。

 あと手元にあるのは、あの臨時収入だけだった。


 これからのことを考えると、少しでも節約をしたかった。


 夕方なら空いているだろうし、料理もお母さんより得意。

 それに厨房なら人目に付くこともないはずだ。


 ……別に賄いに惹かれているわけじゃない。

 



「すみません、女将さん。夕方からの厨房の手伝い、私じゃあダメですか?」


 突然会話に参加した私に少し驚きながらも考えてくれた。


「リタちゃんは料理できるのかい? さすがに経験がないならお願いできないけれど」

「私、お母さんと同じくらい料理得意です。それに、盛り付けや配膳も頑張ります」

「うーーん、お母さんがそれでいいならうちは大丈夫なんだけど…」


 女将さんにつられてお母さんを見る。

 お母さんは私を見つめていた。


「リタ。お金のことはお母さんが何とかするから、なにもリタが働く必要なんてないのよ?」

「ううん、違うの。私が、やってみたいの」

「……わかったわ。リタ、がんばりなさい」



 決意を新たにすると、女将さんが手を伸ばしてきた。


「じゃあこれからは、同じ店の店員同士だ。女将さんじゃなくて、『ミレーヌ』って呼んでくれ。これからよろしく、リタちゃん」


 これはきっと握手だろう。

 本で読んだ知識からそう判断しミレーヌの手を握り挨拶する。皮膚が硬くしっかりと鍛えられた手だった。



「こちらこそ、よろしくお願いします。ミレーヌさん」

「あとで厨房にいる旦那も紹介するけど、怖がらないようにだけお願い。顔は怖いけど、心は優しい旦那なんだ」

「頑張ります…」


 フィルのお母さんがミレーヌさんなら、お父さんが犬獣人って事だろう。

 それにここは冒険者の宿。

 怖がらないように今から覚悟をしておくべきだろうか……。




 旦那さんを紹介してもらうまでこのまま席で待つことになった。

 もうすぐラストオーダーの時間、それが過ぎたら厨房も落ち着くのだろう。

 それまでの間、お母さんと2人でいろいろな事を話した。





===




 食事客が帰り始め、厨房が止まったタイミングでミレーヌさんに呼ばれ、そのまま厨房に案内してもらった。



 初めて入る厨房は、大きな寸胴鍋や鉄鍋、茹で釜などありとあらゆる調理器具の揃った場所だった。

 道具は雑多においてある様に見えるが、規則的な配置で。何よりどこも掃除が行き届いている。


 そしてその中心で仕込みと後片付けをテキパキとこなす大男がいた。



「あんた、この子がさっき話した子だよ。料理が得意みたいだから、お母さんの代わりに明日からこの厨房の手伝いしてくれるそうだよ。怖がらせるんじゃないよ」


 そうミレーヌさんが声をかけると、大男が振り向いた。


 大きい…身長は見上げるほど高く、ドア枠に頭がぶつかりそうなくらい。

 私の頭がお腹あたりの高さだから、その身長差は歴然だった。


 体毛は黒く、こちらを見下ろす瞳は金色。

 そしてフィルに似た犬耳が生えているが、こちらの方が鋭い形をしているように思える。少なくとも気軽に触って良い雰囲気じゃない。


 そして、なによりその体は人族というより、人族の形をしたオオカミのようだった。


 フィルと比べて全身が毛深く、顔もオオカミ頭。

 全身が深く毛皮に覆われずっしりとしている。


 獣人の個体差というのはこれ程あるのか、とまじまじと観察しまった。



 …だから急に話しかけられても、驚いたりしていない。してないよ。

 ……イトラ、気付かなくていいんだよ。



「嬢ちゃんが明日から手伝ってくれるっていう嬢ちゃんか、よろしく頼むぜ。俺はダルフっていうんだ。他国で冒険者をやっていたが、ミレーヌと一緒になってからこの町で宿のオーナー兼料理人をやっている。これからよろしく頼むぜ」



 声が重たく響く、眉間に皺が寄り、厳しい目つきで私を見ている。

 こちらに歩きながら自己紹介する大男・ダルフさんは握手を求めるように手を伸ばしてきた。


 指が太く、その手のひらは簡単に私の頭を掴めるほど大きい。

 このまま頭を掴まれると思ってしまうほどの気迫。

 しかし、その大きな掌は顔の近くで止まり、やはり握手を求めていた。



 握手ってやっぱりこの地域の文化じゃないよね? 冒険者だから? それとも他国の文化なのかな……。

 


 ここにきてまだ自分がフードを深く被ったままだったと気が付き、慌ててフードを外す。

 仕舞われていた銀髪が広がり、素顔があらわになる。

 自分の失敗を誤魔化す様に笑顔で、そしてしっかりと目を見て握手する。


「はい! 明日からよろしくお願いします!」

「……あぁ、よろしく頼むぜ、嬢ちゃん」


 何か聞きたそうにしていた様に感じたが、なんでもなかったみたいだ。

 こうして初めての就職先が決まった。





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