第7話




 厨房での顔合わせを終えると、ミレーヌさんが宿の中を案内してくれた。


 泊まる部屋は2階で、1階への階段の近く。

 1階はミレーヌさんたち家族の住居スペースがあるらしく、夜中でも何かあれば声をかけて欲しいって言ってくれた。


 2階には共有の台所があり、自由に使っていいけど、火の扱いには注意するようにとのこと。現在、この宿に長期宿泊する人は現在いないらしく、ほぼ独占して使えるらしい。

 室内は、シングルベットが1つに収納やテーブル、洋服掛けなど、必要なものは最低限揃えてある部屋だった。



 一通りの案内と説明を受け終わり、ミレーヌさんは返っていった。

 疲れて眠くなった体に鞭を打ち部屋へ入り、ずっと羽織っていたローブを壁にかけて、服を脱ぐ。

 そのままベッドへ倒れこんだ。


「リタ、お母さんお湯貰ってくるから、先に休んでいて、それから―───」




===




 朝、目が覚めるとお母さんが隣でまだ寝ていた。

 寝顔は穏やかだが、少し涙の跡がある。私の前では気丈に振る舞うけれど、1番悲しんでいるのはお母さんなんだ。

 お母さんを起こさないように気を付けてベッドから出る。



 ……そういえば、昨日は疲れてそのまま眠ってしまったのだ。

 そこまで思い出して、体がやけにさっぱりしている事に気が付いた。

 それに見覚えのない寝間着を着ている。



(ありがとう、お母さん)


 そっと、お母さんの頭を撫でた。





(イトラ、起きてる?)


(起きてるわよ、何の用?)


(別に用ってわけじゃないんだけど、お母さん起きるまで時間あるから話でもしたくて)


(そう、まぁ好きにしたら? 気が向いている間は付き合ってあげるわ)


 口調は素っ気ないが優しい。

 本人に言ったら否定しそうだけど、少なくとも私はそう思っている。


(昨日イトラが使っていた魔力のアレは、魔法じゃないって言っていたけど。私が頑張ったらいつか出来るようになる?)


(無理ね。あなた、魔力の質はそこそこに良いし、“視えている”から『聖術』は使えるだろうけど、昨日のあれは別物。あれは私たちにしか使えない力だから)


(そうなんだ………よくわからないけどショック…。じゃあ聖術って何? 初めて聞いたんだけど)


(人間の使う魔法とは違う、魔力の使い方の1つだと思ってくれればいいわ。それなら、あなたでも使えるからいつか教えてあげる。そして質問は終わり、すべてを1から説明する気はないの)


 イトラは黙ってしまった。

 今回わかったことは、私はイトラと同じことは出来ない事。

 あと魔力に質というものがある事。


 たしかに私の魔力と、体内にあるイトラの力は全く違うように感じる。たぶん、これが魔力の質…かな?


 だた聖術というものは真似できるらしいので、少し嬉しかった。

 いつか教えてくれるのを、楽しみ憶えていよう。






 朝食を食べに食堂へ向かう。

 今日の格好は、村から持ってきた衣類の上に妖精布のローブを羽織包まった姿。

 これから毎日この肌ざわりを感じられる、お気に入りのローブを纏った私は上機嫌だった。


 階段を降りると、ミレーヌさんとフィルがテーブルを拭いたり、朝食の準備をしたりしていた。



「おはようございます、ミレーヌさん、フィルちゃん」

「おはよう、早起きだね。もう少ししたらパンとスープができるから席について待ってて」

「ママとお姉ちゃん、おはようございます!」


 朝からフィルは元気だ。案内されるまま席について朝食を待つ。

 朝食は、焼き立てのパンと昨日のブイヨンスープ、卵黄だけを使ったスクランブルエッグ。

 前日のパンの余りがある日の朝食は、そのパンは食べ放題だと案内された。

 夕食まで食べるお腹がすかないようにたくさん食べる。


 ブイヨンスープはより味が凝縮され昨日よりおいしくなっていたし、焼いてから時間のたったパンでも村では小麦パンはなかったのでおいしく食べられる。

 この品質の朝食が毎日食べられる生活は純粋に嬉しい。



 食事をしていると他の宿泊客が下りてくるのが見え始めたので、お母さんに目配せをした。


「ミレーヌさん、今日から30日単位でお世話になろうと思います。それで先払いしてしまいたいんですが、いいですか?」

「あいよ、じゃあカウンターまで持ってきてもらってもいい?」


 部屋から持ってきていた銀貨10枚と小銀貨5枚分をまとめて支払う。

 これで今日からあの部屋が自分たちの部屋となったのだ。



「確かに頂いたよ。じゃあリタちゃんは、今日の夕方。食堂が営業する少し前くらいに声かけてくれるかい?」


 あぁ、厨房のお手伝いがあるのを忘れ……いや、忘れてない。


「はいっ、今日からよろしくお願いします」


 動揺を悟られないように、丁寧に返事をする。

 正直「うん、わかった」って言いたいが、今はまだ我慢する、始めが肝心なのだ。

 だから初日から遅刻などはしないようにしないと…。





 支払いを終え、お母さんと一緒に宿を出発しトムじいさんの店に向かう。

 宿からお店まで実際に歩いてみるとかなり近かった。


 道中に暗い細道もなく、人通りも多い。

 どうやら治安が比較的良いというのは本当の様だった。


 お母さんと危険な場所はないか見ながら歩いて、一通り確認し、問題がないことがわかったのでトムじいさんの店へ。

 まだ朝早めの時間だが既に扉の鍵は開いていて、入店を知らせる鐘が鳴った。


(昨日はこんな鐘あったかな?)




「おはよう、昨日はゆっくりできたかい?」


 店の中で商品の陳列や掃除をしていたトムじいさんは振り返ると優しく声をかけてきた。


「はい、昨日は町役場にルッカ村について伝えた後、ヘムロックさんに連絡を取る段取りもしてくれるみたいで、数日内には伝えられるそうです。宿も『森の憩い場』といういい宿を勧めてもらって、今はそこに宿泊しています」


 お母さんは少し畏まった様にトムじいに話しかけた。

 どうやら初めての就労に緊張が高まってしまったらしい。


「あぁ、ダルフさんとミレーヌさんの宿か。あそこは良い所だね。もし別の宿に泊まっていたら、私からも紹介しようと考えていた宿でね」


「はい、とてもよくして頂いて。可能なら、あの宿を拠点にこの町で生活していこうかと思ってます」


 それからも他愛のない会話を続けて、お母さんの緊張が解けてから仕事の内容を切り出した。

 トムじいさんはお母さんを労働者としてではなく、知人に手伝いを頼むかのような気安さで接している。



 お母さんの仕事は、お店の店番と在庫の管理、それと掃除。あとは、3人分の昼食を作ることだった。

 基本的に店内で掃除や売り上げを管理。

 来客があって、それが相談者だった場合トムじいさんを呼ぶ。

 それ以外は自由にしていていいという。



 昼食は、材料費も含めて経費で購入し、台所を好きに使っていい。

 その間は、トムじいさんが店番をする。

 時間は朝から夕方までのお店の開店時間の間。

 雑用等はお願いするが、肉体労働はなく。定休日を週に一度決めて良い、との事。



 トムじいはお母さんが無理なく続けられるように難しい仕事は無いと繰り返し伝え、仕事内容を不安に思わないよう丁寧に説明した。

 しかし、あまりの労働条件にお母さんの表情は曇ってしまった。


 住民権のない労働者は、最低限の賃金しか望めない。


 町役場で聞いて大体の相場から、この仕事内容では、月に銀貨8枚程度だろうとあたりを付ける。



「その…夕方以降の時間帯で別の仕事を探してもいいでしょうか…。この労働条件だとあの宿で生活するにはかなり厳しいと思います。夜から朝にかけて別の仕事を探したいと思いますので……」



 まともな店は既に閉まっている時間に市民権の無い若い女性が働ける場所。



 お母さんの表情は、何か思い詰めるように暗い表情をしていた。

 その思いつめた表情を見たトムじいさんは自らの失敗を悟った。


「……申し訳ない。この町での生活に不安を感じているかと思い、先に仕事内容の説明からしたが、余計な心配をかけてしまったようだ。報酬についてだが、月に銀貨15枚は保証しよう。それに臨時の寸志や現物支給などもするつもりだ。少なくとも贅沢な生活をしなければ他で仕事しなくても生きていけるくらいの面倒を見るつもりだ。どうか安心してほしい」


 トムじいさんは少し慌てて話したてると、話の合間に用意していた紅茶を口に含み嚥下した。


 そして自分達にも紅茶をすすめると、お茶に合うお茶請けを探し始める。



「銀貨15枚……。その…どうして、そこまでしていただけるんですか? 銀貨15枚なんてそんな簡単に稼げる収入ではないと思います。少なくともこの労働条件なら銀貨8枚でも多いくらいです!」


 お母さんは疑問に思った事を正直に質問する。

 その素直な物言いにトムじいは驚いた様子で、眉が少し動いた。

 そして、少し申し訳なさそうな表情でゆっくりと話し出した。


「この店は私の道楽のために続けているものだ。正直たくさん売れようとも黒字になった事はない。そもそもこの店で利益を出そうと考えていないんだ。だから報酬は君たちに必要な額で、仕事内容は無理なく続けられる範囲、尚且つ私の生活に変化のある物を、と考えた。どうしてここまでしているか……は、なんてことはない。過酷な環境から逃げ延びた親子を、ただ助けてあげたいと思っただけの事。深く考えての事ではないんだよ。いつか君たちが今回助けられたのと同じくらい、誰かを助けてあげればいい」



 私はどこかすんなりと納得した。

 このお店は、昨日からあまり売れた様子は無かった。現に今も客は誰もいない。

 利益を出すというより、道楽。

 まさにこの店の雰囲気にぴったりな言葉だった。



 今後の生活に困っている自分達に、道楽という言葉はあまり言いたくなさそうな表情で。しかし、お母さんが誤魔化さず素直に話すので、トムじいさんもそれに応えるように隠さず話したように思えた。



(この爺さん、今嘘ついたわ。動揺が隠しきれていないもの)


 どうやら嘘だったらしい。


(私の目には、言いたくないことを言って、居心地が悪く見えたんだけど……?)



 どちらにせよ、そっとしておこう。

 イトラの言う嘘がどんな物であったとして、それをどうにかすることは出来ないのだから。

 それよりも……。


(どうして教えてくれたの?)


 今だってそう。

 イトラは、気が付けば助けてくれている。



(……気まぐれよ)


(じゃあ、気が向かなかったら助けてくれない?)


(………………)


 彼女と沢山話すうちに、わかった事がある。


 イトラは、何かを隠してる。

 言いたくない事を聞かれると誤魔化そうとして、答えない。


 逆にそれは答えたくない事だと言っているようなもので。

 今の会話で、彼女は自分を助けてくれるという事。

 その理由は気まぐれ以外であるという事を知ることができた。



 彼女はいったいなんなのか。




 そんなことを考えていると、お母さんがトムじいさんに感謝するように頭を下げていた。


「不躾な質問、申し訳ございませんでした。これからよろしくお願いいたします」


 道楽とまで言われてしまってはお母さんも何も言えなかった。

 利益を度外視している経営者に正論は通じないし、大人しく好意を受け入れることにしたのだった。



 お母さんは、トムじいさんに店番の仕事や、帳簿の付け方の説明を受け、実践している。

 もともと村にいた時から、機会があれば計算や筆記など務めていたお母さんだ。順調に仕事を覚えられているようだった。



 説明がひと段落ついたので、試しにお母さん1人で店番をすることになった。

 今日は研修なので、肩の力を抜いて、わからないことがあったら声をかけて欲しいと言い残し、トムじいさんは私の所に来た。



「待たせたね、どうやらそのローブを気に入ってくれた様で嬉しいよ」


「はい…このローブとっても肌ざわりが良くて気に入っています。こんないい物を譲ってくれてありがとうございます」


 頑張ってお礼の言葉を絞り出した。



「いいや、気にすることはないよ。こんな辺境だと孫もなかなか会いに来てくれなくて寂しいんだ。少しくらいプレゼントしたって誰も怒らないさ」


 いかにも好々爺然とした表情で言ってのける。

 これぞ物語の本でみた『おじいちゃん』という生物そのものである。実際にこの目で見たのは初めてだった。


「ありがとうございます……。このローブ、とっても肌ざわりがよくて、その…好きなんです。それで、いつかお金を貯めて、妖精布でベッドを作ってそれに包まれて眠るのが夢なんです……」


 いつか、大きな屋敷で一日中その妖精布のベッドで眠り続ける。

 それが私の今の夢。それを叶えるために、頑張らないと。



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