第5話
ヘムロックは以前、リタにはどれくらいの価値があるか話したことがある。そして、裏ルートから高い魔力を持つ子供を欲しがる貴族はいくらでもいると言う事も。
リタの魔力は平民出身としては考えられない程に多く。髪色や容姿、瞳の色などすべてが珍しく、整いすぎている。もし秘密裏に奴隷として入手できるのであれば、法外な値段でも飛ぶように売れるだろう、と。
自身を守れるだけの実力を身に着けるか、強力な後ろ盾ができるまで、村の外に出る時は十分に気を付けて過ごすように教えてくれた。
リタは、リードルの町の入り口が見えてきた時、ふとヘムロックの話が蘇った。
「お母さん、麻袋一袋ちょうだい」
「いいけど、何に使うの?」
いきなり麻袋を欲しがるリタに、すこし疑問を抱きながら麻袋を渡した。リタは、麻袋に慎重に短剣で切れ込みを入れると、頭からすっぽりとかぶった。肌ざわりが悪く視界も悪い、それに臭う。
「……リタ?何をしているの?」
突然の奇行に言葉の出ないお母さんに、ヘムロックが教えてくれた事を話す。
随分と悩んだ結果、リードルの町での生活が安定するまで、顔を隠した格好でいることの許可が下りた。しかし、麻袋を被ってはいるものの、二の腕くらいまでしか隠れておらず。小さく華奢な体に、背中に流れる綺麗な銀髪、すらりとした四肢は隠されていない。
顔が見えないだけで、少女の特異な雰囲気も合わさり魅力が半分も隠せていない。隠さないよりは良いという程度。………かわいくてごめんなさい。
これから、男手のない親娘が町で生活を始めるのだ。それに母子共に容姿が整っており、世間知らず。お父さんのいない生活に対する意識を改めた母は、表情が厳しくなる。
リードルの町の入り口に着いた。
町は、ルッカ村よりかなり大きく、行商の馬車が何台も走っている。周囲を石壁で囲まれ、門番や衛兵の詰所が併設されている様子だった。
門からまっすぐ続く道が大通り、見える範囲では、石と木材を組み合わせた造りの建物が並んでおり。大きい建物は4階ほどの大きさがある。
本で読んだことはあるが、逆に言えば本の世界でしか見たことのない建物や景色がこの町に広がっている。入口から見える範囲だけでも露店やお店、宿屋など。どれも初めて見るものばかりだった。
正門に並んでいると自分たちの番が来た。
「…よ、ようこそ、リードルの町へ」
入口の門番は、リタとお母さんの服が血まみれな点と、麻袋を被ったリタ。金属の穂先のついた槍を4本も抱えて現れた親娘に狼狽えている。
並んでいる段階から周囲の視線を集めていたが、誰も話しかけてくる事は無かった。しかし入場者として現れたのなら何も聞かないわけにはいかない。
門番はかなり警戒されてしまったが、町に来る途中に賊に襲われ、通りすがりの旅人に助けてもらったと説明した。そして、この槍は売るために持ってきたと伝えた。
血まみれなのは、返り血であり。リタが麻袋を被っているのは村の風習だと伝えた。
お母さんは嘘をつく事が苦手で顔に出る事は分かり切っていたので、イトラにリアルタイムで相談しながら回答した。
そこそこ信憑性があると思ってくれた様で、あからさまにあやしい2人でもしっかりと話を聞いてくれた。
その後、いくつか質問をされたが通常通りの料金で大人1人と子供1人分の入場料、小銀貨3枚を支払い町に入ることが出来た。
ついでとばかりに槍の買い取りできるお店の場所を聞く。
「あぁ、その金属の槍なら『トムの金物店』のじいさんなら買い取ってくれるだろう。このまま大通りを―…」
自分たちに親切な門番は、もし買い手がつかなかったら、ここで俺らが買い取る、といってくれた。あやしさ全開の親娘だが、深くは聞かないで優しくしてくれた。
大通りを汚れた衣服のまま町を歩き、その足で金物屋に向かう。
門番さん曰く、この町は正門から見て右に行くほど治安がよく、役所や教会などは右側に密集しているそうだ。
そして、左側に向かうほど、治安は悪い。正式な商売証のない売店や危ないお店が並んでいる区画もあるから、近づかないよう注意を受けた。
始めは、古着屋などで衣類を整えたかったが、槍を抱える親娘は非常に目立っており、いつ憲兵を呼ばれるかわからないと思った。本の中でしか知らない憲兵が本当に実在するのか確認したい気持ちもあったが、先に槍を売りに行くことにした。
……お母さんの腕が限界だったのだ。ずっと持たせていてごめんなさい。金目の物は持っていきたくなる性分だったみたいで、置いて行けなかった。
大通りを途中で右に曲がり、教えてもらった『トムの金物店』についた。店構えは二階建ての木造、正面は客商売、裏は工房になっているのだろう。鍋や包丁、金細工を中心とした雑貨など幅広い品揃えだった。
丁度店内に客の姿は無く、店員のようなおじいちゃんが1人商品を磨いていた。
「いらっしゃいませ、購入ですか? それとも買い取りですか?」
入店するとおじいちゃんは余裕のある動きて振り返り挨拶をする。まるで入店するのが分かっていたかのような優雅な動きだった。
4本の槍を店先に立てかけ、入店してきた血まみれの服の親娘(娘は麻袋付き)に一瞬おじいちゃんは驚きながらも、冷静に対応してくれた。おじいちゃんは恰幅のある優しい雰囲気のある人に思える。
「あの槍の買い取りをお願いしたいのですが、よろしいですか?」
「もちろんですとも、何やら訳ありのようですな。こちらにおかけください」
お母さんがなれない口調で話しかける。村で生活していたならまず言わないセリフだろう。
おじいさんは、こちらの様子を見ると何かを悟った様に店の奥の古いテーブルに案内した。そして槍を店の中に運ぶとテーブルの近くの床に置いた。
「お待たせしました。僕がこの店の店主、トムリトルと申します。トムじいとでも呼んでください」
やはり余裕がある言動で自己紹介をする。おじいさん改め、トムじいさんは紅茶と焼き菓子を用意した。
「この店にやってきたと言う事は、おそらく正門の門番に紹介されてきたのでしょう。あの若者は助けたい人や訳ありの人が町の外から来ると、この店を紹介するんですよ」
どうやらこの店を紹介した門番さんとは長い付き合いのようだった。そして自分たちは訳ありに分類されたのだろう。そんな気がした。
「おいしい……」
用意してくれた紅茶にいつの間にか口を付けた母さんは、続けて焼き菓子も食べる。
お母さんの気分が落ち着いたのを確認し、トムじいさんが自分の事を話し始めた。
トムじいは、この町に移り住んでから雑貨屋を務める店主で、それなりに長く営んでいるとのこと。
そして稀に町人の相談を聞いているうち、様々な人から頼られるようになった事。この店を紹介した門番さんもそのうちの一人である事など、当たり障りのないそんな会話。しかし話を聞くうちに自然と聞き入ってしまう。不思議な話術を持つ人だった。
自然とお母さんも少しずつ話し始めた。
ルッカ村であった出来事、来る途中に追手に追われ夫を亡くした事。リタの魔法で助かり、槍はその追手の持ち物であること。この町でリタを守っていく覚悟を決めた事。口に出しながら、自分に言い聞かせるように話すお母さんの話を、トムじいさんは静かに聞いていた。
「ふむ、大変な目に合ってきたんだね」
トムじいさんは、こちらをみてそう言った。(リタ麻袋付き)
それからトムじいさんは、思ってもみなかった提案をした。
「僕は、君たちにこの町にいる間は平穏に過ごしてほしいと思っている。そこでどうだろうか、この町で安定した職に就くまでの間、もしくは他に移り住むまでの間、この店で雇われてみないか? この町でなら私の手が及ぶ範囲で手を貸せるし、融通も利くだろう」
素性の知れない親子の面倒を見ると言い出したのだ。
「とんでもないです!こんなに親身になって相談に乗ってくださっているのに、その上さらに迷惑をかけるだなんて…」
お母さんは遠慮するが、これは願ってもみない事だと思う。
この町でお母さんは何の伝手もないのだ、読み書きや計算ができてもすぐに就職できるかわからない。少し都合が良すぎるし、何か裏があるような気がすると思うが、悪い話ではなさそうだ。
(イトラ、この話どう思う?)
(……いつから私は、あなたの相談相手になったのかしら?まぁいいわ。あなたは気づいていないようだけど、このじいさん、魔力持ちね)
(…え?魔力持ちって事は、魔法が使えるって事?)
(えぇ、そうでしょうね。それに、あなたが突然魔法を使ったと知って、それからずっと気を張っているわ)
(…こっちを警戒しているって事? 大丈夫かな、相手が魔法使うなら危なくない?)
(おそらく、目的はあなたの魔法がどれくらい危険なのか、制御できているのか、そういったことを確かめたいんじゃないかしら?)
(…なるほど)
ぜんぜん気が付かなかった。イトラはどこからそんなに情報を仕入れているんだろうか。
うん、でもよく見てみると、トムじいの体に『もやもや』が見える。自分以外の魔力持ちを始めて見た。そして、トムじいを観察していて気付く。
(あれ? でも私、魔法使えないよね? あの時はイトラが全部やってくれたし。あの魔法? 魔法もどき? は人間には使えないって言ってたよね?)
(そうね、人間の魔法とは根本が違うモノだから。今まで同類以外が使っているのを見たことがないわ)
(そもそも、魔法って何なの? 根本が使うってどういうこと?)
(人間とは、魔法を使う時の魔力の使い方に違いがあるわ。だから根本が違う。説明がめんどうくさいから、気になることはそのじいさんに聞きなさい)
ぐぬぬ……。
イトラと会話できるようになったのは嬉しいが、ついついなんでも聞きすぎてしまう。聞きすぎるといけないので、もう少し慣れる必要がある。
イトラは少し素っ気ない。いつか、イトラともっと仲良くなれると決めた。
イトラとの密談を終えると、お母さんとトムじいさんの会話も終わるところだった。
「———―それに、リタちゃんの魔法の事もある。この子は既に魔法を独学で使えている状態だ。だが正しい知識を持たずに振るえる力は、意図せず自分や周りを傷つけてしまうんだ…。僕も魔法に心得がある、誰かに教わるというのはきっと、リタちゃんにとっていい結果をもたらすはずだ」
「トムじいさんは魔力持ち…なんですね。そう…ですか、その方がリタのためになる……。わかりました。これから生活が安定するまでの間、お世話になります」
そういって頭を下げるお母さん。
お母さんではトムじいさんの論を覆せないだろう。言葉の節々から知性と説得力がある。そしてお母さんが断りにくくなる話運びは見事だった。
結局、明日の昼からお母さんがこの店で働き。その間自分は、トムじいさんが先生となり魔力や魔法の勉強をすることになった。そして、魔法の勉強が終わるまでは不用意に魔法を使わないことを約束させられた。まぁ使えないんだけれど………。
「ふむ、話が長くなってしまったが。槍の買い取りについて、だ。この槍は状態も良いし、銀貨2枚と生活に必要な雑貨類でどうだろうか?」
「えっ、そんなに貰っていいんですか?」
思っていたより高くつけられた値段にお母さんが反応する。小銀貨5枚分は色を付けてくれたはずだ。そのうえ、生活雑貨を付けるという。
「もちろんだとも、これからこの町で生活するのならお金はいくらあっても足りないだろう。雑貨についてだが、1つちょうどいい物がある、少し待っていてくれ」
そういうと、トムじいさんは店の裏から真っ白なローブを持ってきた。
麻ではなく明らかに上質な糸を編んだとわかるローブ。縁が赤い糸で刺繍しておりデザインもよく、私が着れば間違いなく可愛い(目立つ)。魔力持ちだと知られていなくてもトラブルの元になってしまう様な上品なローブだった。
「このローブなんだが、リタちゃんにどうだろうか、とてもよく似合うと思うんだが…」
物欲しそうな、そんな表情が出ていたのだろう。トムじいさんは人当たりのいい笑みを深めて続けた。
「いつまでもその恰好では、つらいだろう。このローブは『妖精のローブ』といって、認識阻害の刻印が付与されている。魔力を流し続ければ周囲から身を隠せるだろう。少々貴重な品だが、これくらいしないとリタちゃんの周りは争いが絶えなくなりそうだからね」
にこやかにトムじいさんは私に渡そうとしている。明らかに、金貨以上の価値の代物が出てきてしまった。
やはり断るべきだろうか……―。
「どうだろう、気に入ってもらえるだろうか?」
贈り物が気に入ってもらえるか心配する声がする。自然と受け取らないといけない気がしてきた。お母さんを見ると黙って頷いていた。貰うべきと判断したんだろう。
よし、貰おう。今日からこのローブは自分の物だ。
早速麻袋を脱ぎ、服の上から羽織る。麻袋を取るだけで世界が広がったかのように感じられる。そして、このローブは、今まで着てきたどの服よりも肌ざわりが良い。通気性もあり、軽い。他の服もこの素材と同じ物で作れたらどれだけ幸せだろうか。
「おぉ…、袋を被っていても可愛らしいとは思っていたが。まさかこれ程とは…。まるで天使様のような。やはり先ほどのローブを渡して正解だったようだ」
トムじいさんに可愛いらしいと絶賛され、気分の良くなった私は、そのままその場でクルクルと回る。
満足いくまで反応を堪能すると、ローブの使い方について説明を受けた。
この『妖精のローブ』は、妖精糸という糸を織った、妖精布という高級品を生地に使い、魔力との親和性が高く衣類の刻印に適する素材として作られたものらしい。
そのローブに認識阻害を付与する刻印を刻み込んだのがこのローブだという。生地全体を使い刻印が組まれているので、破いたり、切ったりしたら効果がなくなってしまうとのこと。
取扱いに心配になったが、それなりに頑丈に作られているので、簡単に切ったり、汚したりはできないと教えてくれた。
使い方は単純で、ローブを魔力で満遍なく包むと自動で認識阻害の魔法が発動する。魔法を発動させなくとも、魔力持ちが着ているだけで目立ちにくいという特性があるそうだ。
「常に魔法を発動させていると魔力がすぐになくなってしまうから。姿を隠したいとき以外は、そのフードを深く被り顔を見せないようにすれば少しは安心だろう」
リタの体には大きいローブは、足元まで覆い。フードを被ることでリタの顔を隠すことが出来た。自身の足元しか目線は通らないが、深く被った時に正面が透けて見えるように生地が薄く作られており、前が見えずにぶつかるという事態は防げそうだった。
そうして、認識阻害を発動させる練習をしながら待っていると、お母さんも着替えてきた。
トムじいは驚いたことに、「リタちゃんのローブだけでは不平等だね」と言い、お母さんの洋服まで用意しに裏へ下がっていった。お母さんに魔力はないので、加工前の普通の服だが、それでも質も見た目もいい。
お母さんの綺麗な茶髪に合わせた、落ち着いた青い上着に、長く細い足を隠すような濃い目のロングスカートを合わせていて、よく似あっていた。
村で来ていた服よりも装飾や柄が多い。金物の髪飾りを付けたお母さんは、もう村人にはとても見えなかった。
「お母さん…きれい!」
思わず声が出た。女性服は種類がなく、組み合わせを選ぶのに時間をかけたトムじいさんも満足げにお母さんを見つめる。
「よく似合っているようだね。ところで、さっきまで着ていた服は、こちらで処分することも出来るが、どうしようか」
「はいっ、こんな素敵な物までいただいてしまって。ありがとうございます」
お母さんも浮かれているのだろう、即答した。もともと来ていた服は血に汚れていたので、古着やなどに着いたら処分する予定だったので問題ないが、トムじいに迷惑をかけていないかが不安だった。
しかしそのような様子を一切感じさせることもないトムじいの雰囲気は気品すら感じられた。
「うむ、ではこれから、この店から出て町の右側にある町役場へ向かうといい。そこでルッカ村の現状と、騎士ヘムロックに連絡が取れるか確認してみるのがいいだろう。騎士様からリタちゃんが困った事に巻き込まれていると伝えれば、領主様が力になってくれるだろうからね」
トムじいからは、領主様への信頼を感じた。もしかして知り合いなのだろうか。
そもそもトムじいは何者なのだろう。本当に平民なのだろうか。
「そうですよね。わかりました、では町役場に行ってきます。明日の朝またお店に伺いますので、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
お母さんに続いて、リタもトムじいにお礼を言う。これ程親切にしてくれる人がいるとは町へ来るまでは思ってもみなかった。
このローブは今のリタにとって、もし存在をしっていたなら喉から手が出るほどに欲しいものだった。魔法を使っていれば、基本的に自分から話しかけるまでは相手に認識されにくい。この状態なら余程執念深く探さなければ見つけられないだろう。それにとっても可愛らしく、最高の肌触り、リタは既に大分気に入ってしまった。
トムじいに見送られながら店を出て、さらに町の右側へ向かい町役場を目指す。同じ道沿いではなかったが、その町役場は探さずとも目に入る大きな建物だった。
広い敷地に大きな4階建て、1階には馬車で乗り付けられるスペースも確保してあり、現在も忙しそうに人が動き回っている。
「お母さん、この町ってそんなに大きくないって聞いていたけど、大きいよね?」
「……えぇ、私もここが一番近い町で、大きい町や都市はもっと大きいって聞いているわ…」
「えっと、この建物に入るんだよね?」
「…そうだと思うけど………もしあの血の付いた服で入ろうとしたら、騒ぎになっていたかもしれないね……」
勇気を振り絞り町役場に入る、入口から一歩入るだけで掃除が行き届いている綺麗な空間だった。寄って来た案内人に事情を説明し、窓口へ案内してもらう。
担当の役人さんにルッカ村の現状を伝え、ヘムロックさんに連絡を取ってもらえるようにお願いした。
役人さんは、話を聞くうちに表情が険しくなったが、丁寧に対応してくれた。しかし、村からの避難民が騎士団の騎士様に個人的な連絡をしたいとお願いをするので、疑問を覚えたようだった。
そこで、リタが魔力持ちであり、騎士ヘムロックが彼女の担当だと説明すると納得し、すぐに手紙を出すと対応してくれた。フードを深く被っていたが、この衣装と雰囲気で説得力が出たのだろう。
(あははっ、馬子にも衣裳ね)
(イトラうるさい)
頭の中と外で別の会話をするというのはまだ慣れない。イトラと会話をしているとお母さんと会話がうまく出来ない。その都度お母さんが心配してくれるので少し心苦しかった。
これはイトラが悪いよねぇ?
(もう聞かれても答えてあげないようにしようかしら?)
あれ?
(なんで聞こえているのっ? 心の中で言葉にしないと伝わらないんじゃなかったの!?)
(そうよ? ただ、あなたって考えが表情に出やすいと思うわ、簡単に予想つくもの)
(えぇ? じゃあ考えてることとか、思ったことは伝わってないんだよね?)
(そうよ、予想しただけ)
良かった………さすがにそれはプライバシーが無さすぎる。
やぁーい、イトラのばか。
(……その単純な思考、やめたら?)
(………はい)
さすがにこれはバレてると思ったけど止めることは出来なかった。
「リタ、やっぱり具合わるい? 今日はもう宿で休もうか」
「えっ、大丈夫」
お母さんが少し屈んで、私に顔の高さを合わせていた。また心配させてしまったようだ。
そしてリタは聞いていなかったが、ここから騎士団の駐屯する領都トゥルダールまで馬で2日、馬車で5日くらいだという。大体10日以内に連絡が届くだろう、という会話があったらしい。
その後、お母さんは町の滞在許可証を銀貨1枚で購入した。
発行するだけで身分証明書として使え、いずれこの町の市民権の発行に必要な証書のようだ。更新は2か月に1度、小銀貨5枚。町役場に支払いに来なければならないが。問題が起こった際の対応がこの滞在許可証の有無で大きく変わると説明を受け、購入を決めた。
そして、この国では一定以上の規模の町や都市において、『市民権』を発行しているという。
市民権の発行は、その町で生まれた者は世帯ごとに、しかしそれ以外の者には少し厳しい。まず、申請する町や都市で滞在許可証を発行し、長期間滞在する。その後問題がないか審査され。定職についており、過去の犯罪歴がない事が求められる。そのうえ、市民権の購入には金貨5枚以上の手数料がかかる。
しかし、市民権を持っていないと、その町の市民とみなされないため、住宅の購入や安定した職業に就くことが出来ない。将来的にこの町の市民権を得るなら今のうちから滞在許可証は所持し期限を切らさない方がいいと教えてくれた。
既に身分が保証されている権力者や多額の資金を支払える商人はこの規則に縛られることはないが。一般的にはかなり厳しい規律となっているようだ。
そのため滞在許可証や住民権の必要がない村に移住する人が多数存在すると町役場の役人から丁寧に説明を受け、滞在許可証を大事にしまい込んだ。
町役場での最低限の用事が済んだため、今日から泊まる宿を探すことにした。役人さんが丁寧な人だったので、試しに安くて、なるべく安全な宿を紹介してもらった。
決して贅沢はできないが、安い宿ではトラブルが起こるのは目に見えている。村で貯金した金銭や追手からの臨時収入があるため、少し奮発した宿を探してもらう。
そこでおすすめされた宿が『森林の憩い場』という宿だった。
ここの宿主が冒険者でかなり厳つく、この宿なら問題ないとのお墨付きだった。奥さんと娘の3人で経営しており、食事もおいしいと有名とのこと。
正直、お腹がすいている。料理の評判がいいと聞いて興味が出た。
元冒険者と聞いて嫌厭したが、町役場の役員からかなり評判がいい人物のようだった。そして他に勧められる宿はどこも敷居が高く、選択肢にならなかったので、この森林の憩い場へ向かうことにした。
正面の大通りを右に曲がった通り、トムじいさんの店の並びにある宿『森林の憩いの場』。
3階建ての建物で、1階は受付と食堂。店の奥の階段から2階に上がれる作りになっており。食堂には既に人が多く集まっていた。
「いらっしゃい! 泊まりですか? 食事ですか?」
元気な声で問いかける若い女性。お母さんと同い年くらいだろうか。活発で愛嬌が良く、細いながらよく鍛えられている二の腕。たくさんの食器を運びながら接客もこなしていた。
「泊まりです! あと食事もお願いします、この子と合わせて2人分で!」
お母さんが、騒がしい店内でも聞こえるように気持ち大きめに伝えた。
「大人1人と子供1人で…食事だけなら小銀貨2枚。宿泊するなら小銀貨8枚。よければ席に座っていって」
お姉さんは、食器を下げながら厨房に注文を伝え、忙しそうにお店を回していく。空いている席にお母さんと座り、店内を観察する。
木製のテーブルが並ぶ店内には、町の住人からこの町の冒険者や傭兵のような厳つい人まで客層は広いように感じる。
少し騒がしいが、下品ではない雰囲気。個人的にかなり気に入った。
喧騒にまぎれる自慢話を聞きながら待つ。こういった食事処は本で読んだ物語では定番の場所で、秘密の情報が取引されていたり、密会したりに使われていた。自分がまるで物語の世界を体験出来ている事に感慨深い感情を得た。
食堂で聞こえる声の中で、低い男性的な声が特に心地いい。しかし、どうして心地いいのか考えてしまった。そして、それはお父さんの声に似ていると無意識的に感じていたからだった。
…そうだ思い出した。あまりに目まぐるしく変わる環境について行けていないだけで、まだ今日の出来事なのだ。お父さんが死んだのも、イトラと話したのも。…人を殺したのも、今ここに居るのも。
ふと、お母さんを見る。お母さんも今日の出来事を思い返しているのだろう、表情が重い。違う、今日の事だけじゃない。お父さんのいない世界で、知らない町を二人で生きていくのだ。
テーブルは、今日の疲れと、これからの不安に、周りの空間から切り離されたかのように静かに重い雰囲気に埋め尽くされていた。
———その時。
「おまちどおさまです!本日の夕食は、日替わりのパスタとスープ、小麦のパンです。あと、パンのお替りは有料ですが大丈夫ですよー」
テーブルと大して変わらない高さから可愛らしい声が聞こえ、夕食が並べられる。視線を向けると、見えるのは濃い目の茶髪に、犬科の耳が付いた頭部。テーブルから顔が出るくらいの小さな子供? いや、屈んでいるだけで自分と身長は変わらないくらい。
少女の金色の瞳と目が合った。それは私より少し身長の低い『獣人』の女の子だった。
「あれ? 悲しい顔してる? お姉ちゃんとっても綺麗な顔しているのに……。おいしい料理をたくさん食べて、少しでも元気になってほしいのです!」
少女が屈んで下から覗きこむ事によってフードに隠した顔が見えてしまったのだろう。本来下から覗きこまれる事は想定していない。少し落ち着かない感覚を味わいながら少女を見つめた。
しかし、少女の屈託のない笑顔を見て少し心が楽になった気がした。話すたびにピクリと動く耳に視線が誘導される。少女も視線に気づき、触っていいと示すように、頭を少しずつ近づけてくれる。
———ゆっくりと手を伸ばし、あと少しで触れるというところで、厨房から大きな声が聞こえた。
「フィル! 早く次の料理運びなさ~い!」
フィルと呼ばれた少女は、ビクッと体を揺らし、少し名残惜しそうに戻っていく。帰り際に目線が合い「またあとでね」と言われた気がした。
それが少女、フィリーネとの出会いであった。
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