第4.5話
その声は、耳からではなく頭の中に直接響くようだった。
(…うるさいわねぇ。私は寝ているんだから黙りなさい。そもそも、それだけの魔力があるんだから、この程度自分で何とかすればいいじゃない)
不機嫌な女性の声がした。
口調は厳しく、相手を責める様な声音。同時にこちらを試しているようにも聞こえる綺麗な声。
「…ンンッーー!」
口を縛られて返事が出来ない。
ここで助けを求められなかったら、取り返しのつかない事になる。
最後の手段として、心の中で返事をする。
もしかしたら伝わるかもしれないという希望は捨てられなかった。
(誰ですか? ううん、お願いします! 私とお母さんを助けてください! 私、まだ魔力の使い方わからないんです! 助けて!!)
(…ったく、しょうがないわね。それから助ければいいのよね?)
理屈は分からないけど、心の中で祈れば通じるという事が分かった。
だから、一生懸命に祈った。
(はい! お願いします)
(えぇ、体借りるから、魔力の使い方よく見ておきなさい)
彼女の言っている事を理解する余裕は無かった。
今この瞬間もこの体は縛られ大きな麻袋に仕舞われようとしているのだから。
だから反射的に返事をして承諾した。
どんな結末になろうとも、今以上に悪くなる未来は考えられなかったから。
早かった鼓動が静かになる、熱を持った体が冷たくなる。
血の気が引いていくような感覚と共に、体が動かせなくなった。
(———ッ)
動揺する心を意思で沈め、祈った。
『助けてほしい』と心の中で言葉にした。
『任せなさい』と言われたような気がした。
◆
リタは抵抗なく体を明け渡した。
その肉体には魔力に満ちていた。
その魔力を少しだけ『変質』させ、彼女は自身の魔力として取り込む。
それだけで体を縛っていた紐は自壊し、その存在の意味を無くす。
(手短に済ませないといけないわね)
彼女は自壊した紐を見つめ、現状の限界を見極める。
◇
肉体は持ち主の意思に関係なく動き、自由になった手で被せられた麻袋を剥ぎ取った。
最初に視界を晴らした。
この状況を片付けるのに視覚は必要ない。
しかし、彼女にとっては”見せる”ことに意味があった。
少女を拘束し終えた男は、こちらに背中を向け仲間とクダラナイ会話をしていた。
だから、最期まで何が起こったのか分からないまま───その男の頭に手の平を向け、空をつかむ様に、ただ手を閉じた。
瞬間、男の頭は”弾け飛ぶ”
(ひぃっ! なにを、したんですか……?)
(なにって、あなたを助けているのよ)
(……だって、その人っ …頭が…んで、死?)
(あら、ごめんなさいね? 殺すなって言われなかったから、ついね? つい)
大量の血しぶきを浴びながら、また手を閉じる。
今度は、母親を担ごうとした恰好で固まっていた男、その頭が弾けた。
瞬く合間に2人の男が死んだ。
その光景を目の当たりにした彼らの仲間は、ようやく現実を受け入れた。
「おい! 何しやがった、このガキっ、まさか魔法使えるのか!?」
「いや違う! こんなふざけた魔法なんてありはしない! 気をつけろ、こいつやべぇぞ!!」
輝く銀髪を真っ赤に染め、人間離れした容姿を持つ少女が無表情で人を惨殺し始める。
それは最近読んだ英雄譚の悪役の姿と酷似していて、化け物を連想されるには十分な光景だった。
(ま、また死…、死んだ。 ……私の、せいなの? 私が、お願いしたから?)
あまりに悲惨な光景に瞳を閉ざそうとした。
しかし、肉体の主導権は今、私じゃない。
目の前で引き起こされる全てから目を逸らすことは許されない。
(見えているかしら? 魔力を使うには、その力に方向性や意味を与えなければいけないの)
視界には、空中を漂う『ふわふわ』が次々と男達の頭に向かって行くのが視える。
それが集まった時、生きていた人間は死体に変わる。
(やめてっ!)
(どうしてかしら? これを生かしておく必要性が見出せないのだけれど)
また1つ、もう1つ。
腕を伸ばし、掌に収めて手を閉じる。
たったそれだけで、襲撃者は物言わぬ存在に成り果てる。
『人を殺してはならない』という常識と、自身の安全のためにそれらを『排除しなければならない』と訴える本能に板挟みにされ、追い詰められた。
(細かいことは気にしない。あなたは、こうするのが最善だってわかってて、本当はこうなることを望んだはずよ)
全てを見透かした様な声が囁く。
反射的に否定しようとして、しかし否定の言葉が見つからなかった。
それを誤魔化したくて、話を逸らす様に質問した。
(これは、魔法なの? あの『ふわふわ』してるのを動かす魔法?)
(これは魔力をそのまま使っているだけよ。魔力の指向性を示すのにちょうどよかったから使ってみただけ。まぁ、人間には真似できないけどね)
彼女は揶揄うように種を明かした。
(えぇ!? 見たくないの我慢して、魔法覚えようと一生懸命見ていたのに…!)
(ほら、魔力の動かし方は覚えられたんじゃないかしら? 後は――)
頭の中で見当違いな会話をしているうちに、頭のない死体がいくつも作られ、とうとう最後の1人になっていた。
「な、なぁ…嬢ちゃん。有り金全部置いていくからよぉ、見逃してはくれねぇか? あの村には俺の…―」
熱を失ったように冷めた体。
躊躇うことなく向けていた手の平を閉じた。
最後の1人が死体になると、自身の体が自由に動かせるようになっていることに気がつく。
見渡せば、橋の上は阿鼻叫喚な地獄絵図。
正気に戻りそうになる感性を、思考を放棄することによって維持する。
(ひえぇ、こんなにたくさん……でも、その…ありがとうございます、助けてくれて。あなたがいなかったら、私もお母さんもひどい目に合っていたと思うから…。ところで、あなたの名前はなんですか? それと、どこにいるんですか?)
(あぁ、気づいてなかったのかしら? 私は、あなたが『ふわふわさん』って呼んでいるアレよ。今もあなたの体内にいるし、驚いたかしら?)
(えぇ!? あのかわいい『ふわふわさん』があなたなんですか!? でも、話しかけてくれた事なかったのに、今まで何していたんですか?)
(…寝てたのよ、あなたが生まれてくるより、ずっと前からね。最近、目覚めたら魔力が少なくて、あなたから魔力をもらっていたのよ。あなたって、相当能天気よね。普通、謎の生き物が自分の体に住み着いたら、のんきに魔力を与えたり、名前を付けたりしないわ。あの時は笑って目が覚めそうになったもの)
彼女は言いたいことを言い切ると、ため息を1つ吐き出した。
『ふわふわさん』は、実は、かなり毒舌に話す生物だった。
…でもその割には、いろいろ助けてくれた様な?
(じゃあ、私の洗礼式の時に髪飾りの糸をくれたり、転んだ時に助けてくれたりしたのは、あなたなの?)
(…まぁ、タダで魔力もらっているのも、ね? 多少の手助けくらいならするわ)
(…怪我をしてもすぐに治してくれるのも、多少?)
(えぇ、そうよ)
なるほど、なんとなく分かった。彼女、口で言うほど悪い人? じゃないと思う。
そして今までの人生で感じていた謎が1つ解けた。
(ちなみに、あなたに名前はあるの? それと目が覚めたみたいだけど、これからも私の体に住むの?)
(名前は…そうね。イトラって呼んでいいわよ。体にはまだ当分居座るつもり。あなた、魔力の質が良くて案外快適なのよね。そういうわけで、これからもよろしくね人間さん)
随分と勝手な言い分に思えたが、『ふわふわさん』は既に大切な家族的存在。
それが急に話し始めてコミュニケーションが取れるようになったのは、嬉しい変化として素直に受け入れることにした。
(イトラ…イトラさん? イトラちゃん?)
(………イトラでいいわよ、イトラちゃんはやめなさい)
(うん、これからもよろしく…イトラ)
改めて、周囲を見た。
頭のない死体が9体と、既に息絶えたお父さん、縛られているけど無傷のお母さん。
全員真赤に染まっているけど、お母さんだけ生きてる。
とりあえず、お母さんを起こして、これからどうするか相談しないと…だよね。
お母さんを揺すりながら声をかける。
「お母さん、起きて…起きて!」
「ん……リタ? あ…リタ! お父さんは!?」
意識の戻ったお母さんは、周囲を見て、もう一度意識を失った。
◇
「そう…。あなた、死んでしまったのね……」
お母さんは、お父さんの遺体を森の木陰まで引きずると、刺さっていた矢を引き抜いて、姿を整える。
そして隣に腰かけ、優しく話しかけた。
私は、お父さんに摘んできた花を飾る。
お父さんは最後まで自分たちを守って死んだ。それが幸せな事なのかは、自分にはまだわからない。ただ、立派な存在であったことはわかる。
お母さんは、少し硬くなり始めたお父さんと手を繋ぎ、遠くを眺めている様な表情で静かに座っている。
まるでお母さんまで遠くへ行ってしまいそうだと感じて、咄嗟にお母さんを抱きしめた。
これ以上家族が居なくなるのは耐えられなかった。
そんな必死で泣きそうな表情の私を見たお母さんは、その時初めて涙を流した。
少しの間、お母さんと抱き合って、それから涙が枯れるほどに泣いた。
◇
長い時間2人で泣いて、落ち着いた頃。
「それで、その…リタがあの男たちを…その、やっつけたの?」
お母さんは、とても聞きにくそうに、なるべく表現を優しく言い換えて聞いてきた。
それはそうだろう、橋の上には9人の頭のない死体。
服装から見て自分たちを襲ってきた人だとわかるし、私もお母さんも血まみれだ。
川でなるべく綺麗にしたが、服に付いた分はどうにもならなかった。
なんて答えよう。
イトラの事を話してもわからないだろうし、余計に混乱させてしまう。
…ただ、お母さんに嘘を言うのも心苦しかった。
「そう…だよ。私が魔法であの人たちを、殺したの」
嘘は言っていない。
この体で、イトラが、イトラの魔力を使って、だけど。
正直、この惨状を自分が生み出したと考えると、とても恐ろしく感じる。
お母さんから見てもそれは同じだろう。
…嫌いにならないでほしいな……なんて。
自然と涙が零れ落ちて、ぎゅっと、お母さんに抱きしめられた。
「ごめんなさいっリタ! あなたにこんなつらい役目を押し付けてしまって! お母さんを守ってくれてありがとうっ…」
温かい体温が心に滲みた。
お母さんに恐れられる様な、そんな妄想が溶けていくのを感じる。
……また、涙が止まらなくなった。
「さぁ、リタ。お父さんにお別れをしましょう……。先を急がないと……」
「うん……わかった。ありがとう、お父さん。ずっとずっと、ありがとう。…さようなら」
お父さんの顔をひと撫でした。
最後にお父さんに顔に触れたのはいつだっただろう。
こんなに愛してくれたのに、いつも恥ずかしくて、冷たい態度を取っていた事ばかり頭をよぎる。
それでもお父さんはいつも笑っていて、一生懸命だった。
最期だってすべて矢を切り払おうとせず避ける事だって出来ていた筈だ。
でもそれを選択しなかったのは………。
———そんな人に、自分はなれるだろうか。
血色が悪くなって冷たくなったお父さんの顔は、無精ひげばかり刺さって、少し痛かった。
他の追手を警戒しながら、リードルの町へ向かう準備をする。
一番汚れていない服に着替えたが、それでも血の跡は目立った。
お母さんが持っていた麻袋は全体的に血を被ってしまっていたのだ。
中の食料や着替えなど、食べられない物や買い替える必要がある物に関しては、ここで捨てていくことにした。
(もし私がもっと早く、イトラに助けを求めていたら…お父さんは助かったのかな?)
(そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。過去を悔やんでも仕方がないわ。今は、1人でも無事なことを喜びなさい。じゃないと、その死体が報われないわ)
(…うん、そうだよね。お父さん、ごめんなさい。私もっと強くなるから見ていてね)
力が欲しい、家族を守れるような力が。
…もう家族を失うような事は耐えられない。
(そうね、ついでに忘れているみたいだから教えるけど、あの死体たちから金目の物を回収してから出発しなさい。お金はいくらあっても足りないわよ)
(…やっぱり漁らないと、だよね…)
気がついてはいた。
最後の男性はお金を対価に命乞いをしてきた。つまり、おそらくは金目の物を持っている。
遺体を漁ることに良心の呵責に苛まれたが、背に腹は代えられない。
目もむけられない彼らから、躊躇いながら所持品を漁ると、かなりの金額になった。村中からかき集めたのだろう。
私達がリードルの町に着いていたとしても、私を探すために町での生活費を集めて持ってきたのだ。
数えてはいないが、9人の大人が節約すれば2週間くらい安宿に泊まれるだけの金額があった。
(このお金は、村のみんなの物。だから私の物。みんなの分まで私……頑張って生きるよ)
決意を新たにした私に、揶揄うような声がした。
(そのお金は、彼らの物ではないけれど、あなたの物でもないと思うわよ? 本当にいい頭をしているわね)
(…イトラ、うるさい)
「……リタ、その…それくらいにして出発しましょ?」
「…え? うん、わかった」
私たちは、歩き出した。
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