第3.5話
その日も家事全般をお母さんと共に順当に終え、夕食を作りながらお父さんの帰りを待っていた。
ここ数日、特にお父さんは忙しそうだった。
もともとの職業の猟師と自警団の代表を兼任しており、最近は寝る間を惜しんで仕事に追われていた。
日に日にやつれていくお父さんに、今日は特別豪華な料理を用意したのだ。
冬支度の余りの香辛料と香草をふんだんに使った鳥の香草焼きに、鳥のつみれと生姜がたくさん入ったスープ。
良く熟れた果物と水あめを煮崩れないよう優しく煮た餡を、バターと小麦粉を練り合わせた生地に包み石窯で焼いたフルーツパイ。
冬支度で出た傷みやすい食材をたくさん使ったご馳走たち。
今日お母さんとお昼から作り上げた自信作だ。
日が落ちお父さんの帰りを待っていると、村の中が騒がしくなった。
「い、移住者達が、攻めてきたぞ! 村長が捕らえられた!!」
「自警団は各自集合しろ!! それ以外は村の外に避難しろ!!」
村のあちこちから避難指示の掛け声と、悲鳴があがった。
そして村の見張り台から緊急事態を知らせる鐘の音が響き始め、お母さんは慌てながらテキパキと荷物をまとめ始める。
もともと用意していた麻袋に最低限の保存食、着替え、金銭を入れ避難準備を整えていった。
自分は突然の事に何も動けなくて、心臓がバクバクいって、悲鳴ばかりが頭に響いて、頭が真っ白になって、冷や汗ばかりが垂れていく。
「リタ! 早く準備しなさい!」
お母さんが初めて見るほどの真剣な顔で叫ぶ。
「っ…!!」
瞬間、家の扉が激しく叩かれた。
壊すような叩き方、扉を通して家全体が軋むような乱暴な打撃音。
だれかが助けに来たとは思えなかった。
お母さんの上気していた顔色も一瞬で血の気が引き真っ青になる。
「出てこい! 中にいんだろう!!」
低く野蛮な怒声がすぐそばから聞こえる。
頑丈で分厚い扉が強打され、痛いほどの衝撃が部屋に轟く。
「もういいっ! 叩き壊せ!!」
扉の向こうからまた別の男の声がする。
それから怒声と扉を壊す音が聞こえ、斧が扉を貫通した。
引き抜かれた斧の跡から外が見える。
その隙間から見えた空は綺麗な夕暮れで、そろそろお父さん帰ってくる時間だな、と動揺した思考が教えてくれた。
「よしっ!! もう一度だ!!」
今度こそ扉が壊されると思ったその時…。
「そこを…! どけっ!!」
お父さんの唸り声と共に、重たい物を振り下ろす風切り音が聞こえた。
「ぐわぁあ!」
「痛ってぇ!!!」
「なぜおまえがいる!! お前ら、早く立ち上がれ!!」
扉のすぐそばから男たちの苦痛の呻き、それから何度も響く鈍い打撃音と金属同士が激しくぶつかる轟音が響く。
そしてひと際大きな轟音の後、扉と共に血まみれの男が室内に飛ばされてきた。
「無事か!!! カルナ! リタ!」
風通しの良くなった室内にお父さんが大声で問う。
息を荒げ、激しい呼吸を繰り返すお父さん。全身を赤く染め、血走った眼に怯えそうになるが、声を振り絞って返事をすることが出来た。
「無事だよ、お母さんも!」
お母さんも血の気が引き、腰が抜けた様子ではあったが無言で何度も肯く。
「カルナ、村を出るぞ! 村長が捕まって、今日当番だった自警団も襲撃された。あいつらの目的はこの村の自治権とリタだ! リタが逃げ切れば、あいつらの目論見は破綻する!」
なぜ、自分が逃げることで彼らの目論見が破綻するのだろう…? まだ現実が受け止められず立ち尽くしていた。
お母さんは、震える体に鞭を打ち立ち上がった。
さっきよりもさらに顔色は悪いが、その眼には力強い決意があった。
「だ…大丈夫! すぐに支度をするわ。こんな所にいたらリタがどんな目に合うかわかったものじゃない……!」
お母さんは自分を鼓舞し、体を意志の力で引きずる様に動き出した。
それでも、2人のやり取りを見ている事しかできなかった。
今、私の足元には…扉と共に飛んできた知らない男。
おそらく最近この村に移住してきた男だろう。
その首や胸から流れる生暖かい液体が、私の足を赤く染めて纏わりつく。
何とも言えない不快感、咽るほど濃い血の臭い。
生気を無くした瞳と、目が合う。
既に息絶えているが、もしかしたらまだ生きているかもしれない。
家の外には扉を壊そうとしていた男が二人斃れている。
始めて人の死を目の当たりにした。
この異常な環境は、脆く耐性のない私の精神を麻痺させるのに、十分だった。
(声が出ない…体が動かない…早く逃げないといけないのに……!!)
準備を終えたお母さんが私に話しかける。
でも反応ができない。
頬を叩いても反応の薄い私を、先を急ぐお父さんが担ぎ、村の外へ向かっていく。
背負われながら見た村の様子は、日常とはかけ離れたものだった。
日が沈み、かがり火が焚かれた村の中、自警団の生き残りと村の男達は家族が逃げるための時間を稼ぐため中央で戦っている。
だが、十分な武器を装備した移住者達は徒党を組み、弓矢や槍で一方的に村人を殺していく。
戦力差は歴然だった。
私はmお父さんの背中からその光景を見つめていた。お父さんが歯を食いしばり、静かに涙を流す音を聞きながら。
本当は、自警団の仲間や村人を助けに行きたいだろう。
けれど私とお母さんを天秤にかけ、家族を連れて村から脱出するという自警団の代表としての最後の役目を果たすために、震えながら耐えている。
お父さんもお母さんも無言のまま村の南門の方向へ向かう。
お父さんが、『もしも』の時のために事前に避難経路を確認し周知してある。
村の外周は害獣と魔物除けの柵に覆われている。
日の沈んだ、しかも荷物を持った状態で超えられるような柵ではない。このまま門まで向かい、他の避難民と合流できれば安全に隣の村や町まで向かえるだろう。
今回は、北に居を構える移住民の集落から一番遠い南の門から村の外に出て、道沿いに逃げることになっているはずだ。
頭の中で情報を整理しながらお父さんに運ばれていく。
…まだ距離があるが、正門の見える場所に着いた時、既にたくさんの人が正門に集まっていた。
だが、様子が変だった。
門は閉められており、誰も外に出られていない。集まった人らが扉をこじ開けようと動いている。
だが、何者かによって門扉が壊され開かなくなっているようだった。
その光景を見て、お父さんは何かに気が付いたようにはっと息を飲み、叫んだ。
「おい! 柵を超えて外に──「殺されたくなければっ! おとなしく捕まれ!!!」
しかし、その大声をかき消すほどの怒号が響き、武器を構えた男たちが門周辺に現れた。
彼らは、正門から戦闘能力のない住人が逃げると知っていてあらかじめ門を壊し、待ち伏せていたのだ。
私はこの段階になって初めて連中の目的に気が付いた。
連中の目的は、村の乗っ取りだ。
ならば、生き残り、捕まえた村人は、村での生活を豊かにする使い勝手のいい道具に成り下がる。始めから、南門でまとめて捕まえるつもりだったのだ。
数はこちらの方が多いが、荷物を抱えた女子供ばかり。
出口を塞ぎ、武器で脅せば捕まえるのは簡単だろう。
縛るための紐を持ち、少しずつ距離を詰める移住者達の代表。
その後ろから威嚇するように弓を引く男たち。状況を呑み込めなかった村人も武器を向けられ次第に降伏し始めた。
彼らの目的にいち早く気づき、どうにか助ける手段はないのか考え続けていたお父さんは気が付いてしまった。
どうしてここまでこちらの動きが読まれているのか、あらかじめ避難経路がわかっていたからこそ実行された計画なのではないか……と。
そこまで気が付いたお父さんは絶望した。
もし、移住者が攻めてきた時、近隣の村や町への避難経路や自警団の時間稼ぎの方法などを予め決めたのは、自警団の代表のお父さんだった。
善かれと思い、一人でも多くの仲間を助けたかった自分の行動が裏目に出ていたのだ。
「あなた! しっかりしてください!」
お母さんが、自責の念に囚われているお父さんを叱咤する。
しかし、反応は薄かった。
お母さんは目を鋭くして、深呼吸をし、全力で振り──お父さんの頬をひっぱたいた。
「っ! おぉ、カ、カルナ!?」
「しっかりしてくださいと私は言ったのです! あなたがそんな調子で、リタを助けることが出来るのですか! もう一度ひっぱたきましょうか? 私は何度でもあなたの頬を叩く覚悟はできています!!」
お母さんは涙を流しながら、お父さんを律した。
お母さんも覚悟を決めたのだ。あの中にいる友人を、親友を見殺しにし、自分たちだけでも逃げ出すという覚悟を。
私は心の中で(ありがとう)と囁いた。
「……すまない」
お父さんは一言謝罪の言葉を述べると、自分の頬を叩き気合を入れた。
今は自分を責めることは後にし、この村から抜け出すために力を尽くすことにした。
そしてひとつの方法を思いついた。
「カルナ、覚えているか? あの通路。もしかしたらまだ残っているかもしれない」
お父さんに背負われたまま暗がりを進み、道なき道を進み。狭く薄暗い通路を抜け、村の外へ出ることが出来た。
その道を両親は思い出を振り返るように、しかし速足で道を進んで行った。
きっと、両親にとって思い出深い場所なのだろう。
「村の外まで出られたが、このままなるべく遠くまで逃げようと思う、あいつらの目的にはリタも含まれている」
「どういうことなの?」
お父さんの言葉には確信めいたものがあり、お母さんは聞き返した。
「あいつら鉄の穂が付いた槍に、鉄の鏃が付いた矢を使っていた。だが、この村にそんなものはない。用意が出来すぎている」
「それって……そういうこと、なのね」
お父さんはもう気が付いていた。
彼らの装備の質と数があまりに揃い過ぎているのだ。
その説明を聞いて、やっと私も理解した。
明らかに村の外部から武器などの援助があり、今回の争いが起こっている、と。
おそらく、移住してきた人の中にすべてを企画した人が居る。
その人が、その情報を権力者に流したのだろう。
そして、私を秘密裏に買う権利を担保にその権力者から援助を受けた。
そう考えれば筋は通った。状況証拠しかないけれど、この考えはしっくりときた。
移住者達は、村の自治権を手に入れ、原住民という労働力が手に入る。
権力者は、秘密裏に優秀な魔力持ちの女児を手に入れる。
おそらくそういう取引があり、だから連中は私の家を直接襲った。
本来の計画ではここで確保する予定であった、少なくともそうなるはずだった。
しかし、そこにいるはずのないお父さんが帰ってきて防がれた。
自警団を奇襲し、そこでお父さんごとまとめて始末するはずが、返り討ちに合ったのだ。
そして次善策を実行したが失敗した。
逃げる村人ごと自分を門で捕まえる案も既に頓挫した。捕まえた子供の中に私がいないことはもう気づいているはずだ。
そしたら、必死で追手をかけて自分を探すだろう。
もし私が捕まえられなければ、少なくない不利益を被ることになり計画は破綻する。
同じ結論に至ったお母さんは、お父さんと認識のすり合わせを行い。隣町まで徒歩で移動することに決めた。
両親は深い森に囲まれた、月明かりが照らす街道をただひたすらに歩きだした。
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