閑話 ブリジット・リストリア




「ご苦労様、戻ってきなさい」


 リードルの町に到着し、トムリトルと顔合わせを終えた彼女が初めに行ったのは、使い魔を放つことだった。

 月明りだけが主だった光源の辺境の町は薄暗く、すでに人通りは絶えていた。

 凍えてしまいそうな程冷えた空気。積雪していない事が不思議な異常気象。


持ち主の名前も知らない民家の屋根に立ち、町中を俯瞰した。


(この町は……異常だ)


 手元に戻した使い魔から情報を聞き出して確信した。


 明らかに人間の物ではない魔力に満ち、それらが複数混ざり合い、この小さな町の中で反発しあっている。


 舞い降りてくる雪が積もらずに消えていく原因は、おそらくその魔力だろう。

 しかし、その魔力の元がわからない。


「さて、どうしよう。これは私の手に余るぞ」


 口に出してみても状況は変わりそうもない。

 だからと言って、「大事にしてください」と言われて預かった使い魔を頼りに切り開いていくわけにも行かない。

 今からでも帰って『妹様』に助力を求めるべきか。


 いや、彼女の存在はリストリア家の秘密そのものだ。もしもの事があったら、取り返しがつかなくなる。




 今回の任務は、“リタ”という少女を狙う勢力、それに加担している者も含めて粛清すること。

 そして、その少女を自然な流れでリストリア家へ向かわせ、妹様に会わせること。


 少女を狙う勢力の粛清。

これ自体はそう難しくはない。


 もし、この町に魔力を垂れ流している化け物が、その少女を狙っていたのなら、今も無事でいるはずがない。

つまり無関係と見ていいはずだ。

 それなら、どこにいるかわからない化け物を避けながら任務を進めればいい。



 しかし、この魔力を垂れ流しているのが、件の少女・リタであった場合。もう1つの任務が困難になる。

 その場合、少女・リタは“力”が足りないと思っていない。

 つまり、リストリア家に保護を受ける必要も、学園に通い魔法の勉強をする必要もない事になる。

…そもそも、会話することが可能なのかすら定かではない。


「はぁ……この魔力が、今回の一件と無関係でありますように」


ブリジットは想定外なことが続く現状に、ため息を吐きわ祈った。








 リストリア家に、一通の手紙が届けられた。


 飾りのない簡素な手紙。

普段なら自分から確認することのないそれに手が伸びたのは偶然だった。

しかしそこに書かれていた内容を見逃すことは、私にはできなかった。


『特別な何かを持っているかもしれない魔力持ちの少女が狙われている』


意味ありげに書かれた文。

リストリア家が秘密裏に探し求めていた情報について知っているような手紙だった。

そ子に書かれた少女の素性は、偶然にも当主が探している人物と一致してしまっていた。


私は、この時から少し嫌な予感を感じ取っていた。




ブリジットは手紙を持ち、この屋敷で一番大きな部屋へと向かった。

扉を叩き、返事を待たずに開け中に。

まだ昼間だというのに閉め切った室内、中央に置かれた大きなベット。

そこに横たわるこの部屋の主人へ声をかける。


「妹様、少しお耳に入れたいことが」


彼女の声を聞き、緩慢な動きで体を起こす小さな影。

その影はそのまま無防備に体の筋を伸ばし、優しき笑みを浮かべた。


「おはようございます、お姉さま。何かございましたの?」


この小柄な少女こそが、ブリジット家の当主『妹様』。

年齢で言えば今年で16歳になったはずだが、成人しているとは思えない幼さを持ち。表面上は誰からにも好かれる儚げな笑みを浮かべるその姿から、彼女の素性を見破れるものはいないだろう。


私は僅かな緊張を慣らしながら手に持った手紙を彼女に手渡した。


「特別な何かを持つかもしれない少女についての情報と救護の手紙です。以前仰っていた人物に共通する点があったので」


 初め、妹様は少し億劫そうにしていたが、手紙の内容を、少女の名前や容姿の情報を耳に入れた途端、目を見開き意識を覚醒させた。

久しく見ていなかった妹様の『人間らしい所作』に内心懐かしさを感じそうになって。


妹様がこちらをじっと見つめていることに気がついた。その感情の浮かばない瞳は、全てを見通すような光を持っていた。


「決して傷つけずに。尚且つ、決して強要せず、その少女をこの部屋に連れてきてください」

「……この部屋に、ですか?」


初めは耳を疑って、次に発言の意図を、真意を考えた。しかし、それを理解する事は出来なかった。

 平民の少女など、根回しをして強引に取り込んでしまえば良いのではないか?

わざわざ任務の難易度を高める必要性を感じられなかった私は、妹様にそう提案した。


「この手紙にある通りの平民の少女なら、そんな段取りを取らずともすぐに連れて来ることは容易です。家の者を数人手配しましょう」


 そしたら非常に不可解なことに、妹様が激しく取り乱した。妹が妹様になる前まで遡らなければならないほどの狼狽えぶりだった。

 しかも、それが冗談でない事は妹様に預けられた使い魔の反応から察することができる。




 ———使い魔

 それは、妹様だけが使うことのできる特別な魔法によって作られた、魔法生物。

 彼女曰く、異なる階層の世界から“召喚”して使役する魔法だというが、詳しい理屈は誰にも話していない。

 その特徴は、魔力が目に見えない様に、魔力で作られた体を持つ魔法生物は、“干渉する事も、視認する事も出来ない事”。


 ただ、使いたい魔法のイメージと魔力を渡し、お願いするだけで、その魔法が使うことができる不思議な魔法。

 この魔法生物を駆使し、リストリア家はこの国の暗部へと返り咲いた。



 ———妹様≠妹

 私には、4つ年下の妹がいた。

 生まれつき体が弱く、魔力の低かった妹。

体調を崩せば長い間寝込んでしまう様なか弱い妹だった。

 両親は、そんな妹のことを早々に見切りをつけた。リストリア家というのはそういう家系なのだと、今ならば理解できる。

 でも私は、私だけは妹のことを大切に…思っていた。


 少し癖のある黒髪に白い肌。大人しいという言葉が形を得たような愛らしい容姿。

 それなのに、屋敷どころか部屋から出ることもままならない。そんな妹のことを、小さな頃はずっと不憫だ、可哀そうだと思っていた。

 そう、思っていたはずだった。




 私たち姉妹の事情が変わってしまったのは、今から10年以上前の事。

 その日は妹が特に体調を崩した日だった。

 専属医ですら手を挙げてしまうほど症状が悪化していた。妹は「もうダメかもしれない」と心の中で思っていたのかもしれない。「楽になりたい」と思い、伸ばした手が掴んでしまったのかもしれない。朦朧とした意識で妹は“ナニカ”を引き寄せてしまった


 そうして妹は“妹様”になった。


 健康体となった“妹”に、今までの気弱な“妹”の面影は無くなっていた。

 血色の悪かった肌は、珠のような“生命力の溢れる健康的”な肌に。髪や指、爪先に至るまで“健康”に作り替えて。

 そして、『お姉さま』と私を呼んだ。



 “妹様”は、人知の至らない知識を以て自身の地位を確立し。使い魔を貸し与え、リストリア家を掌握した。

 その対価に彼女が求めたものは、たった1つ。


 『自身の存在を秘匿し、この国の情報を可能な限り提供すること』


こうしてリストリア家の当主に君臨した妹様。

 未知の力への恐怖から、彼女はリストリア家の中心でありながら、外部にその存在を知られることはなかった。

 わたしの実妹。“ミュルニス・リストリア“という名前の、大切な”妹“は。この世界から消滅した。




 妹様は、リストリア家の情報網を使い。“変わった才能のある魔力持ちの女性”を探すように命令を出した。

 彼女は、集められた情報を元に誰かを探しているようだった。

 ———そして今、1人の少女を見つけ出した。





 私は気になっていた。

 妹に成り代わった“妹様”が探している人物が、どのような存在なのか。

 『決して傷つけないで』と厳命した少女を、たとえば傷だらけにして強引に屋敷に連れて行ったとしたら。

妹様はどんな反応をするのだろうか、と。


 化けの皮が剝がれれば構わない、その瞬間に少しでも“妹“の面影が見られれば良い。私はその為に、その為だけに妹様に仕えているのだから。

それに、もし見られなかったとしても“妹様”に一矢報いられるなら、それはそれで本望だと思っていた。



 そんな内心を隠し出立の準備をしていた私に、妹様は新しく2体の使い魔を用意した。


 リストリア家では、各々の専用となってる使い魔が1体、常に貸し与えられている。

 そして稀に、新しい種類の使い魔を渡し、その使い心地を聞いてくる事があった。

 稀にある事のはずなのに、今回は嫌な予感がした。



 妹様はいつも通り、使い魔の性質を理解できない私たちに、貸し与える使い魔の特徴を読み上げる。


 1体は偵察用。町などで放てば指定した情報を集めてくれる。

比較的貸し与えられることの多い鳥型の使い魔。今回のような任務だと特に使い勝手の良い、私にとっては使い慣れているもの。



 そしてもう1体は。

 もう1体は……膨大な魔力の塊? 大きすぎて輪郭すら理解できない何かが出現したことだけはわかった。

目前に存在する事がわかってしまう何か。


 ……こんなバケモノを所有しているなんて聞いたことがなかった。

 これほどの魔力量があれば、屋敷なんて簡単に消し飛ばせる。ソレと比べれば、人間は虫と同等の存在になり果てるだろう。


 私は、自身の死を身近に感じながら、固唾を飲んで妹様の言葉を待った。

 しかし、彼女は右腕を大きく動かし、空中を撫でるような動きを繰り返している。


そして満足したのか、こちらに視線を向けた。


「2人目はこの子です、お姉さま。今回は特別にこの子を預けます。この子はミュルニスが持っている子供たちの中で一番長生きしているお気に入りの子です。どうか大事になさってください」


 妹様の使役する使い魔は、基本的に長く生きれば生きているほどに強力な個体になる、と聞いた。

 私専用の使い魔である魚型のサカナですら数百年を生きているらしい。

 しかし、目の前のコレは…何だ?

 近くにいると認識しただけで足が震えてくる。生物としての位の高さをわからせられる。


「……妹様、今回の任務にソレは必要になるの、ですか?」


 畏怖の念が、生きうる者の本能がソレを近くに置くことを拒否する。

 しかし妹様は、そんな存在の顔があるであろう場所を、子猫を撫でるように可愛がっていた。


「はい、今回の任務は失敗してほしくないので、特別にこの子も連れて行ってください。普段は雲よりも上を飛んでいますので、力を借りたい時は心の中で『助けて』と呼びかけてください。ほかの子たちと違い魔法などは使ってくれませんが、お姉さまを助けてくれることでしょう」



 妹様は一息つくと、心配しているような声で続ける。



「ああ……でも、その少女を傷つける存在が居た場合、最優先で“消し去る”様にしてますから、その時は呼びかけても無視されてしまうかもしれません」


 気を付けてくださいね? と微笑んだ。






 貸し与えられたソレは、屋敷を出るときには空高くへ飛んで行った。

 こちらから意思疎通を取ろうとした事はないが、つかず離れず上空からついて来ているのが感じられた。


その強大な力を持った何かに、急かされているような気がして、その使い魔から逃げるよう道を急いだ。





依頼主に顔を見せた後すぐに実地調査を始めることにした。

 リードルという町は事前に調べていた情報の通り、大きく二つの区画に分かれているようだった。

 明確に区画を分けることによって治安や物流を意図的に管理している。

この町を設計した人間は大雑把で大胆な人間なのだろう。作り手の性格がこれほど表れている町は珍しい。


 使い魔を再度飛ばし、情報を精査する。


 護衛対象の少女・リタがいるのは町の右側。

 現在は宿屋に宿泊しており、この領の騎士団が警護している。偵察用の使い魔が『この宿に居る』と伝えてくるので間違いないだろう。こっちはまだ放置で大丈夫。



 問題は町に左側。治安の取締を意図的に緩めている区画。

 不自然な人の流れ、それなりの数の人間が徒党を組み、荷物を運んでいた。



 どこかの商会が運び屋を雇った? いや、身なりが悪過ぎる。信用できない相手に荷物の運搬など頼む商人など居ない。

 荷物の出所は、大きな倉庫の様な建物。

 そこから荷物を担ぎ出てきた男たちが向かう先はバラバラ。複数の拠点に分散して運搬しているように見えた。


 大きな倉庫の入り口では、数人の身なりの良い大人が行き先を指示しているようだった。

 そしてその集団に………白髪の…子供? あの耳は……獣人か?


 不気味な集団の中に相応しくない、成人を迎えていないと見てとれる小さな子供。

 大き目のローブに小柄な体を包み、フードを深く被って顔を隠していた。

 しかし、独特な形に変形したフード。首元から垂れ風に靡く長い白髪。露出した手足の小ささから、まだ子供の獣人だと読み取れた。

 晒している肌は、この国では珍しい“褐色”で、出自が国外の可能性もあった。



 その子供は積まれた木箱の上に座り、暇そうに足をバタバタと揺らし、働く男たちを見下ろしていた。

 そして退屈そうに視線を上げ、目に見えないはずの使い魔を“視認”した。


(……目が合っている? 偶然?)


 しかし、その子供には確信めいたものがあり、自然と目を離すことができなかった。

そして、おもむろにポケットから硬貨を取り出し、宙に放る。自ら投げた硬貨を掴み、指を広げてその硬貨を見つめた。


…コイントス?


幼い子供がするにしても、あまりに無駄なひとり遊びに疑問を覚えるより先にため息が出る。私はそんな子供を警戒したのだ。


バカバカしい、そう思い視線を逸らそうとした瞬間。その子供の見えないはずの表情が、邪悪な笑みを浮かべた気がした。



再度視線を向けた先では、子供が腕をあげ、小さな掌がこちらを捉えた。

 そして———何もない空間を掴む様に、ぎゅっと、手を閉じた。


「———ッ!」


(痛っ!? 使い魔が……潰された!?)



 空中から俯瞰していた使い魔の感覚が消失していた。

 共有していた視界が強制的に元の視界に戻され、揺り戻しが起こった。その耐えがたい苦痛に思わず顔を抑え蹲った。


 痛みが引いた後も、偵察用の使い魔の感覚が戻ることはなかった。

 動けるようになって、すぐその場を離れ、逃走を選択した。



 この仕事を続けるうえで大事なことは、引き際を誤らない事。

基本に忠実に、彼女は痕跡を消し、リードルの町の城壁を飛び越え、安全域まで後退した。




 体を隠し、冷静さを取り戻したブリジットが考えるのは、最後に見た“不思議な魔法”について。


 既存の魔法で使い魔を傷つけるのは不可能。

 それは物質として存在しない物を壊すのと同義で、“当てられない”。

 では、あれは何だったのか。



 ———ふと、妹様の言葉が頭をよぎった。



 それは私が11歳くらいだった頃だろう。

 使い魔を貸し与えられ始め、浮かれていた私に妹様が告げた言葉だったはずだ。

 まだ妹様を妹だと思っていて、妹がやけに大人びた口調で話していたことをよく覚えていた。


『お姉さま、もしこの子達を壊せる存在がいたら注意してください。特別な子以外では戦いにならないです、そのまま一目散に帰ってきてください。無茶してはいけませんからね?』


 目を見て真剣に語る幼い妹、妹様。

 あの頃はまだ、妹が元気になったって、深く考えもせず喜んでいた。

 それにしても。


「……特別な子、ね」


 背中を木に預けたまま天を仰ぎ見た。

 空を自由に舞い、視認できなくとも繋がりによって存在が伝わってくる特別な使い魔。


「……今回は、あの使い魔を付けたから、帰ってくるなって事よね」


 妹様はこの事態を予想していたのだ。


 もし偵察用の使い魔がなければ、調査に行っていたのは私だ。

 そして、怪しい集団を発見し、裏で糸を引いている存在を調べるため近づいただろう。


 目に見えない使い魔を見つけられる相手に、私が初見で対応できたか確証を持てない。きっと見つかってしまっただろう。

 そして褐色の子の魔法が自身に向けられた時、その危険性を理解する間もなく…………。


首を伝う嫌な汗、冷たい空気が熱った体を冷ます。幾度となく同じような任務を繰り返してきた。

 だから、自身の行動と結果は簡単にシミュレーションできる。


 私は、ここで死んだ。


「…チッ」


 また、“妹様”に命を救われた、救われてしまった。

 妹の存在を対価として得た力に、助けられ救われる。その度にどうしようもなく感情を乱される。

 結果を…結果を残さなければ、わたしは自身を許せなくなる。

 そのためにも。


「明日、彼らの運んでいた荷物を調べる」


 あの子供が明日も居るとは限らない。

 複数あった運搬先はすべて把握した。

 もし慎重に調査し、初見以外でも見つかってしまう様なら私はそこまでの人間ということだ。

今の私に、このまま帰るという選択肢はない。


 明日に備えて森の中で身を潜め、夜を明かす。

 思考のすべてで調査する区画を網羅し、計画を立てる。

最悪の場合、預けられた“特別な使い魔”を褐色の子に当ててみてもいい。

 妹様曰く、“特別な子”でなら戦いになるそうだ。

 それで勝てるなら良し。負けて消滅したとしても、妹様が『お気に入りの子』にどれほどの心情を注いでいるのか知ることができる。

 そう考えれば今の状況もそんなに悪いことじゃないと思えた。




 翌朝、久々の真冬の野営に凝り固まった体を伸ばし解す。

 任務で大切なのは、適度に緊張を緩めること。過度に警戒しては体に負担がかかる。

 日課となった覚醒へのルーティンを終える。


 自分専用の使い魔・サカナに結界の解除をお願いしてリードルの町の正門へ向かう。

 昨夜この町に着いた時、既に閉門していたため忍び込む形になったが、なるべく正規の手段で入場しなければならない。

 旅人の服装へ着替え、偽の身分証と共に入場料を支払う。

 通過する時、気さくな門番から「町の左側の治安が悪くなっているから近づかない方がいい」と提言を受けた。

 きっと通行人のほとんどに声をかけているのだろう。親切そうな人物だったので情報料を包んでおいた。



 昼の時間。

 日に照らされる町中は活気があった。

 昼食の時間帯に当たるため、屋台や店舗に多くの人が並んでいるのが見える。集団の中に、自然に紛れるように衛兵も巡回しているようだった。


 逆に細い路地や裏道に回ってみると、この町の他の都市と比べ、人通りが極端に少ないことがわかった。それは物乞いや小間使いの孤児も含めてだ。

 そして、そんな情報は出回っていない。つまり、こうなったのはつい最近のことなのだろう。



 一度足を止めて考えを整理する。今この町で起こっているのはなんなのか。


 ——夜中に徒党を組み、荷を運ぶ浮浪者たち。

極端に減少した路地裏の住人。

 消息不明の騎士団の騎士達、巡回する衛兵。

気候が変わるほどに放出された魔力。


 …不可思議なことばかりだ。

 もう少しこの町を調べてみてもいいかもしれない。



 そう決断づけると、ブリジットはさらに路地の奥へ向かおうと歩み始め———そんな彼女に声をかける少女がいた。


「旅人さん、そっちに行くと危ないよ?」

「———ッ」


 ブリジットは気配を断ち、周囲には細心の注意を払っていた。

 だから、真後ろから話しかけられるなど、あってはならない事だった。


(……気が、抜けていた?)


 微かに肩を跳ねさせた彼女の姿を、少女は笑う。


「わっ、ごめんなさ~い。別に驚かせようとしたわけじゃないんだよ?」


 ただ自然に。その声音に悪意はなく、無邪気な声。


 振り返って視界に映るのは、自身の胸辺りまで背丈のない小柄な少女。

 特徴的な犬獣人の上向きの獣の耳と、ふかふかな尻尾を隠すことなく晒し、屈託のない笑顔を浮かべている。


(……獣人?)


 反射的に身構えそうになったが、しかし少女の毛色をみて止める。

 振り返った先にいた少女は、“茶色の毛並み”をした10歳くらいの犬獣人の子供だった。


 そんなこちらの心境など知りもしない子供は腰に手を当て、胸を張り、誰かの真似をするかのように芝居がかったポーズを取っていた。


「お姉さん、旅人さんなんでしょう? そっちの道は悪い人がたくさんいるから向かってダメ、なんだよ?」


 口ぶりからして、この町に住んでいる子供が、無知な旅人が危険な場所に向かいそうだったから心配して声をかけた。

 おそらくそんな感じだろう。

 私個人としては、この先に目的があったのだが、無視して進むのは不自然だ。

 それに、こういう子供は別に嫌いじゃなかった。


「ご親切にどうも。もしよかったら、お礼に屋台のご飯でも奢りますよ、小さなお嬢さん」


 平民の子供と話す機会は、同世代の令嬢と比べ多い(はずだ)。

 きっとこんな感じで話せば自然と仲良くなれる、対価も用意してるし完璧だろう。


「…………? お店でなにか買ってくれるの?」


 ……反応がよくない。もしかして……警戒、された?


「はい、わたしが困った事にならないよう心配してくれたのでしょう? その御礼です」

「う~ん、よくわからないっ。でもね、暗い路地や町の左側には行っちゃいけないんだよ? わかった?」

「えぇ、ご親切にありがとう、気を付けるわ」


 よく手入れされている毛質。

 獣人特有の人間よりしっかりとした毛をサラサラに梳かし、肩の長さでふんわりと広げている。

 人間なら癖のある髪の毛と評される髪質も、犬獣人の毛質ならサラサラとふわふわを両方生かすことができている。

 この子の両親はセンスがいい。少女の魅力を最大限に引き立てていた。


 癖のある髪に、光の加減で黒に近く見える色。小柄な体躯に、心配性で優しい性格。

 ブリジットの中でこの少女は失われた妹を思い起こすのに十分だった。


「さぁ、人通りのいい場所に行きましょう。好きなお店を奢りますわ、小さなお嬢さん」

「え~~? お姉さん、誘拐? 悪い人?」

「一緒にご飯に行くだけ。物騒なこと言わない」


 そういって少女の手を自然に繋ぐ。この町の道順は頭に入っているから迷うことはない。自身の勘を頼りにいい匂いのする出店へ進む。

 気まぐれに浪費できるお金は、いつからか使い切れないほどに貯まっていた。今持っている分をすべて使ったところで補充すればいい。

 彼女にとって、町の事前調査よりも、妹に似た面影を持つ少女と出かけるほうが大切な事になった。

 全ては失われた時間を取り戻すため、その思いを色褪せさせないために。



 ブリジットは少しの間任務を忘れ、名前も知らぬ少女を町へと連れ出した。








「お姉さ~ん、あ~り~が~と~」


 少女を連れまわし久々の休息を楽しんだブリジットは、夕方頃になると自然に別れていた。

 家まで送ると申し出たが、断られてしまったので大通りで解散することにしたのだ。


 半身を返し、大きく腕を振りながらお礼を言う少女に、軽く手を振って返す。


(よかった、向こう側に住んでいるなら問題ない)


 最後まで名前は聞かなかった。あの少女が『リタ』でないなら問題ない。

 聞かなかったのは、単純で幼稚なジンクス。思い出は思い出のままであってほしいと願った。

 ただ、それだけ。


 ブリジットは体を伸ばし思考を整理する。


(英気は養った、コンディションも十全)

(今回の目的は、荷物の中身の確認、情報の収集。場合によっては戦闘もあり得る)


 最後に自身とうっすら繋がっている使い魔を意識した。それは今も空を舞い、地上の生物の営みを見下ろし、観察しているように感じられた。


 この使い魔が事実上の命綱。

 妹様のことは気に入らない。それを疑うことなく、当然のように受け入れたリストリア家の人間も同罪だ。

 それでも私にはするべきことがある。そのためなら何でもする。

 ここで死ぬわけにはいかない。


 ブリジットは町の薄暗くなった路地に入り、そっと闇に姿を消した。

 その背中を止める少女は現れなかった。





「……だれも居ない、か」


 昨晩目を付けていた倉庫の一つ。

 運び込まれた荷物を確かめるため、人気のない倉庫を選んだ。それでも荷の見張り番くらい置くだろうと思っていた。


 補強された門扉が通路に沿うように1か所。格子付きの嵌め込み窓、高い天井。荷物を収める為に作られた、ありふれた倉庫。

 周囲の音を拾い、安全を確認したブリジットは思い切って倉庫に近づいていく。

 

 門扉をゆっくりと押し開き、体を中に滑り込ませた。



「———ッ」


 途端、鼻腔に刺さる臭い、嗅ぎなれた鮮血の臭い。

 薄い月明かりが差し込む倉庫内には、複数の男達の死体と、木箱ごと破壊された荷物の残骸。

 周囲を見渡しても生きている存在はおらず、既に立ち去った後のようだった。

 最大限に警戒を高めつつブリジットは安全を確保に努めた。


 死体はまだ暖かく、中には流血している個体も目に映る。


(つい、今さっきまでこの男達は生きていた。では誰が何のために…)


 死体の検分。

 同業者の仕業であるのなら、少し見るだけでも十分情報源となる。

 彼女は手掛かりを探して、一歩踏み出した。




 検体を終え、わかった事は2つ。

 死体は8体、争った痕跡はなく即死であり、情報を聞き出そうとしていないこと。

 すべて後頭部から延髄付近を鋭く切断していること。



 高位の魔法師。もしくは、それに準ずる存在なら十分に可能な範疇。今更それほど脅威でもない。

 目的はおそらく……荷物。


 倉庫の壁に沿って積まれていたであろう木箱の残骸。

 現在は、中の荷も含めて破壊されていた。


(犯人の目的は、荷物の破壊? いや、必要なものを強奪して隠蔽した可能性もある)


 冷静に思考を重ねながら残骸を漁る。

 その多くは鉄製の武具。しかし、その括りにそぐわない物もあった。


(これは……髪飾り? こっちは織布か? なぜこんな所に)


 内容物はほとんどが原型を留めていないため見間違いかもしれない。

 それに、力を失った魔道具の可能性も高い。

 それでも、この木箱だけは誰かに向けての贈り物のように思えた。


(そして、こっちは———)


 警戒を解かぬまま素早く品を定め、手掛かりを探す。

 彼女が作業を終えるのにそれほど時間を要さなかった。





 結論として、破壊された荷物からは背後関係を示す品は発見できなかった。

 そのうえ、ここを襲撃した手勢の手掛かりも見つけられなかった。現段階では情報不足である事をひしひしと感じる。今の段階では、この謎に触れることはできないのだと。


 ブリジットは手短に撤収の準備をし、自身の痕跡を消す。

 相対する勢力が不明のままこれ以上単独行動をするのは危険。そう判断した。


(ここを襲撃した存在について調べるのが先かな)


 その存在はおそらく私よりも現状に詳しいはずだ。その目的次第では協力関係を持つことができるはず。


 実質空振りに終わった調査でも、ブリジットは久々に“手応え”を感じほくそ笑む。

 この事件の先には、彼女が望む手掛かりが待っている予感がした。












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